新幹線が飯山駅に到着したのは、ちょうどお昼どきだった。
近代的な駅の改札を抜けると、正面で手を大きく振る明日香ちゃんの姿が見えた。私の中で嬉しさが一気に膨らみ、思わず彼女の方へ駆け寄った。
「明日香ちゃん!」
「薫! 元気にしてた!?」
駆け寄った私を、明日香ちゃんは笑顔で大きく手を広げて迎えてくれた。抱き合って再会を喜んだあと、明日香ちゃんは少し遅れて近づいてくる蓮さんに気づき、目をまんまるにした。
「ちょっと、もしかしてこの人が婚約者!? うわぁ、ありえないくらいイケメン! まさに世紀のイケメン! わが町の美術館に飾ってもいいですか?」
明日香ちゃんは躊躇なく褒めちぎり、その様子に私は照れ笑いを浮かべながら二人を紹介した。
「明日香ちゃん、こちらは出雲蓮さん。蓮さん、私の小学校からの友達の丸山明日香ちゃん」
「明日香さん、どうぞよろしく」
蓮さんが微笑みながら丁寧に挨拶すると、明日香ちゃんは両手で頬を覆い、「こんなイケメンに直視されたこともなければ、名前を呼ばれたこともないよ! 薫、私今日まで生きててよかったァァァ!」と、大げさに地団駄を踏んだ。
「ところで薫、お昼は食べてないよね?」
「もちろん。明日香ちゃんがいつもの持ってきてくれてると信じて、食べてないよ」
明日香ちゃんはニンマリ笑って、トートバッグを目の前に掲げた。
「じゃじゃーん! あんたの大好きな生姜とゴマ入りお稲荷さん、持ってきたよ! いつもの場所で食べよう」
「やったぁ!」
「デザートにはシュークリームつくったんだけど、なぜか膨らまなかったんだよね。でも、カスタードは美味しくできたから、無理やり中に詰めてきた」
「シュークリーム、膨らませるの難しいって言うよね」
「うん。でも、何がいけなかったんだろう? 油の温度とかかな?」
「……油の温度?」
一瞬、頭の上に???が浮かんだあと、私は状況を理解した。
「明日香ちゃん、シュークリームって、油で揚げないんだよ?」
明日香ちゃんは雷に打たれたようなショックを受けた顔で「ええー! そうなの!?」と叫んだ。
そのとき、ずっと静かだった蓮さんが急にぷっと吹き出し、我慢できないといったようにお腹を抱えて笑い出した。その笑顔は少年のように無邪気で、私はまたしても一瞬見とれてしまった。
「二人は……コントに出られるね」
目じりに笑い涙を浮かべながら、蓮さんは言った。
「薫と私は、昔からいっつもこんな感じなのよ」
明日香ちゃんは、世紀のイケメンに大ウケされてすっかり上機嫌だ。私の肩に手を回し、自慢気にそう言い放った。
「私が帰省するときはいつも、千曲川が見える丘にピクニックシートを敷いて、明日香ちゃんのお稲荷さんを食べるのが恒例なの。蓮さん、今日のお昼はそれでいい?」
「コーヒーもありまっせ!」明日香ちゃんが特大サイズの保温ボトルを差し出す。
「もちろん。仲間に入れてもらえて嬉しいよ」
蓮さんが本当に喜んでいるのを感じて、私の心はほんのり温かくなった。
千曲川を一望する丘の中腹に、明日香ちゃんは手際よく防寒レジャーマットを広げた。少し狭いけれど三人で座るには十分で、真ん中にお稲荷さんの入ったホーロー容器を置くスペースもある。
「すごい、まさに絶景だ」
千曲川と広がる平地、それを取り囲む田園風景、さらにその向こうにそびえる山々。その壮大な景色を目の当たりにして、蓮さんは静かに息をのんだ。
私も蓮さんの隣に立ち、懐かしい風景を眺める。
「いいでしょう。ここは私たちの秘密の場所。中学の頃、明日香ちゃんと自転車でウロウロしている時に見つけたの」
「秘密の場所に連れてきてくれて、ありがとう」
蓮さんのお礼の言葉は、いつも私をくすぐったい気持ちにさせる。私のほうこそ、大好きな場所に来てくれてありがとう――そう言おうとした瞬間、明日香ちゃんが私たちの間に割り込み、おかんキャラ全開でまくしたてた。
「ちょっとちょっと! 二人の世界に浸ってるんじゃないわよ! お稲荷さんいっぱいあるんだから、ほら、食べて食べて!」
明日香ちゃんの特製お稲荷さんは、私の大好物だ。嬉しいことに、蓮さんもすぐに気に入った様子だった。
「これ、すごく美味しい」
「でしょう? うちの母直伝だからね。そういえば何年か前、薫も一緒に母さんのところに習いに来たよね」
「うん。いただいたレシピ、ちゃんと持ってるよ」
「薫、いつも言ってるよね? レシピは持ってるだけじゃ意味ないの。作りなさい」
明日香ちゃんがピシャリと指摘する。
「うん、作ってほしい。これ本当に美味しい」
蓮さんも明日香ちゃんに同意して頷く。その姿がなんだか可愛らしく見えて、私はつられて笑顔になりながら首を縦に振った。
「帰ったらすぐに作ります」
蓮さんは嬉しそうに笑いながら、私と明日香ちゃんの紙コップにコーヒーを注いでくれた。
お稲荷さんを食べ終わると、明日香ちゃんが例のシュークリーム(?)を無言でそっと差し出してきた。長い付き合いの私だから分かる。「黙って食え」ということだ。
それは、見た目はまるでサーターアンダギーだったけれど、手作りのカスタードがたっぷり入っていて、意外と美味しかった。蓮さんも「これ、シュークリームじゃないけど、海外の郷土菓子みたいで美味しい」とつぶやき、気を良くした明日香ちゃんから二つ目を手渡されていた。
「そういえばさ、薫。去年うちらに取材してたシナリオって、結局どうなったの?」
明日香ちゃんが何気なく振った話題に、私は冷や汗をかいた。まずい。
「ほら、小学校のとき、ダルマストーブでクラス全員分の焼きみかんを作ろうとしたら、全部焦げ付いちゃって先生に怒られた話……」
「明日香ちゃん! 今日って飲み会何時からだっけ!?」
私は慌てて明日香ちゃんの話を遮った。そのエピソード、しっかり『田舎の生活』で使っちゃってる!
「予約してあるのは7時からだよ」
明日香ちゃんは私の意図に気づかず、素直に質問に答えてくれた。そっと蓮さんを見ると、彼は両手を組んで顎の下に当て、じっと思案している。――これは、まずいかも。
何とか別の話題に持っていこうと、私はつくり笑いを浮かべた。
「そうそう、今日来る和樹ってね、小学生のころから高校までずっと大好きだった人なの。久しぶりに会うの緊張するなぁ!」
言った瞬間、光の速さで後悔が襲ってきた。何を言ってるんだ、私は!
明日香ちゃんも蓮さんも、一時停止されたかのように動きが止まった。
そして短い沈黙のあと、蓮さんが口を開く。
「へぇ、ぜひ聞きたいな、その話」
気のせいだろうか、いつもと少し違う、低めの声。どことなくダークモードな蓮さんが降臨しているような……。
助けを求めて明日香ちゃんを見ると、彼女は片手で頭を抱えて「だめだこりゃ」的なポーズを取っている。
「小学校から高校までって、10年くらい? ふうん、長いね。よっぽど好きだったんだね」
何だか、いつものあっさりとした蓮さんじゃない。微妙なニュアンスを込めた蓮さんの言葉に、私はしどろもどろになった。
明日香ちゃんがため息をついて助け舟を出してくれる。
「和樹は私たちの幼馴染ですごくいいヤツなんだけど、サッカー部のエースで、モテすぎて浮ついたタイプだったのよ。薫と付き合ったのも一瞬だけだったよね?」
「4日です……」
高校の卒業式の4日前、私は勇気を出して和樹に告白し、OKをもらった。そのときは天にも昇るような気持ちだったのに、卒業式の日、和樹は学校一かわいいと評判の後輩に告白されて、私はあっさり振られてしまったのだ。
明日香ちゃんは、3つ目のサーターアンダギー風シュークリームに手を伸ばしながら話を続けた。
「結局その後輩とも1ヶ月で別れたらしいけど、薫にとってはかえって良かったよね。蓮さんみたいな素敵な人に出会えたんだから」
私は曖昧に頷いた。頷いてから気づいた。
そういえば、サッカー部のモテモテの幼馴染、『田舎の生活』にも登場させてたんだった……。初恋エピソードとしては描いていないけれど。
今の話を蓮さんが、『田舎の生活』と関連付けて考えないといいけれど……。そう思いながら彼の方をちらりと見ると、蓮さんはいつも通りの笑顔で言った。
「話してくれてありがとう」
そのとき、一瞬だけ垣間見えた蓮さんの好戦的な表情は……いや、きっと私の見間違いだ。うん、きっと。