吉谷里と斑鳩
某日。宮廷の隅にある男子寮。その一階最奥の部屋にて。
「よぉ、リーダー。今日はいつになく不機嫌じゃあねぇか」
吉谷里はその言葉に顔をしかめた。
「誰が不機嫌だって?」
「お前さんだよォ。ったく、このクソ不景気の中、そーなんのも無理はねぇって話だが」
「いちいち五月蠅い。斑鳩、少しは口を慎め」
そう呼ばれた、恰幅のいい無精髭の男、斑鳩。彼はため息をついて「あーったよ」と渋々了承する。
「で、何があったんだい、リーダーさんよ」
そう斑鳩が尋ねると、吉谷里は額に青筋を立てて、低い声でうなった。
「……あの廃妃め、今度は専属使用人をつけよった」
斑鳩は大笑いした。
「何がおかしい」
「たったこれだけのことで怒るのかよ! さすがに短気が過ぎるぜ! それともあのタヌキババアにお熱ですかい? え?」
「違うわ。ぶち殺されたいか、ブタルガ」
「おー怖いねぇ」
ちっとも怖くなさげに笑う斑鳩に、吉谷里は「まあいい」と嘆息した。
「あの無駄廃妃ども、最近調子づきよってからに。皇妃選抜も決まって浮かれているようだ」
「ヒッヒッヒ、まあまあ落ち着きなすれ。ほうら、酒も用意してあるぜ?」
そう言って斑鳩が出したのは、清酒だった。
「毒など入ってなかろうな」
「まっさか。『この瓶には』入れてませんぞ」
「……ほう」
吉谷里は口角を上げた。
「評議会のカスどもに振る舞う酒は決まったな」
「ええ。文字通り、一泡吹かせてやりましょうぞ」
「だがその前に、こいつの性能が気になる。……ほら、斑鳩も飲むといい」
「その言葉の後では少々肝が冷えますな。どれ、乾杯」
二人は小さな杯をコツンとあわせ、その中を一気に飲み干した。
「廃妃どもに茶を振る舞おう。――すべては、この国を正すために」
杯に隠れた斑鳩の口元が綻んでいたことを、吉谷里が知ることはない。
*
メイドたちの控え室
「
「あらあら、
長身の女性――第荘は、小さな少女を見てニタニタと笑っていた。
その少女とは、レモンのことである。しかし、その服装はいつもとはあまりにも違っていた。
一言で表すならば、白いキャミソール型のワンピース。しかし、肩紐やスカートの裾などにフリルがあしらわれている可愛らしいものだ。
「こんなかわいいの、似合わないって……」
照れるレモンに対して、第荘は親指を立てた。
「大丈夫、超キュートよ」
「ええ。ものすごくお似合いです」
第荘の横で、クラシカルなメイド服の女性――
「だいじょうぶじゃなさそうですけど!?」
「おっと失礼」
鼻血を拭う芹矢。
「アンタ、ちっちゃい子には目がないものねえ」
苦笑する第荘の言葉。一瞬遅れてレモンは戦慄した。
「……ぼく、二十三歳ですよ……?」
「それも『良き』です」
ドン引きするレモンに、第荘は「次はこれ着ましょ!」と別の服を差し出す。
「そういえば、ですけど」
芹矢はふと口を開く。
「第荘さんのファッションセンス、結構いいですよね」
その言葉に、レモンも首を縦に振る。
「いま着てるパーカーと黒いズボンとか、すっごくカッコイイし」
「あらそう? 照れるわ」
朗らかに笑う第荘に、レモンは告げた。
「第荘さんみたいな女性、憧れちゃいます!」
「アタシ、男よ?」
場の空気が凍った。
「え」
「着替えたら呼んで頂戴ね。それじゃ」
そうしてその美青年は颯爽とその場を立ち去った。
「うっそでしょ……」
唖然とするレモンの肩に、芹矢は「それじゃあ着替えましょう」と手を触れた。
*
後宮の野郎ども
「おっ、第荘」
控え室を出た第荘が目にしたのは、普段着姿の奉景だった。
「あら、奉景ちゃん。どうしたの?」
「なんていうか、アイデアが枯れててさー。なんか面白いもんでもないかって」
「作家も難儀ねぇ」
他人事のように笑う第荘。奉景は「そっちこそどうして廊下に出たんだ?」と尋ねる。
「いま檸檬ちゃんが着替えてるからよ」
「そっかー。……覗くか?」
「そんなことしないわ。男が女の裸を拝んでいいのは、愛し合うときだけよ」
「さっすが、紳士的だねぇ」
「……」
「……」
互いに見合う奉景と第荘。
「アタシが男だってのは秘密よ?」
「ああ。それはお互い様だが」
どうやら互いに正体を悟っていたらしい。
「折角だしよぉ、一緒に飲みに行かねぇか?」
奉景の誘いに
「ええ。行きましょ行きましょ!」
乗る第荘。
二人は肩を組んで食堂へと向かった。
数時間後。
「これ、なんですの?」
朔月が指さしたのは、ぐでーっと机に伏した男女二人。
「俺たちゃ、きょーからぁ、ダチ公だーっ」
「オッス! 奉景しゃんカックイイー!」
第荘は普段の上品な女性らしさが抜けていて、奉景はもはや酒に潰れたオッサンそのものであった。
「何をしているのだ……」
食堂に入った眼鏡の男――吉谷里はこの惨状に大きなため息をつく。
「第一、貴様らは皇帝に食わせていただいている立場だということをわきまえ」
「おうおう、吉谷里も飲むかぁー?」
「巻き込むな! おい、その蒸留酒の瓶を近づけるな! 誰か止めろ――!」
「ま、たまにはこういう日もあっていいかもしれませんわね」
朔月はそう言って笑いながら、目の前の情景をスケッチした。
他愛もない、宮廷の休日だった。