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第16話

 日が傾く前に、蓮さんとふたりで近所のスーパーへ買い物に出かけた。全国各地から取り寄せた有機野菜やちょっとマニアックな輸入品、種類豊富な量り売りのデリなどを取り扱う、この街の胃袋を支えている店だ。


 並んで歩きながら、わたしはちらりと蓮さんの端正な横顔を盗み見た。


 ――どうやって長野行きを切り出そう。


 もちろん、結婚の契約をすり合わせた際に、両家への挨拶はマスト事項であるとお互い納得していた。しかしながら、「家族と地元の友だちに婚約者として会って!」というのは、なかなかどうしてハードルが高い。


「長芋とキャベツが新鮮だから、今日はお好み焼きにしようか」


 大きなキャベツをひと玉持ち上げて、蓮さんが提案する。


「やった! お好み焼き大好き!」


「じゃ、決まりだ。具材は……イカにしようか?」


 蓮さんがわたしの顔を覗き込んで笑う。


「うん、いちばん好き。どうしてわかったの?」


「薫が好きなのは、中南米料理のセビッチェ、台湾料理のイカ団子、イタリア料理のカラマリ・リピエーニ、それに僕がつくるイカと梅の酢の物と、イカと里芋の煮物」


 わたしは照れ笑いを浮かべた。バレバレで恥ずかしいくらいだ。


 そういえば友記子にも「薫って、チョコレートとかガムの代わりに、あたりめを机に隠し持ってるよね。イカ好き?」と言われたことがある。


「蓮さんは、なんだろう……蓮さんもイカ?」


 蓮さんは、ハンサムな顔でニヤリと笑う。


「正解。最初の頃から気づいてたけど、食の好み似てるよね」


 店内を一周回って必要なものを揃え、お会計のためにレジの前に立つ。そこで、カゴの中の最終チェックをしていた蓮さんが言った。


「あ、そういえばかつお節を切らしてたんだ。探してくるからちょっと待ってて」


「さっき、かつお節がある場所見たから、わたしが行ってくる」


 かつお節を取ってレジ前に戻ろうとしたとき、陳列棚の先で、蓮さんが誰かと話しているのが見えた。相手は、茶色がかった柔らかそうな髪をハーフアップにした、スラリとした背の高い美しい女性だ。


 わたしからは蓮さんの表情は見えないが、女性が蓮さんに向けている、輝くばかりの笑顔は目に入ってきた。


 周囲の人たちもふたりをチラチラと見ている。あまりに絵になる長身の美男美女なので、モデルのカップルだと思われているのかもしれない。


 わたしが出ていっていいものかな? それとも……蓮さんは、わたしを紹介したくないかな? そう考えただけで、気持ちが少しざわついた。


 蓮さんのところに戻れないばかりか、何だかふたりを盗み見しているような状況になっている。どうしよう……。とりあえずアイス売り場に行って、新作アイスでも眺めて時間を潰そうか。


 わたしが必死で突破法を考えていると、女性はさらに蓮さんに近づき買い物かごを覗き込んだ。声も聞こえてくる。


「出雲くん、今日はお好み焼きなの? 出雲くんの料理、食べてみたい! ね、今から出雲くんの家に行ってもいい? ビールとワイン買ったから、ふたりでお好み焼きパーティしましょうよ」


 彼女は、ワインボトルの入ったショップバッグを掲げ、そして……蓮さんの肩に自分の手のひらを置いた。


 なんだか胸の奥がモヤモヤと重くなり、言いようのない違和感が広がっていく。


「ねぇ、出雲くん。明日休みだし、いいでしょ? 出雲くんと一度飲みながらおしゃべりしてみたかったの」


 彼女は蓮さんの二の腕あたりで、ネイルに彩られた長い指先を踊らせた。周囲から見れば、完全に恋人同士に見えるだろう。


 そのとき、急にこっちを向いた蓮さんと目が合った。蓮さんは、女性の腕をさり気なく振りほどいてからわたしの方へ歩み寄り、少し強引にわたしの肩を抱き寄せた。


「広瀬さん、紹介します。僕の婚約者の薫です。薫、こちらは会社の広瀬さん」


 蓮さんの、見た目よりもガッチリした身体が、わたしの背中に密着する。わたしは反射的に身体を起こそうとしたが、蓮さんの腕はわたしの肩を捉えたまま、力を緩めなかった。


「え、婚約者?」


 トゲを含んだ声が響いた。目をやると、広瀬さんはわずかに眉根を寄せ、こわばった笑顔をつくっている。


「やだ、出雲くん。そんな人がいたなんて……全然知らなかったわ」


「は……はじめまして。椿井薫といいます」


 広瀬さんは、わたしの頭の天辺からつま先までを値踏みするような目で一巡し、すぐに華やかな笑顔を取り戻した。


「なんだか……ふたりとも初々しくてかわいいわね。まだ付き合って間もないのかしら?」


 蓮さんが答える。


「まだ出会って2ヶ月にもならないくらいだよ」


「それでもう婚約? 本当に? でもなんだか……付き合って間もないふたりというよりは、付き合ったことすらないふたりのように見えるわね」


 棘のある言葉を放ってから広瀬さんは、敵意を帯びた美しい笑顔で会釈し、ヒールを鳴らしながら店から出ていった。


 広瀬さんが去ったあと、わたしと蓮さんは目を合わせ、同時に深い疲労のため息をついた。

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