――ということがあって、今に至るわけだ。
「おーい! カトルもこっち来いよ!」
「や、ですよぉ……」
「なんでだ?」
外にいる女は、元男だと言っている癖に僕の気持ちをわかってはくれない。
彼女に僕は叫んでやった。
「こんな格好でっ! 外になんか行けないですよぉっ!」
白いワンピース型の水着。要所要所に飾られたフリルと、胸元には大きめのリボン。少し長めの髪はヘアピンで留められていて、顔は薄めの化粧で整えられていた。
「大丈夫だよ。くっそかわいいから」
「僕、男ですよ!?」
「だからこそ、いいんじゃないか」
「なに言ってんです!?」
かあ、と熱くなる頭。というか頬。奉景さんの言っていることが、耳には入ってくるのに理解が全然及ばなくてこんがらがりそうになる。
「あ、その更衣室はあと十秒で爆発するぞ」
「えっ」
瞬間、青ざめる僕。走って更衣室を出る。出てしまう。
「嘘だよ、ばーか」
そこには、黒い水着を着た奉景さんが仁王立ちしていた。
「……布面積、少なすぎませんか?」
彼女がまとう水着は、上下が別になったもの。胸だけを覆う布と、いわゆるショーツ状の下着。
「あ? この時代にビキニなんざねぇ? うるせえ。ここは異世界だぞ」
「だれに何を言ってんですか」
「神に文句」
相も変わらず訳のわからない人だ。
「いつものことだし気にしない方がいいよ」
奉景に最近ついた専属メイドの少女、檸檬もそう言って笑っていた。
「ご主人様の性癖……もとい、趣味に付き合わせちゃってごめんね。カトルさん」
レモンイエローのワンピース水着を着た彼女の純朴そうな微笑みに。
「……」
「あれ? どうしたの?」
僕はなにも答えることが出来なかった。
「…………なんで
そう言って更衣室から出てきたのは、朔月さん。ピンク色で要所要所にフリルが飾られた、こちらはレオタード状になった水着を着て、あまり日に当たったこともないであろう真っ白な肌を手でなるべく隠そうとしつつ、ジト目で尋ねた。
「親睦会だって。取引先との関係は良好に保っておきたいもんだろ?」
「そうは言ったって! 私、インドア派ですのよ!」
「……その割にノリノリで水着着ちゃってるわよこのお嬢様」
「うるさいですわ第荘! 可愛らしいお洋服を身につけて何が悪いんですのっ!」
朔月さんのお付きのメイド……メイドと言うにはやたらとガタイのいい競泳水着のおねえさん……え、おねえさんなのかなこれ……も、にこやかに笑って……。
え、なんでこっち見てるんです?
「仲良くしましょうね、お互いに」
なんか意味深に聞こえて、僕は口角を引きつらせた。
「……というかそもそも、ここはどこですの?」
朔月が質問する。
「星月国の東にある大国、『歴史の国』こと
「
「あー、あのあたりは結構良くない噂が飛び交っててまして」
信用できる情報筋曰く、大国との戦争を企てていて、その準備で忙しいらしい。
「個人旅行ならいざ知らず、あなたたちみたいな『国を代表しかねない人物』をそういった場所に送り込みたくはないですから」
「優しいんだな」
「国家間のいざこざには巻き込まれたくないので。
苦笑する僕に、奉景は「へー、大変なんだな」と他人事みたいに言った。
「……自分の立場わきまえてます?」
「あー、わーってるって。……俺たちが『そういう立場』だってことくらい」
言いつつ、彼女は手を振った。
瞬間、何かが目の前を過ぎ去った。
奉景の方を向く。……『何か』は、彼女の持った紙に突き刺さっていた。
「毒矢だな」
平然と口にする彼女。そのまま、彼女は砂浜の後ろ――茂った草の隙間に手を伸ばした。
「……逃げられたな」
草葉が揺れていた。ガサガサと音がする。
奉景は何かを拾いながら。
「レモン、第荘」
声をかけると。
『はっ』
二人の使用人は目と目で意思疎通し。
走って行く第荘。
何が何やらといった感じにキョロキョロと見渡す朔月。「伏せろ!」
ヒュン、と飛ぶ矢。
「カトルッ!」
反応が遅れた。
まだ立ったままだった僕。迫る、矢。
もう間に合わない――目を閉じた。
数秒後。
「――大丈夫か?」
僕に覆い被さって、奉景が倒れていた。
熱い砂浜を背に、抱き合う二人――。
「あたってます……その」
「仕方ねぇだろ。命を狙われてたんだから」
あっけらかんと言い放つ奉景。
「……あなたこそ、だいじょうぶですか」
「ああ。ちょっとかすめちまったけど……」
起き上がると、彼女のふくらはぎにかすり傷。……ぶくぶくと泡立っているように見え。
「ジンジンするけど、まあ……足だし」
笑う奉景の背後、ガサガサと草むらから何かが出てきた。
「誰だっ」
「ホウケイ……マイ……フレンド…………アイムソーリー…………ヒゲソーリー……」
ボサボサの髪。黒い肌。割れた腹筋。腰蓑。
手を上げて出てきたそれは、まさしくジャングルの原住民のようであった。
「え、誰?」
変な声を上げる奉景に、彼はガラス瓶から黄色い液体を出した。
「おい待て! 何をする気だ! まさかそれ――」
「サクサン」
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
なお、その液体はまさしくただの醸造酢であったことは後に判明するところである。
*
帰りの馬車の中。
「はぁ……助かったよ。原住民アニキ」
「ホウケイ……マイフレンド……」
聞くところによると、彼はかつて写真で見た奉景にガチで惚れてしまい、彼女を自分のものにする――拉致監禁する計画をずっと立てていたという。
「で、近くに来た僕たちをエイの毒針を使用した毒矢で殺して、奉景さんを連れて行くはずが」
「ココロヲヌスマレマシタ」
「その奉景さんに当たってしまったわけだ」
「だから、あの液体で消毒したというわけですわね」
「ガチのテロリスト一歩手前じゃないの。怖いわ~」
口々に状況整理する僕ら。
当の奉景はというと、あっけらかんとした表情で「まあまあ、助かって良かったじゃねぇか」と微笑む。
「ジャアワタシハコレデ」
逃げようとする原住民さんの首元を、奉景は掴んだ。
「それはそれとしてこいつは国にお持ち帰りだな」
「そうですわね。下手したら国家間のわだかまりになりかねませんし」
「……ホウケイ、マイフレンド。アイラービュ。ダカラ」
「許さねぇぞ? よい子のマイフレンドならブタ箱でしっかり反省しろ」
「…………アイ」
どうやら話はついたらしい。
「はぁ……それにしてもあんまり休めなかったな」
そんな奉景の言葉に、一同は頷いた。
「遊ぶ前に襲われちゃったもんね」
「海もほとんど水に触る前におさらばだったし」
「女体スケッチも全く出来なかったですわ」
「何しようとしてんだ朔月」
「チクワダイミョウジン」
「お前は黙れ」
「…………アイ」
ガラガラ音を立てて進む馬車。
沈む夕陽を眺めながら、一人物思いにふける。
(……僕、かわいいんだ)
いまも着ているフリルワンピース。その裾に少しだけ触れて。
窓に映る見慣れたはずの少年は、ひどく可憐に見えた。
これからまた『男』の日常に帰って行く。引き戻されていく。
なんだかそれが少しだけ、寂しく思えた。