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第22話

 明日香ちゃんに頼んで、実家まで徒歩5分くらいのところで車を停めてもらった。蓮さんが車を降りてから、明日香ちゃんはわたしに顔を近づけて、小声で言った。


「ちょっと! 薫がイケメンエリートと結婚なんて、絶対にあんたの妄想か何かの詐欺だと思ってたけど……めちゃくちゃ素敵な人じゃん! 幸せになりなよ」


 いつもの軽口だけど、明日香ちゃんが心から祝福してくれているのが伝わってくる。良心がチクリと痛んで、わたしは小さな笑顔を返した。


「ありがとう、明日香ちゃん」


 明日香ちゃんが「じゃあ、またあとでね」と手を振りながら走り去ったあと、蓮さんと目が合った。


「とても素敵な友達だね。薫と明日香ちゃんの子ども時代が目に浮かぶよ。楽しかったんだろうな」


 まるで子どもを見るような優しい目で、蓮さんはわたしを見つめる。


「うん。あの頃は、男女関係なくみんな仲良くてね。夏になると、学校が終わってからみんなで神社に行って、カナチョロを捕まえたりしてたの」


「カナチョロ?」


「カナヘビ。ヘビって言っても、実はトカゲなんだけど」


 少しノスタルジックな気持ちになりながら、わたしは話を続けた。蓮さんは小さく頷きながら、静かに耳を傾けてくれている。


「冬になると雪が1、2メートルは積もるから、みんなで大きな雪だるまやかまくらを作ったりしたの。そういえば、あまり車が通らない道に大きな雪だるまを並べて、たまたま通りかかったお巡りさんにひどく怒られたこともあったな」


 蓮さんは面白そうに笑った。


「その後、明日香ちゃんが『雪だるまを移築しよう!』って言い出してね。ずっしり重い雪だるまを、みんなで隣の畑まで運んだの。でもその夜から記録的な大雪になって、2日後に見に行ったら、苦労して移築した雪だるまが全部埋もれてた」


 蓮さんは目を細めて、くすくすと笑っている。いつまでもここで話していたい気分だった。


 車2台がすれ違えるほどの道沿いに、昭和の住宅や大きな屋根の古民家、新しく建てられた家、リンゴ畑などが点在する、ローカル色豊かな地域だ。それぞれの家の敷地は広く、庭木も多い。住宅の裏手は森林と田園地帯で、南側が開けているので日当たりも抜群だ。


 わたしの大好きな風景だから、散歩がてら蓮さんにも見てもらいたくて、ここで降ろしてもらったのだ。予想通り、彼は気持ちよさそうに歩きながら、辺りを見回している。


「うちの家族のこと話すね。――とは言っても、わりと普通かな。父は会社員、母はスーパーのパートさん。1つ下の弟がいるけど、今日は予定が合わなくて来てないの。うちで規格外なのは……おばあちゃん」


 蓮さんは、少し驚いたようにわたしを見た。


「おばあちゃん? どう規格外なの?」


「一言で言うと『活動的』かな。会えばわかるよ。活動的すぎてどこかに出かけてるかもしれないけど……」


 実家の前で足を止めて、「ここがうちです」と伝えた。


 わたしの家は、祖父母の代まで小規模な農業と駄菓子屋を営んでいたため、敷地は広い。今では農業の作業場も店舗も取り壊され、ついでにアスファルトも撤去されている。家の脇には母の趣味のナチュラルガーデンが広がり、その先には父が手入れをする家庭菜園。家は古民家を減築したモダンな平屋で、日当たりと風通しが良いのが自慢だ。


 蓮さんは興味深そうに畑や庭を眺めていたが、ガーデンの奥で視線が止まった。彼が見つめる先には、4メートルほどの木製ボルダリングウォールがあり、カラフルなホールドを伝ってしなやかに壁を登る人影があった。


「あ、今日はジムじゃなかったんだ。おーい、おばあちゃん!」


 クライマーが振り返り、動画を巻き戻すようにホールドを伝って地面に下りてきた。そして、汗ばんだ顔に満面の笑みを浮かべ、「薫!」と嬉しそうに叫んで両手を広げた。わたしはその腕に飛び込む。


 前に会った時より少し痩せたし、シワも増えた気がするけれど、程よい筋肉とシャキッと伸びた背筋は変わらない。わたしはもう一度、おばあちゃんに抱きついた。


「薫、おかえり! 元気そうで何よりだよ」


「今年はまだ、ウォールをしまってなかったんだね」


「雪が降る前にエイちゃんを呼んで、片付けてもらうつもりだよ」


 エイちゃんはこの地域の何でも屋的な大工さんで、冬支度の一環としてボルダリングウォールの片付けもお願いしている。


 おばあちゃんは両手でわたしの頬を挟み、おでこをくっつけて「よく帰ってきたねぇ」と言った。愛情たっぷりの挨拶に、わたしは故郷に戻ってきたことを実感した。


 そうだ、蓮さんを紹介しなきゃ。わたしは蓮さんの方を振り返った。


「蓮さん、うちの規格外おばあちゃん、70歳です。おばあちゃん、こちらが……出雲蓮さん」


 家族の前で「婚約者」と紹介するのは……少し照れくさいし、良心が痛むので、省略することにした。


「はじめまして。薫さんとお付き合いさせていただいております、出雲と申します」


 蓮さんは丁寧に頭を下げた。おばあちゃんは首にかけたタオルで汗を拭きながら、ニンマリ笑って手を上げ、カジュアルに挨拶を返した。


「えらく男前じゃないの。まぁ、おじいちゃんには勝てないけどね」


 とびきりハンサムな人を見たときに言う、おばあちゃんの常套句だ。


「わかってるよ。おじいちゃんに勝てるのは、若かりし頃のアラン・ドロンだけなんでしょ」


「That's right!」


 おばあちゃんは上手な発音で言った。彼女は週2で英会話レッスンも受けているのだ。


「さ、入りなさい。うな重の出前も届いてるから」


「出前頼んだの? 明日香ちゃんのお稲荷さんを食べてから来るって言ったのに」


「そりゃ、明日香ちゃんのお稲荷さんには勝てないけど、うなぎなら別腹でしょ? ね、蓮さん」


「ありがとうございます。喜んでいただきます」


 蓮さんは、見た目はすらっとしているのに、しっかりと食べる人だ。おもてなし好きなわたしの家族からは、きっと大歓迎を受けるだろう。

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