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#32 DISCOVERY


 人間ってなんだろう。


「人間……尊厳……」

 俺は独り、黙考していた。

「……なんで、書けないんだろう」


「何かけてるんですか?」

 机の横から、少女がのぞき込んできた。

「ってか、これウォークマンですか。めっずらしー。僕の世界じゃもうレガシーデバイスもいいところなのに……」

 異世界にもあるんだ、そういうの。いや、ある世界もない世界も同時並行で存在するんだっけ。

「でも不思議ですよね。ウォークマンは歩かないし、人でもない。まして性別という概念もないのに、なんでウォークマンなんでしょう」

「うっさいなぁレモン!」

「あ、気づいた」

 とっくに気づいとるわボケ。


「3.5ミリジャックとかも、もう僕のもとの世界じゃ、ヲタク向けのレガシーデバイスさ」

「なんだ? じゃあヘッドホンは何でつないでたんだ?」

「何もかも無線か、有線ならUSB一択。それも、九割くらいはタイプCだけ。特殊用途でもない限り、他は見かけない。ね、スマートでしょ」

「規格が乱立して面倒くさそうだ」

 そうしたヤマもオチもイミも無いくだらない話に興じているうちは、なんだか迫り来る現実を忘れられたような気がして。

「……あー……頭いてえ」

 頭痛によって、また現実に追い立てられる。

 このところ、日々はそれだけの繰り返しだった。


    *


 寝転がって天井を見上げると、無数の梁が張り巡らされて骨組みを構成し、その上に屋根が乗っかっている構造がよく見て取れる。

 部屋の中央にぶら下がっている燭台を最後に使ったのはいつか、もう覚えていない。


 ウォークマンに流す、二十年以上前のアルバム。俺があの世界に生まれ落ちる、たった数年前のCD。

 俺の敬愛するバンドが下火になって、迷走している時期のアルバムだそうで、大して評判がいいわけでもないらしい。

 なんというか、この音作りの裏に透ける、自棄になっているような、やさぐれているような感じが好きだった。

「でも、プロなんだよなぁ」

 自棄でも迷走してても、曲としての完成度は高いから、こんなにも支持されているのだ。俺とは――奉景とは違って。


 いま、奉景という名前のブランド力は圧倒的に低下している。

 何故なら、作品の質が低下したからである。


 そう、俺は失敗した。

 失敗した。

 失敗。

 敗北。

 失望。

 後悔。

 苦渋。

 絶望。

 鬱屈。

 希死。

 死ネ。

 死ネ。

 死ネ。

 死ネ。

 死ネ。

 死ネ。

 死ネ。

 死ネ。


「俺が全部悪いんだ」


 呟いたそのとき、コツコツと控えめに、扉を叩く音が聞こえた。

「入らないでくれ」

「……押し入らせてもらう」

「放っておいてくれよ!」

 怒鳴り、咳き込む。

 だが、声の主はそれを無視して、俺の部屋に入った。


「大丈夫か、奉景」

「どうしてこんなところに来た、皇帝サンよ」


    *


 部屋の中、俺は胡座で、皇帝と対峙する。

「どうしてこんなところに足を運んだんだ、皇帝さんよぉ」

「言っておるだろうが。――お前のことを心配し、非公式に見舞いに来たのだと」

 そうは言っているが、正直怪しいところではある。

 そもそも、こいつは皇帝本人なのか? 顔は歪んでるし――歪んでるのは俺の視界か――態度もなんか尊大だし――いつものことだろ――。

「そんなことをして、皇帝様には何のメリットがあんだ?」

「利権も利点もあるか。……ただ、お前の顔を拝んで」

「拝んで、なんだ? こんな無様な俺の姿見て笑おうってか? いい趣味してるぜ、皇帝ってのはよ」

「違うわ。勝手に納得するな。その上であざ笑っているのはどちらだ」

 単純に事実を述べただけでこの言われようだ。――当然だろ、熱で押さえが効かなくなってるのは俺だから。

 皇帝はため息をついて、「まあよい。病で頭が回らなくなることくらい、誰にでもある」と頭を振る。相も変わらず、態度の割に優しすぎるから脳がバグる。


「原稿は順調か?」

 そう尋ねられると、喉が締まるような思いがした。

 ……まだ白紙ですとは答えにくくて。

「……机の上に、草稿が」

 嘘は言っていなかった。だが、本当のこととも言いがたい。

 ――机にあるのは、まだ走り書き段階のもの。物語の体も成さない、プロットの前段階。

 書いては没にしてを繰り返している、そんなもの。

 皇帝はいつの間にやら机の上を見ていた。

「……んな面白いものはありませんよ?」

「そうか? 我にはそうは見えぬが」

 言われた意味がよくわからず、俺は首をかしげた。

「面白い物語の種ばかりで――いまにも芽吹きたがっているように見える」

「それらは徒花ですよ。――もうすでに、残骸です」

「残骸をも、別の形にくみ上げればそれもまた芸術だ。素晴らしくよく出来た残骸だと思うがね」

「なんの皮肉ですか」

「何を言っても皮肉と捉えてしまうのは実に勿体ない。感動を伝えるのも、実に難しいものだ」

 中身のない、生産性のない会話に少し嫌気がさした。

「何が言いたいんですか」

「……以前、自身の才能のなさについてぼやいたことがあっただろう」

 そういえばあったような気がする。

「しかし、直近の本を見ても、また目の前の紙束を見ても、とてもそうは思えない」

「……なにが言いたいんだ」


「要するにお前は、お前自身が思うより、ずっと価値のある人間だということさ」


 それだけ言って、皇帝は立ち上がった。

「ではな、奉景」

 そう言って彼は、ドアを開け。

「皇妃選抜、期待している」

 出て行った。


 出て行った皇帝を見送った直後、俺は息を吐いて、倒れ込んだ。

「……俺はそんな、たいそうな人間じゃないんだよ」

 天井の梁を見ながら、俺は呟いて。


 歯噛みした。

「…………悔しいよ」

 期待に応えられないことが。

 せめて、いまの病気が治れば、少しは考えられるはずなのに――。


『それ、叶えられるわよ』


 シス子の声がした。


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