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第12話

 よく考えてみたら、私が何もしなくても、蓮さんのプロジェクトも脚本もきっと大丈夫。そう思うようになった。


 だって、航のバックには、恋愛モノのシナリオマスター、倉本先生がついているんだもの。


 この業界では、弟子が先生の脚本を代筆するのは勉強の一環で、よくあること。だとしたらその逆――先生が航の脚本を書く――も、最終手段としてアリなのではないか。


 もちろん、先生だって弟子の名前の作品なんて書きたくないだろう。だから本当に最後の手段、事務所の存続と先生のプライドを天秤にかけるという局面での、「ナシよりのアリ」的な選択肢だ。


 それに、生き馬の目を抜く業界で勝ち残ってきた先生のことだ。共作として、自分の名前をエンドロールにねじ込むくらいのことはするに決まっている。


 もしかしたら、航が覚醒してめちゃくちゃ素晴らしい脚本を書き上げる可能性だってゼロじゃない……かも。


 結論として、私はこの話には一切タッチしないことに決めた。見ざる、言わざる、聞かざるに徹するのだ。そうだ、次の休みに日光東照宮まで足を伸ばして、三猿に挨拶しよう。「よっ! 私もあなたたちの仲間だよ!」って。


 縁側に座り、スマホで日光情報を検索しながらウキウキしていると、ハンモックチェアで本を読んでいた蓮さんが首をかしげながら私を見た。


「さっきまで何か考え込んでいたのに、今はなんだか楽しそうだね」


「うん。次の休みに日光に行こうかと思って。蓮さん、お土産は湯葉でいい?」


 蓮さんはくすっと笑った。


「渋いな。でも、ありがとう。湯葉は好きだよ」


「あと、自分用に三猿のキーホルダーを買おうと思うんだけど、蓮さんも欲しい?」


「……いや、それはいいかな」


 その後、またしばらく本に目を落としていた蓮さんだったが、私があまりに楽しそうに日光までの路線検索をしているのが気になったのか、再び声をかけてきた。


「……薫ってさ、いつもご機嫌だよね。座右の銘とかあるの?」


 よくぞ聞いてくれました!


「私の座右の銘は、『失敗しても、そこからネタを得ることができるのなら、自分に起きていることは何ひとつ無駄にはならない』です」


 蓮さんは笑って、「長いな」と言った。


「うん、みんなに言われる」




 その後、夕方まで庭で静かな時間を過ごした。何もしていないのに、なんて充実感のある日曜日なのだろう。


 検索を終えた私は、縁側に寝転がり、ゆっくりと空を見上げた。今日の空はどこまでも高い。


「蓮さん、お茶飲む?」


 寝転んだまま声をかけてみたけれど、返事がない。


 蓮さんはハンモックチェアに揺られながら、穏やかな寝息を立てていた。さっきまで読んでいた文庫本は、膝の上でページを開いたまま止まっている。


 なんて……きれいな人なんだろう。静かな午後の日差しに包まれるようにして眠る蓮さんの顔に、視線が引き寄せられた。少しくせのある髪が、穏やかな呼吸に合わせてわずかに揺れている。


 こっそりと、膝の上の本タイトルを見る。『夏への扉』だった。読後感のいい、私も大好きな小説だ。


 ブランケットを持ってきて、風邪を引かないようにそっと掛けてあげようとする。顔が彼に近づき、長いまつげの一本一本までが鮮明に見えた。こんなに近くで彼の寝顔を見るなんて、初めてだ。


 その瞬間、蓮さんの手がふいに私の手首を掴んだ。


 大きなその手がふれた瞬間、まるで全身がその温もりに包まれるかのようだった。鼓動が一気に高鳴り、頭が真っ白になる。


 瞬きも、呼吸をするのも忘れて、ただ私はその場に立ち尽くしていた。


「……う、ん……」


 蓮さんが寝ぼけた声をもらしながら寝返りを打つ。その拍子に力が緩んで、私はやっとの思いで手を引き抜くことができた。


 ただ寝ぼけていただけ。意味なんて何もない。それくらい、わかっている。だけど……。


 ――もし、彼がほんの少しでも私のことを意識してくれていたら、どんなに嬉しいだろう。


 心臓の鼓動は一向に収まらず、顔が熱くなる。だめだ、こんなことで動揺するなんて。


 「……バカみたい」


 自分を笑おうとするが、手首に残る蓮さんの温もりが消えず、胸はざわついたままだ。


 気持ちの整理がつかないまま、私は蓮さんにブランケットを掛け直し、そっとその場を離れた。

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