「何者だ」
彼女は――メイド服姿の長身の女、芹矢は、俺を睨み付ける。
「そう警戒すんな。――俺だよ。奉景だ」
マグカップを片手に、両腕を上げて俺は投稿のポーズを取った俺に、彼女は「その手に持ってるものはなんだ」と尋ねる。
それに、俺は少し口角を上げて。
「薬だ」
「なにを――」
「ご主人様を治したいんだろ? ――通してくれ、芹矢」
まっすぐに視線を向けると、彼女は少しの逡巡の後にため息をついた。
「灼苑様、水です」
そう言いながら、芹矢は布団に寝転がる少女のそばに、俺が持ってきたマグカップを置いた。
「……あいがと、せりや」
その幼い少女――灼苑は、荒く熱い息を吐いて、起き上がろうとするとゴホゴホと咳き込む。
「無理はなさらずに――」
芹矢の補助を受けながらもう一度ゆっくりと横たわる灼苑。その頬に、何かが光った。
ゆっくりとたれていくその粒は――どう見ても、涙で。
「……どうしたのですか」
芹矢が優しげに尋ねた。
「なんでもない。ただ、ただ――」
灼苑は言い切れそうもなくて……口をついて、彼女に尋ねた。
「死ぬのが怖いから、とか?」
「……いわないでよ、奉景おねえちゃん」
俯いて涙を流す、目の前の少女。
俺はただ、その背中をさすった。
――ただ、それしかできなかった。
「落ち着いたか?」
尋ねると、少女は緩慢に頷いた。
「……ほら、これ飲みな。薬だから」
そう言って差し出したマグカップに、彼女は首を横に振る。
「…………なんでか聞いていいか?」
「信用できない人から出されたものは飲んじゃダメって学んだ」
「そっかー……」
どうやら俺は信用されていないらしい。
それも当然だ。彼女とはまだ会って間もないのだから。
「そもそも、おねえちゃんってほんとうに奉景おねえちゃんなの?」
そう尋ねられる。俺は涼しい顔をして。
「どうしてそう思ったの?」
と聞き返した。俺もずいぶん、嘘をつくのがうまくなったものだ。
なお、内心冷や汗まみれである。そんな心の中を見透かしたように、少女は。
「だって、まえのおねえちゃんとすごくちがうんだもん」
なんて言ってくる。
俺は思わず聞き返した。
「前の奉景を知ってんのか」
「うん。……わたし、まえのおねえちゃんのほうがすきだったなー」
「……どんな人だった?」
そう尋ねると、彼女は少しだけ上を向いて、笑った。
「…………すごく優しくて、あったかい人だった」
後宮に来て間もない灼苑を膝に乗せて、よく絵本を読み聞かせてくれたという。
「――ここに来る前、すごく貧乏な家でがんばって必死にのし上がってきたって言ってた。わたしとおんなじだった」
奉景という女は確かに才能を持った天才ではあるが、その才能が芽吹くまでにはだいぶ四苦八苦したという。
まずとある商会に拾い上げられるまで自分の才能に気づくことはなかったし、本を出してからも口コミが広がって売れるまでに何年もかかった。最終的にベストセラーを獲得し皇妃の座をつかみ取るまでに七年、そのあと最後に出した一作も売れ行きは芳しくなかった。
対して目の前の少女は、正しく化け物だった。
宮廷の倉庫にしまってあるという自動人形は、一部に大人の手も借りたそうだが設計と大半の組み立ては自分で行った。その上で芸術性と革命的な技術力で評価され、無名から一気に皇妃の座を射止めた怪物だ。
努力と才能でなんとか勝ち取った座を圧倒的才能で易々と奪い去った少女。いったいどうしたら、嫉妬心を抱かずにいられるのだろうか。
しかし、奉景とは、そういう女だったのだ。
そんなことを考えて、俺はぽかんと口を開いた。
「…………やっぱり、偽物なんだね。おねえちゃん」
何も言えなかった。
本当のことだった。でも、認めたくもなくて。
ただ、黙っていることしか出来なかった。
偽物であることを認められるほどの強さがあれば、どれだけ楽だっただろうか。
「……はは…………ごめん。……俺、優しくなれなくてさ」
我ながら、ひどくカッコ悪い捨て台詞だ。
心の中で耳鳴りのように止まない自嘲。「じゃあ……お大事に」そう言い残して、俺は自分の部屋に戻った。
*
部屋に残された二人は、互いを見合って。
「……おかしい人」
灼苑は起き上がりながら少しだけ笑って、それから傍らに置いてあったマグカップを手に取る。
「いいのですか、灼苑様」
「いいの。……あのひとは、優しいってわかったから」
言いながら、ぬるいその中身を、少しずつすすった。
「……苦い」
「大丈夫ですか」
芹矢の心配の声に、灼苑はこくりと頷く。
「心地良い苦みだわ。美味しいわよ、このコーヒー」
「……そうですか」
「かわいそうな人だね、あのひと」
灼苑はふと口にした。
理由を聞こうとした芹矢。だが、その前に灼苑は言う。
「べつに、奉景おねえちゃんの代わりなんて、しなくてもいいのに」
「……そうですか」
「あの人は、あの人らしく生きていれば――きっと、もっと楽なんだろうけどね」
灼苑の言葉の真意を、芹矢は知らない。
されど、「何か」に苛まれるように痛々しく見えた彼女にこの言葉を伝えられないのが、少し歯がゆく感じた。