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逆プロポーズではじまる交際0日婚! 〜狙うのは脚本家としての成功とXXX
八月朔日
恋愛現代恋愛
2024年07月12日
公開日
64,522文字
連載中
【月・水・金曜 8:00am更新】
シナリオライター見習いとして働きながらもなかなか芽が出ないわたし、椿井薫。
ある日、徹夜明けで帰宅途中に酔っぱらいに絡まれてしまう。
助けてくれたのは、容姿端麗な男性、出雲蓮。
身も心もすり減りきった私は、思わずその場で彼にプロポーズしてしまった!
やばい、これじゃわたし、危ない人じゃん!
そう慌てるわたしを前に、彼の返事はまさかのーー?

第1話

 どこかでリズミカルな振動音が響いている。


 ――ああ、スマホのアラームだ。


 混沌としたまどろみの中で、わたしはなんとか手を動かそうとする。眠りを邪魔する音を……止めなければ。


 音の方向に手を伸ばしたその瞬間、冷たいものが手の甲に触れた


 わたしの意識は一気に覚醒し、驚きのあまり目を見開いて頭を跳ね上げた。


「グッモーニン♫」


 目の前には同僚の村杉友記子の小憎らしい笑顔。水滴がたっぷり付いたテイクアウトのアイスコーヒーを、頬の横に掲げている。友記子はそのカップを、わたしの無防備な手の甲に押し付けたのだ。


「ちょっと、やめてよ。びっくりしたじゃん」


 わたしはスマホのアラームを止めながら、同僚兼親友に抗議した。6時に起きて脚本の続きを書くつもりだったのに、もう8時を過ぎている。きっと、寝ぼけて何度もスヌーズを押していたんだろう。


 幸い、オフィスには友記子以外まだ誰もいない。机に突っ伏して寝ている姿を他の社員に見られなくてよかった。


「目が覚めたでしょ。……っていうか、また徹夜してたの? 肌とメンタルに悪いって自覚ある?」


 友記子はわたしの前にアイスコーヒーを置いた。


「はいどうぞ、差し入れだよ。冷たいから目が覚めるし、なんなら百年の恋も一気に冷めるよ」


「恋してないし。でもそのフレーズ、いいかも。ああ、寝ぼけてるせいで良いセリフに聞こえるのかな。でも一応メモしておこう……」


 わたしはバッグから手帳を取り出して、ヨロヨロとペンを走らせた。脚本のネタやセリフなど、思いついたことを何でも書いておく雑記帳だ。いつか自分のシナリオに活かせたらいいと思って書き続け、すでに16冊目が終わろうとしている。


 手帳をしまうと、わたしはアイスコーヒーを一気に吸い込んだ。カフェインと冷気で、頭が一気に冴えわたる。


「起こしてくれてありがとう。コーヒーもね。おかげでばっちり目が覚めたよ」


「ふふ、わたしを崇めたまえ」


「さぁ、締め切りまであと2日、頑張らないと」


 さっきまでのおどけた表情が消え、友記子は眉間にわずかなしわを寄せて、わたしの隣のチェアに腰掛けた。


「ねぇ薫、言うべきか迷ってたんだけど聞いて。脚本家挫折して、総務に入ったわたしが言うことじゃないかもだけど……」


 上半身をわたしのほうに寄せて、目を覗き込む。


「薫の書いた脚本、倉本先生が少しだけ手直しして、自分の名前で発表してるよね。こんなに頑張ってるのに、薫の名前はどこにも出てこない」


 わたしは少しやるせなくなって、友記子から目をそらし、うなずいた。


 倉本美佐先生はこのシナリオ事務所の代表で、日本ドラマ界ではそろそろ大御所と呼ばれてもいい立ち位置の脚本家だ。先生の得意なジャンルは、ステキ女子がキラキラした日常の中で完璧な彼に溺愛される恋愛もの。20代から60代と、幅広い年代の女性たちから熱狂的な支持を集めている。


 友記子が下っ端シナリオライターの過酷な環境に危惧しているのには理由がある。友記子も入社当時は、わたしと同じ脚本家志望だったのだ。


 雑用でこき使われていたあの頃がいちばんつらかったが、友記子たち同期と将来の夢――オリジナルの映画やドラマの脚本を自由に書くこと――について話しているときだけは、宝石のように輝く時間だった。


 入社して1年、ほとんど家に帰れないブラックな職場環境に見切りをつけて、友記子は定時に帰れる総務への異動を希望した。寂しかったけれど、何でも話せる友記子が辞めずに残ってくれたのは本当にありがたいことだった。


 そんな友記子の真摯な視線が痛くて、わたしは目を伏せた。友記子は続ける。


「薫はそれでいいの? ……航のこともあったしさ」


 その名前を聞いたとき、胸の奥に苦いものが広がった。笑ってごまかそうとしたが、顔が引きつるような気がして、できなかった。


 そのとき、これ以上ないナイスなタイミングでガラスのエントランス扉が開いた。目をやると、アルバイトの青木くんが大あくびをして「……ザリヤース」と言いながら入ってきた。


 多分、彼は若者語で「おはようございます」と言っているのだ。なんにしろ、話の流れをぶった切ってくれて、グッジョブ青木くん!


 友記子が青木くんに、「寝癖すごいんだけど、まさかその頭で外歩いたの? お願いだから違うって言って」と話しかけている間に、わたしは深く大きく息を吸って、吐いた。


 わたしも青木くんに挨拶を返して、友記子に向き直った。深呼吸を1回すれば、ずいぶんと気持ちは落ち着く。


「大丈夫、そのうち有名になって、インタビューで『あの頃は苦労しましたねぇ』って言おうと思ってるから。今はそのための苦労ネタを貯めてる最中なの」


 わたしがにっこり微笑むと、友記子も眉を下げて「そっか」と笑った。


「もっと苦労ネタが必要だったら、いつでもわたしに言ってね。薫のためにいろいろ用意してあげるから!」

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