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#閑01 思い出屋・シフクノオト


 こんこん、と誰かが訪ねてきた。

「奉景さん、『おはようございます』」

 ……おかしいな、と俺は感じた。今は夜なのに。

 それ以来、無言。息を吐いた俺。何も言われないことを少し不思議に感じた俺は、ドアを開けてみることにする。

 そこには、正座した猫がいた。


「奉景さん、おはようございます。――思い出屋、と申します」


    *


 なるほど。猫は夜行性だから、彼にとって今は朝らしい。

 それがわかったのは、彼――思い出屋と名乗る不可思議な猫を部屋に入れた後のことだ。

「……本当に猫なのか?」

 いぶかしむ俺に、彼はんにゃはははと笑って。

「じゃあ貴女は人間なのですかい」

「当然だろ。……いや、どうかな」

「誰だって、本質は解らないものですよ。自分のものが、一番。ね、『お嬢さん』」

 意味深に呟く思い出屋。良い感じにはぐらかされた気がして、俺はうなだれる。

「で、要件はなんだい? 不思議な猫さん」

 そう尋ねると、彼はその目を薄く開いて俺を――その中に在る『俺』を見るようにして、告げた。


「思い出を、お届けに参りました」


「……思い出?」

「そう、思い出、です」

 ますます、わからなかった。そんな曖昧なものを、どうやって届けに来たというのだろう。

 そんな疑問を見透かしたかのように、目の前の猫はにゃははと笑う。

「早速、品をお出しいたしましょう」

 猫がパチンとその手――手というか前足の肉球というか、わからないけれど――を叩くと。

 ……いつの間にそこにあったのだろう。床に、風呂敷に包まれた小さいものがあった。

「さ、開けてみてください」

「お、おう」

 言われるがままそれを開けてみる。

 俺は目を見開いた。


 ウォークマンだった。青緑色で、小さくて、確か一番安いやつ。

 イヤホンがつながったそれの電源をつけると、見慣れた画面が広がった。

「……これ」

「あなたのもの、でしょう?」

 にゃはは、と笑った思い出屋。

 どこで手に入れたんだ。どうして手に入れたんだ。どうやって――そこまで聞こうとして。

 けれど、どこか年季の入った妙に手になじむそれは、まさしく「俺のもの」だった。


 まさしく、俺の前世の遺品だった。


「……本当だ」

 少し色あせた筐体。解像度の低い画面に表示される、かつて入れた曲の情報。

 疑問も、言葉すら、浮かんでは消える。何も言えなくなっていた。

 そっとイヤホンを耳に差し込んだ。すっと消える、周囲の音。ノイズキャンセリング。

 ポチポチと操作して、曲を流し始めた。

 短いイントロから、一気に広がる音の世界。

 Mr.Childrenのアルバム、シフクノオト。一曲目から、聞き入っていた。


 これをもらったあの日も、確かこんな感じだった。


    *


「ハルカゲ、十四歳おめでと!」

 施設。安いケーキに刺さったろうそくを吹き消した、あの日のことだった。

 広い大部屋。数人が一緒に寝る寝室で、小さな包みを手渡されたのだ。

「ヨータ……これ、なに?」

 その包みを手渡した、一つ下の親友に尋ねると。

「開けてみろよ。きっとびっくりするぜ? な、マコトっ!」

「うん。ヨータくんと、いっしょにえらんだから」

 もう一人の友人も、ベッドに腰掛けながら頷く。

 何が入ってんのかなぁ。びっくり箱とかだったらやだなぁ。

 ドキドキ半分、ワクワク半分。そんな心持ちで開けた包み。そこにはシンプルな箱。

「えぬ、だぶりゅー……ソニー。……これって」

 俺は目を輝かせた。

「そう、ウォークマン!」


 当時はまだ、毎年新型のウォークマンが発売されている頃だった。

「よく共用のパソコンで検索してたろ?」

 ラジカセの前でCDを流しながらぼうっとするのが好きだった俺は、いつか自分専用のオーディオプレイヤーを持つことが夢だった。

 そのころ、スマホなんてまだ高価で子供が持つものではなかったので、パソコンでiPodやウォークマンの情報なんて調べて、けれど自分じゃまだ手が出ないと諦めていたのである。

「二人でお金を出し合って、選んだんだ」

「大変だったんだぜ? 結構高かったし、どれ選べば良いかもわかんなくってさ」

 口々に話す二人の親友。よく俺とあわせて三バカと呼ばれる彼らにしては、とてもよく吟味したようで。

「……ありがと。ヨータ。マコトも」

 目を潤わせながら告げた言葉に、まだ幼い少年であったはずの彼らはニッと笑って。

「いいんだよ、おめでと。ハルカゲ」

 そんなことを言っていた。


    *


 あのあと、パソコンで四苦八苦して取り込んだ初めてのCDが、このシフクノオトだった。

 そんなことを思い出しながら、俺はイヤホンから流れてくる音の渦に涙を流していた。


 目の前で、猫は優しく笑った。

「お気に召しましたかな?」

 そう言っているようで、俺は思わず呟く。

「ありがとう」


 最後の曲が終わり、音が鳴り止んだとき。

 不意に、肩を叩かれた。

「奉景さん。その小さなものはなんですの?」

 振り向くと、少女がいた。

「……ウォークマンだよ、朔月。そこの猫が――」

 イヤホンを外し、思い出屋のいる方を指さすが。

「猫なんて居ませんけども」

「あれ?」

 気がつくと、彼は居なくなっていた。

 煙のように、香りも遺さず、ただ思い出だけを置いて。


「へぇ、音楽を流せるんですの」

「ああ。好きだった曲が……思い出が、たくさん詰まってんだ」

「聞かせてくださいましっ」


 気がつけば、朝日が昇っていた。

 朝の澄んだ空気に、俺は背筋を伸ばした。

 わずかな倦怠感に一つ息を吐いて。

 さ、今日も書くか。

 イヤホンを耳に、筆を執った。


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