「蓮くん、デートに行こう。とびっきり美味しいみたらし団子をおごってあげるから」
おばあちゃんはそう言って、蓮さんを連れ出した。蓮さんは思うところがあったのか、少ししょんぼりした様子で、おばあちゃんの車に乗り込んだ。
控えめながら、いつだって静かな自信にあふれている蓮さんがシュンとしているのは……気の毒ではあるけれど、何だか可愛らしくて愛おしくもあった。自分をひどい人間だなと思いつつ、そんな蓮さんを見て、心の中でひとり『ドナドナ』を口ずさむ。
帰りの新幹線は午後イチ。また明日香ちゃんが送ってくれるとのことだ。ありがたい。蓮さんとは別行動となったので、お礼も兼ねて、明日香ちゃんにランチをおごることにした。
しばらく見ない間に、街にはおしゃれなお店がずいぶんと増えていて、どこへ行こうか明日香ちゃんとふたりで迷いに迷った。そして結局、高校時代から足繁く通った老舗の洋食屋さんに決めた。食に関しては、わたしも明日香ちゃんもなかなか保守的なのである。
「昨日はごめん!」
テーブルにつくなり、明日香ちゃんが頭を下げる。わたしは苦笑した。昨日からずっと謝られっぱなしだ。
「明日香ちゃんは悪くなんかないよ。蓮さんもすぐに元気になったし」
蓮さんが完全に復活したというのは嘘だけど、明日香ちゃんを責めたくなくて、わたしは優しい嘘をついた。自分で優しいとか言っちゃうのも何だけど。
「なら良かった。あのあと、果歩を締め上げようと思ったんだけど、あいつ、いつもみたいに『果歩、そんなことしてないし』って開き直ってね……」
明日香ちゃんは悔しそうにフォークを握りしめ、前菜プレートに載っていたエリンギのフリットをぐさりと刺す。わたしは「明日香ちゃん、エリンギに罪はないから、落ち着いて」と、彼女をたしなめた。
それにしても、したたかな果歩ちゃんらしい。彼女は常に自分が悪者にならないように、巧妙に逃げ道を確保しながら行動する
「果歩ちゃんが魔性のスナイパーだってこと忘れてたわたしが悪いんだし……。明日香ちゃんももう忘れて」
できるだけ気にしていないように、明日香ちゃんに伝える。
「昨日は蓮さんもみんなと打ち解けて楽しそうだったし、これに懲りず、また集まって飲むときがあったら教えてね」
昔から変わらない、魚介のトマトソースパスタの味が、わたしを安心させる。
「ありがとう、薫。もちろんだよ」
それからわたしたちの話題は、昔の思い出に移った。小学校時代、みんなで神社に繰り出して虫取りをしたことや、明日香ちゃんのお母さんが買っておいた食パンを、すべて鳩にあげてしまったこと、いつもとは違う木に登ったら降りられなくなり、消防団のおじさんたちにこっぴどく叱られたこと……。
小学校時代からの友達は、家族同然だ。何気ない会話が続くなか、明日香ちゃんとのやり取りが昔と変わらないことに気づき、さらに心が温かくなる。
昨日、蓮さんと明日香ちゃんと三人でピクニックをしたときも最高に楽しかったが、こうして二人で心置きなく話す時間にも、心がじんわりと満たされていくようだった。
食事が終わってから、わたしたちはティラミスとコーヒーを注文することにした。店員さんを呼ぼうとすると、明日香ちゃんは困ったような顔で「薫、もうひとつ謝らなくちゃいけないことがあるの……」と、わたしの手を取った。
「どうしたの?」
そう聞いた瞬間、誰かがテーブルのそばに立った。見上げるとそこには……和樹が立っていた。
「和樹……」
わたしは驚いて明日香ちゃんを見た。「どういうこと?」
「ごめん! 和樹がどうしても薫に謝りたいって言うから……」
わたしは諦めて椅子の背にもたれかかった。明日香ちゃんの性格からすれば、幼馴染同士でわだかまりを残してほしくないから、和樹に協力したということなんだろう。そんな彼女を責める気にはなれない。
「薫、昨日はごめん」
和樹は立ったまま頭を下げた。
本当に今日は謝られてばかりだ。こんな日に名前をつけるなら……。
わたしはバッグから手帳を取り出し、「ごめん祭り→12年に1回とかの周期で来る?」と書いた。これは何かのシナリオで使えるな、たぶん。
ネタになりそうな言葉も浮かんだし……。わたしは仕方なく、和樹にイスを勧めた。
「どうぞ」
「……薫、少しふたりで話せないか?」
「ダメ」
わたしと明日香ちゃんの声が重なった。お互いに顔を見合わせて少し笑う。
「和樹、謝るだけならわたしがいてもいいでしょう?」
明日香ちゃんがちょっと怒ったように言う。ここがレストランではなかったら、明日香ちゃんは間違いなく「和樹、お前調子に乗ってんなよ」くらいのことは言っていたはずだ。
和樹は仕方なさそうに、明日香ちゃんの隣の席に着いた。「わたしたちはコーヒーとティラミス頼むけど、和樹はモンブラン派だったよね? デザートは和樹のおごりね」と言って、明日香ちゃんが3人分のオーダーを伝えた。
和樹は大きく息を吐いて呼吸を整えると、再び頭を下げた。
「昨日は不愉快な思いをさせて、本当にすまなかった」
「っていうかさ、なんでいきなり薫に絡んだりしたのよ」
明日香ちゃんが強い口調で聞いた。和樹から事前に詳しい話を聞いているのかと思ったが、どうやら場所のセッティングを頼まれただけのようだ。
「えっと、俺、先週彼女に振られて……。それで、薫が飲み会に来るって聞いてさ、もし薫が前と同じ気持ちだったら……遠距離でもいいかなと思って」
「はぁ? なにそれ!」
「バッカじゃないの!」
またしてもわたしと明日香ちゃんの声が重なった。今度はハモりはしなかったが、罵りの気持ちは同じだった。
「だって、俺、今まで彼女が途切れたことなんて一度もなくてさ……」
情けなさそうに彼は言った。語尾が消えそうなほど弱くなっていったのは、さすがに恥ずかしくて図々しい理由だということがわかったからのようだ。本当はもっと罵ってやりたかったけれど、さすがに公共の場所ではためらわれる。
「和樹、あなたの記憶は三葉虫の化石? あれから何年経ったと思ってるの。わたしにはあなたに未練なんてないからね」
はっきりさせるために、わたしは強めに釘を刺す。
「残念だけど、薫にはあんたが足でピアノ弾いても敵わないような婚約者がいるんだから」
運ばれてきたティラミスをスプーンですくいながら、明日香ちゃんも言った。和樹は自分を恥じるように目を伏せる。
「……蓮さんだっけ? あの人を見たときに、あ、こりゃかなわないなって思ったよ。しかもあの後、亮たちに聞いたら、めちゃくちゃ楽しくていい人だって言ってたし……」
それを聞いて、わたしはちょっと誇らしくなった。そう、蓮さんは温かくて楽しくて素敵な人なの。さすが亮くん、分かってらっしゃる。
だけど……と、そのとき思った。蓮さんの笑顔の裏に隠された思いを、わたしはまだ十分に理解できていないのかもしれない。彼が褒められるたび、自分のことのように嬉しくなる反面、未だに彼の本当の気持ちには触れることができていない気がするのだ。
「それに、あのときの蓮さんの様子を見て、薫のことを本気で大切にしてるんだなって、すごく伝わったよ」
――そうであってくれればいいんだけど、残念ながらそれは誤解。
わたしはそう言いたかったが、自らバラすのはどう考えても得策ではないので、言葉を飲み込んだ。何だかちょっと苦いものが胸に広がった。
「蓮さんにも、謝っておいてほしい。許してくれるといいんだけど」
わたしは初めて和樹に向かって少し笑顔を見せ、「わかった」と言った。蓮さんなら絶対にそうするだろうと思ったからだ。
明日香ちゃんが「薫は甘すぎるよ、ああ、果歩も和樹もまとめて締め上げてやりたい」と言いながらスプーンを振りかざし、和樹のモンブランを三分の一ほど奪い取った。
「おい、明日香! てっぺんの栗まで取ることないだろ!」
和樹が嘆く。
わたしはふと思い立ち、手帳を取り出してこう書いた。
『もしかすると、ひとりでいる時間が、蓮さんを磨いたのかもしれない』
蓮さんは恋愛経験があまり多くないと言っていたし、この考えはしっくりくる気がした。ただ、同時に何かが足りないような気もしている。
だけど――そのときのわたしは、全然気づいていなかったのだ。
蓮さんがいつも見せる強さと優しさの裏側に、どれほどの孤独と悲しみを抱えていたのかということに……。