「……はずかしい、ですよぉ」
突然だが、僕は何をしているのだろう。
目の前には海。海岸の砂浜。スカートが翻る。
「おーい! カトルもこっち来いよ!」
呼ばれる。黒髪の美女は、布面積の小さい水着から、無駄に豊満な肉体を存分に揺らしながら手を振る。
けれど僕は、そんな呼びかけに応答できない。
風が吹いた。
寒い。気温は高いはずなのに。体調も万全なはずなのに。
これは全部、服のせいだ。
……バサリとはためいたスカート。薄い下着――いや、水着越しに風が胸元まで通り抜けていく。妙な、スカスカした感覚には、まだ慣れることはない。
髪につけたヘアピンを触ると、僕が本当に「女の子」になったことを実感する。
いや、違う。僕にはまだ、小さな相棒がある。……だからこそ、余計に僕のしていることが「禁忌」なのだということを実感させる。
即ち、僕は女装していた。
何故こうなったかというと――。
*
時は三日ほど前まで遡る。
「カトル! 旅行でも行こうぜ!」
突如、大商館にやってきた奉景は、僕に会うやいなやそう告げた。
「なんですか、突然」
「だから、旅行だよ。海にでも行こうぜ」
「どうしてそうなるんです?」
苦笑する僕に、彼女は笑いながら告げる。
「いやさ、今度の小説で海とかの描写したいからさ。その取材っていうか?」
「一人で行けばいいでしょう。なんで僕を誘うんです?」
唇をとがらせた僕。彼女は数秒きょとんとして、「あー、伝わんねぇかー……」と溢す。
「本当は何をしたいんですか?」
そう尋ねると、彼女は少し声を潜めて告げた。
「……正直、そろそろ息抜きしたいでしょ」
そういうことかと僕は頷いた。
「疲れてきたからバカンス、ですか」
「そうそう。取材旅行って大義名分で、ちょっと遠出してみるのもいいかなって。カトルのとこって確か傘下に旅行代理店もあるだろ?」
「……まあ、国際的な流通の仕事なので、片手間ですが団体旅行の手配などは可能です」
「じゃあ、頼めるか? お金関係は俺が出すからさ。ついでにカトルも一緒に息抜きしようぜ」
僕は一瞬の逡巡の後に。
「こちらこそ、助かります。是非、一緒に行きましょう」
にこやかに笑った。
までは良かったのだが。
「言ったな?」「え?」
彼女は何やら大きめのバッグを取り出して、にやりとほくそ笑んだ。
「ところで、きみみたいな重要人物が町中をふらふら歩いてたらどうなると思う?」
「別にどうにも」
「ぶっぶー」
奉景は腕で×を出しながら告げる。
「正解は、悪い人に襲われる、でしたー!」
「いや、そうはならないでしょう。第一、僕が襲われたりすれば、きっとまた流通が混乱しますよ。その襲った人にとっても不利益です」
諭すが、奉景はこくりこくりと頷きつつも「でもな、襲う奴らはそこまで頭まわらねぇんだわ」と言い返した。
「そもそも、『トロイカの』流通を混乱させることによって利益を被る奴らだっている。――敵対企業、とかな」
僕はここで、自分の至らなさを自覚した。
「なるほど、競争相手の混乱に乗じて自社を伸ばしていくのは道理にかなっている」
「それに加え、この前の就任式で確かに味方を増やした一面はあったにせよ、同時に敵も増やしただろう。……あの質問攻めのオッサンとか、さ」
「彼らが虎視眈々と暗殺などのチャンスを窺っている、としたら……」
「そ、今回の旅行なんてカモがネギを背負って出てきたも同然。お前も俺もたちまちオダブツさ」
奉景は自分の頭に人差し指を当て、ちょうど銃を撃つような素振り。
「……とりあえずヤバいのはわかりました。でも、どうすれば……」
不安に震える僕の声。「そ・こ・で!」と、奉景はさっきの大きいバッグの中から一枚の布を出した。
「これを着てもらいます!」
ヒラヒラしたそれは、白いワンピースであった。
「……話、つながってます?」
「俺は大真面目さ。――つまり、変装だよ」
曰く、ある極東の島国に伝わる神話には、こんな言い伝えがあるのだという。
とある青年が、偉い人から命令を受けて荒くれ者を退治しようとした際のこと。
厳重な警備をかいくぐるため、祝いの日に、親戚からもらった女物の服をまとって周囲の目を騙し、潜入。見事その荒くれの討伐に成功したのだという。
それが関係あるのかどうかはちょっとわからないが、とにかく「性別まで偽れば、さすがにお前だと気づくものはいないだろ」ということであった。
「でも、さすがに気づくでしょう……」
「いや、カトルなら大丈夫じゃないか? だって顔立ちがかわいいし」
「へ?」
赤面する僕に、彼女はさらに追い打ちをかける。
「中性的ってか、ちょっと化粧すればマジ女の子同然だし。あと華奢でスレンダー。んでもって髪も男にしては長いしさらさらだから、ちょっとアレンジすれば女の子っぽく見える。美少女の才能あるわ」
「なにそれ、褒めてます?」
「うん。というかその顔赤くしてんのもくっそかわいいから。え、いままで自覚なかった?」
「ないですよぉ、そんなの!」
「とにかく一度やってみるか」
「ええええええ!?」
そうして僕は、衣服をひん剥かれた。
十五分後。僕は絶句した。
鏡に映った白いワンピースを着た美少女は、頬を染めて口を手で隠している。ちょうど、僕と同じ仕草で――その少女が『自分』なのだと言うことを強く意識させた。
「これが、僕……」
「ほら、かわいいだろ!」
そばで、僕をこんな美少女に仕立てた当人が、化粧道具を持って笑う。
「奉景さん……なんというか、やりますね……」
「元がいいからだよ。あんな美少年じゃなきゃ、こうはいかないぜ?」
そんな褒め言葉に、僕は再び頬を染める。
ドキドキする。……下がすごく心許なくて、上も薄いからほとんど裸な気がして……それ以前に、「イケナイコト」をしているような気がして。
「だいじょうぶ。すっごくかわいいよ、『カトルちゃん』」
心臓が跳ねた。
甘い声で囁かれたのだ。
まるでそれは、鏡の前の「彼女」が言っているかのようで。
「なんてなっ。……どうしたんだ? そんなに俯いて……」
後ろから聞こえる奉景の声も上の空に、僕は静かに悶えるしかなかった。