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第4話

 ほんの1年前まで、航は最も身近な仲間であり、良きライバルだった。


 倉本先生に憧れて、この規模のオフィスにしては多いくらいの新入社員が毎年入ってくる。しかし、1年経って残っている人はとても少ない。6年前の新入社員――わたしと友記子と航――が全員残っているなんて奇跡のようだと、今でも語り草になっている。


 わたしたち3人は、巡り合うべくして出会ったかのように気が合った。徹夜でシナリオを仕上げたあと、駅前のファミレスでこれからのドラマの展開について3人で討論したことも数え切れない。


 当時関わっていたのは、病院を舞台にしたラブコメで、ドラマランキングではいつも上位の人気作品だった。周りにバレないように、人物の名前を変えたり言葉を濁したりしながら小声で話すとき、自分たちの仕事が、世の中の一歩先を歩いているように思えて、なんだか誇らしかった。


 わたしは先生の脚本の下書きと並行して、自分の作品も書いていた。プライベートな時間など、ほとんど取れないほどの激務だったが、睡眠時間を少しずつ削り、2年かけて書き上げることができた。


 タイトルは『田舎の生活』。山と田畑に囲まれた集落を舞台にした中学生の物語で、モデルは実家にいた頃の自分自身。地方出身の人に、「田舎ってこういうのあるある」と懐かしく思ってもらえればと執筆した、思い入れの深い作品だ。


 最初に「あるある」と言ってくれたのは……。そう、航だ。うちほどの田舎ではないが、航の出身地も神奈川県の山エリアで、「田舎あるある」を理解してくれた。


「そうそう、米の買い占めとかニュースになってたけど、田舎だと、コンバイン袋でまとめて200キロとか買うのが普通だよな。ウチもそうしてた」


 航は脚本をペラペラとめくり、頷きながら言った。


「この作品、とってもいいと思う。きっといつか映像化される」


 その言葉は、想像以上にうれしいものだった。先生の作品の下書きをこなして褒められるより、何倍も大きな喜びだ。


「ありがとう、すごくうれしい」


 航はもう一度脚本の表紙に視線を落とし、決心したようにまっすぐわたしを見た。


「薫、俺と付き合ってくれないか?」







 手に持ったスマホが短く震えて、わたしは我に返った。


 航との関係がこじれる前のことを思い返している自分に気付き、頭を振る。


 今日のわたし、なんだか後ろ向きになってる。疲れが溜まってきてるのかな。


 あの後、航の告白に返事をする機会はなかった。そして、航の予想通り、『田舎の生活』は映像化された。


 安斎航脚本の作品として。


 思い出したくもない感情が、またしても溢れてきた。ああ、やっぱりわたし、疲れてる。


 わたしは深呼吸をしてから、スマホを確認した。LINEの通知が、青空のアイコンからメッセージが入ったことを告げていた。


――昨日はプロポーズをありがとう。今日時間があるのなら、結婚の条件等について協議・調整がしたいと思います。19時に昨日の場所で。都合が悪かったら連絡をください。







 わたしは嘘をつくのが得意ではない人間だ。


 いつものように先生から追加の仕事をちょうだいし、会社を出られるのは早くて21時くらいだろう。だから、19時の待ち合わせに間に合うはずがない。断る理由はしっかりある、午後一にでも連絡すればいい。そう思っていた。


 しかしながら、今日の先生は上機嫌だった。


「みんな、いつもわたしのため、ひいては日本のエンターテインメント業界のために、寝食を忘れて頑張ってくれてありがとう。わたし、いつもあなたたちに感謝しているのよ!」


 アバンギャルドな幾何学模様のワンピースに身を包んだ先生は、出社するなり、高らかにそう謝辞を述べた。


「さっき聞いたんスけど、なんか、昼ドラの影響らしいっすよ。人格者の社長がすんげー慕われてるやつ」


 隣の席の青木くんが耳打ちで教えてくれた。


 普段は無理難題を押し付けてくるけれど、倉本先生は根っこのシンプルな人だ。いいと思ったものは、たとえライバルがつくったものでも評価して、受け入れる。だけど、その受け入れ方が行き過ぎな場合もある。


 よく言えば、新しいことをすぐに取り入れる柔軟性を持っている。悪く言えば影響されやすく、昨日までと正反対のことを平気で言い出す。先生はそういう人だった。


 先生は舞台女優の受賞挨拶ように、オフィスの中央で「わたしが今日あるのもみんなのおかげで――」と、全社員への感謝を述べている。


「……というわけで、みんな、今日は定時に帰りなさい。家族と過ごす時間を大切にするのよ。今日という日は、もう二度と来ないのだから」


 謎の決めポーズとともに先生のスピーチが終わると、周囲から定時終業を喜ぶ拍手が響いた。青木くんに至っては、喜びのあまり立ち上がり、激しく両手のひらを打ち合わせている。


「なんか最後、オスカー女優ばりのスポットライトが見えた! 何にしろラッキー! 今日は彼女んち行くぞー!」


 わたしはといえば、「どうして今日に限って……」と複雑な思いで、拍手に応えながら退場する先生の後ろ姿を見送るしかないのだった。







 18時に帰り支度を始めると、友記子がいそいそと近づいてきた。


「薫! 定時うれしいね♪ 一杯引っ掛けてっちゃう?」


 ものすごく魅力的なお誘いだ。けれど……。


「ごめん、友記子。わたしには片をつけなければならないことがあるのです」


 友記子はさらにウキウキした表情になる。


「え、なになに? もしかしてデート?」


「違うって」


 そう言ったとき、友記子の後ろにいる航と目があった。なぜか気まずくて、目をそらす。


「とある案件に関する協議と調整を持ちかけられたんだけど、その案件ごとなかったことにしてくる。ジャンル分けするとしたら、厄介事」


 うん、嘘ではない。


「ナルホド。それは確かに厄介事だ」


 友記子はつまらなさそうに唇を尖らせた。

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