日が傾く前に、蓮さんとふたりで近所のスーパーへ買い物に出かけた。全国各地から取り寄せた有機野菜やちょっとマニアックな輸入品、種類豊富な量り売りのデリなどを取り扱う、この街の胃袋を支えている店だ。
並んで歩きながら、私はちらりと蓮さんの端正な横顔を盗み見た。
――どうやって長野行きを切り出そう。
もちろん、結婚の契約をすり合わせた際に、両家への挨拶はマスト事項であるとお互い納得していた。しかしながら、「家族と地元の友だちに婚約者として会って!」というのは、なかなかどうしてハードルが高い。
「長芋とキャベツが新鮮だから、今日はお好み焼きにしようか」
連さんが、大きなキャベツをひと玉持ち上げて提案する。
「やった! お好み焼き大好き!」
「じゃ、決まりだ。具材は……イカにしようか?」と、蓮さんが私の顔を覗き込んで笑う。
「うん、一番好き。どうしてわかったの?」
「薫が好きなのは、中南米料理のセビッチェ、台湾料理のイカ団子、イタリア料理のカラマリ・リピエーニ、それに僕がつくるイカと梅の酢の物と、イカと里芋の煮物」
私は照れ笑いを浮かべた。ここまでバレバレだと、少し恥ずかしい。そういえば友記子にも「薫って、チョコレートとかガムの代わりに、あたりめを机に隠し持ってるよね。イカ好き?」と突っ込まれたことがある。
「蓮さんは、なんだろう……蓮さんもイカ?」
蓮さんは、端正な顔にいたずらっぽい笑みを浮かべて「正解」と答える。「最初の頃から気づいてたけど、僕たち、食の好み似てるよね」
店内を一周回って必要なものを揃え、お会計のためにレジの前に立つ。そこで、カゴの中の最終チェックをしていた蓮さんが言った。
「あ、そういえばかつお節を切らしてたんだ。探してくるからちょっと待ってて」
「さっき、かつお節がある場所見たから、私が行ってくる」
かつお節を取ってレジ前に戻ろうとしたとき、陳列棚の先で、蓮さんが誰かと話しているのが見えた。相手は、茶色がかった柔らかそうな髪をハーフアップにした、スラリとした美しい女性だ。
私からは蓮さんの表情は見えないが、女性が彼に向けている輝くような笑顔が目に飛び込んできて、何だか胸がざわついた。周囲の人たちもふたりをチラチラと見ている。あまりに絵になる長身の美男美女なので、モデルのカップルか何かだと思われているのかもしれない。
私が出ていっていいのかな? それとも……蓮さんは、私を紹介したくないかも。そんな考えが頭をよぎり、胸の中に小さな波が立つような不安が広がった。
蓮さんのところに戻れないばかりか、盗み見しているような状況に気まずさを覚える。とりあえずアイス売り場に行って、新作アイスでも眺めて時間を潰そうか……。
そう思いながらも足を動かせないでいると、女性はさらに蓮さんに近づき、買い物カゴを覗き込んだ。明るい声が聞こえてくる。
「出雲くん、今日はお好み焼きなの? 出雲くんの料理、食べてみたい! ね、今から出雲くんの家に行ってもいい? ビールとワインを買ったから、ふたりでお好み焼きパーティしようよ」
彼女は、ワインボトルの入ったショップバッグを掲げ、そして……蓮さんの肩に手を置いた。その様子を見ていると、胸の奥に、不安とも苛立ちともつかない感覚が広がってゆく。
「ねぇ、出雲くん。明日休みだし、いいでしょ? 出雲くんと一度飲みながらおしゃべりしてみたいと思っていたの」
ネイルが彩る彼女の指先が、蓮さんの二の腕あたりをなぞるように動く。周囲から見れば、完全に恋人同士に見えるだろう。
そのとき、急にこちらを振り返った蓮さんと目が合った。彼は女性の手をさり気なく振りほどき、迷いのない足取りでこちらに近づくと、私の肩を抱き寄せた。
「広瀬さん、紹介します。僕の婚約者の薫です」と、蓮さんは穏やかだが、はっきりとした口調で言った。「薫、こちらは会社の広瀬さん」
蓮さんの体が背中にそっと触れ、筋肉のしなやかな感触と温もりが伝わってくる。反射的に体を起こそうとした私を、蓮さんの腕が優しく捉え、逃がさないように静かに力を込めた。
「婚約者?」トゲを含んだ声が響いた。広瀬さんは眉をわずかにひそめ、ぎこちなく笑う。「出雲くんにそんな人がいたなんて……全然知らなかったわ」
「……あの、はじめまして。椿井薫といいます」
広瀬さんは、頭の先からつま先まで値踏みするような視線を送り、一瞬間を置いて華やかな笑顔を浮かべた。
「なんだか……ふたりとも初々しくてかわいいわね。まだ付き合って間もないのかしら?」
「まだ出会って2ヶ月くらいだよ」蓮さんは柔らかい微笑みを浮かべながら、穏やかな声で答える。
「それでもう婚約? 本当に? でもなんだか……付き合って間もないふたりというより、付き合ったことすらないふたりのように見えるわね」
トゲのある言葉を残し、広瀬さんは艶やかな笑みを浮かべたままヒールの音を響かせ、店を後にした。
広瀬さんが去ったあと、私たちは目を合わせ、ほっとしたようにため息をついた。それと同時に、肩に残る蓮さんの体温が気になって……どうしてだろう、心が熱を帯びるのを感じた。