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#31 prism


 ――どうしよう。

 熱に浮かされた頭で、ぼうっと考える。

 ――どうしよう、どうしよう。

 異常な思考。おそらくそれは、発熱のせい。

 ――どうしよう、どうしよう、どうしよう。

 ぐるぐるとした思考のループを断ち切るように、床の上、俺は寝返りを打った。


    *


 ――きっかけは、確か数日前のお茶会だ。


「……そろそろ作品書きはじめないといけないよな」

「当然ですの。皇妃選抜の締め切りはあと数月あるとはいえ――長編小説なんて、書いたことないのでしょう?」

 言われて俺は「ああ、確かに」と頷く。

 ……ランに触発されて、長編小説を書こうと決めたのは他でもない俺なのだ。

「そもそも、アイデアも無しに見切り発車で私を巻き込むんじゃないですわ」

「それはマジでごめん。でも、朔月はどっちにしろ皇妃選抜には出ないつもりなんだろ?」

「ええ。あのバカ殿と結婚するなんて二度とごめんですの。あんたの手伝いしてた方がまだ楽しいですわ」

 そうつっけんどんに言い放つ朔月。バカ殿呼ばわりされる皇帝はたまったもんじゃないだろう。


「にしてもこのお茶、めちゃうまいな。どこ産だ?」

 そう尋ねると、脳内で声が返ってくる。

『紅茶の国のとある島でのみ育てられる最高級茶葉ね。……それにしては雑味が少々多い気がするけれど……』

 なるほど。紅茶にはそこまで詳しくないが、なんかとっても高級らしいということはわかった。

「ありがとうございます。この茶葉は――」

 紅茶を持ってきてくれた給仕の女性が、恭しく頭を垂れ、説明する。


 そのさなか。

『……? …………!』

 シス子が何かに気づいたようだった。

『今すぐ飲むのをやめなさい。…………もう遅い、みた――』

 ざざ、とシス子の声にノイズが乗って。

「え? どうし……っ!?」

 困惑する俺の意識も、突然もうろうとし出す。

 目の前が、ぐるぐる回る。

「突然倒れてどうしました……のっ!?」

 朔月も同じように、倒れたらしい。

 ああ、頭がぐわんぐわんする。起き上がれない。意識が、壊れ――。


    *


「……毒を盛られたのか、俺」

 仰向け、天井を見上げながら、ぼうっと思考した。

 夜の縁。いまだ軋む頭を上げて、俺は深呼吸する。


「…………書かなきゃ」


 書いて、書いて、書かなきゃ、書かなきゃ――。

 焦燥感が俺を追い立てる。

 書かなきゃ。書かなければ。書け。書け。書け。書け。書け。書け。書け。書け。書け。

『落ち着きなさいよ、ばか』

 シス子の言葉。はっとして、俺は取りかけた筆を落とした。

 けれど、すぐに俯く。

「……書かなきゃ」

『あのねぇ。目的、忘れてないでしょうね』

「もく、てき」

 復唱して。

 中空を見つめた。


「……なんだっけ」


『書くのはいいけどね。でも、体調が良くなければいいものなんて書けないわ』

「それでも、書かなきゃ」

『布団を出して、身体を温めて、寝なさい。それが今あなたができる最善よ』

「でも……書かなきゃいけない」

『どうして?』

「書かなきゃいけないだろう!」

 もはや理由なんてこじつけをすることすら、面倒で。

 故に、俺は落とした筆を拾う。

 荒い呼吸。静かな夜更け。冷たい空気。響く、息の音。

「……書け、ない」


『ほら、言わんこっちゃない』

「笑うな」

『笑ってなんていないわよ』

「うそつけ」

『……変わってないわね』


 呆れたように鼻で笑うシス子に、俺はますます塞ぎ込む。

 暗い部屋の隅。

 どうしてこうなった。

 大事なときに限って、いつもこうだ。

 ……これが、現実か。


 この国の夏は短いようで、日本で言う秋はもうすぐそこまで迫っているようだ。

 海に遊びに行ったのがほんの一週間前だというのに、肌寒くて。

 一つくしゃみをした。


 手詰まりを感じた。そんな日のこと。


    *


「どういうことだ、斑鳩」

「何を怒ってるんでぇ、リーダー。……あの女中はしっかり仕事を全うしましたぜ?」

 吉谷里は激怒していた。

「毒の濃度、間違えただろう」

「いいえ? 間違えておりませんとも」

 しらばっくれる斑鳩に、吉谷里は怒鳴る。

「なら、どうしてあの廃妃どもまで死にかけている!」

 糾弾されると、斑鳩はにたりと口角を上げた。


「廃妃どもを殺したがっていたのは、あんただろ?」


「何を言っている」

「いつもあの廃妃たちに目くじらを立てて怒っていらしたのはどこの誰だい? ねぇ、あんたでしょう吉谷里さん」

「だからって、いま殺す必要は無かろう」

「評議会や皇帝に振る舞う前の試運転としてもちょうどいいだろうが」

「…………ッ」

 吉谷里は歯噛みした。――なにも、彼女らに死んでほしいわけではなかった。

 具合が悪くなって活動できないようにするくらいならまだ良かった。計画を邪魔されなければそれで良かった。だが。

「殺す必要は無くても、殺さない必要も無いだろ?」

 そんな言葉に、返せる言葉は一言もなかった。


「……解毒剤はあるんだろうな」

「在るわけねぇだろ。……あの量を飲んだら最期、長くて三日も経たず、苦しみながら地獄へ真っ逆さまさ」

「巫山戯るな!」

「よかったな、リーダー。――敵は居ないに越したことはないからな」

「……ッ」


 吉谷里はいま、天に唾を吐きかけるような怒りを、ただ呑み込むしかなかった。

 このときばかりは、奇跡を願わずには居られなかった。


(……何故私は、こうも彼女らの生存を望んでいるのだ)


 疑問の答えを、導き出せぬままに――。


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