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#21 少年少女の新世紀


「カトル新会長、どうかご決断を」

 俺は、歴史的な現場に立ち会っているようであった。


 三馬トロイカ商会、新会長就任式。

 彼は筆を執り、紙にサインをする。

 そして、宣言するのだ。


「――新たなる会長しはいしゃの誕生に、乾杯」


 司会らしい男が告げた。壇上に立つ、不似合いな礼服の少年が杯を掲げた。同時に俺たちも杯を掲げ――。


    *


 式はつつがなく進んだようであった。俺はそういった貴族文化をよく知らないのでこっそりシス子に立ち居振る舞いなんかを教えてもらったりしながらなんとかついていった。

 形式張った時間は終わりを告げ、祝賀会パーティーの時間となる。この商会のこういった式典は洋式らしく、俺も朔月も洋風の礼服パーティードレス姿で出席していた。


「赤いドレス、お似合いです。……多少、肌の露出は多いかと思いますけども」

 ぶかぶかのスーツ姿のどこかあどけない少年が、頬を染めながら話しかけてきた。

「一言余計だぜ、カトル。お前も、結構サマになってんじゃねーか」

 俺は苦笑しつつも答える。

「そう、ですかね」

 照れながら笑った彼は、大企業の社長というにはあまりにも親しげに見え――少し、頼りなくも見えた。


「カトル新会長、どうかご決断を」

 ふと、奥から老人が話しかけてきた。さっき司会をしていた男だ。

「なんです、アレクセイ。――あの話は」

 あの話? 向けた怪訝な目に、彼らは。

「……別室でお話ししましょう」

 どうやら逃げられたようだ。


「何を話してたんだろうな、カトルの奴」

 本人不在の中、俺はバイキング形式の洋食に舌鼓を打っていた。

「んまいな、これ……」

『西欧ブランド牛のステーキね』

「え、牛肉にしては柔らかくね?」

『最高級クラスの肉質よ? それに、シェフの火入れ具合も完璧ね。肉汁があふれ出てジューシー。塩だけでも十分食べられるほどには、最高の肉ね。美味しいわ』

 シス子、お前やたらと食レポ上手いな。自称システムボイスのくせに。

 それはともかくだ。

「……あの男は?」

『アレクセイ。トロイカ商会の副会長、つまり会長の補佐役として長年勤めている男よ』

「へぇ。……え、よく知ってんな」

『"システム"から直接情報を引き出せるのよ? 当然よ』

 ふふんっ、と自慢げに話すシス子。そのシステムとやらがどこまで有能なのかは知らんが、使えるものは使ってやろうじゃないか。

「じゃあさ、アレクセイが言ってた『決断』ってなんのことかわかるかな」

『わからないわよそんなの』

 システムの限界を見た気がした。あ、この生ハムも美味い。

 もきゅもきゅと生ハムを頬張っていたら、『でも』とシス子が何かを思い出したように口を開いた。

『数ヶ月前から、この商会に買収の話が持ちかけられているみたいね』

「それじゃん」


 聞くところ、どうもこのトロイカ商会は、いわば現代で言う経営コンサルタントみたいなものに目をつけられていたのだという。

 どうも、トロイカ商会の世襲やらなんやらの仕組みが現代的ではない、といった売り文句で。

「経営コンサルタント? 話が違うじゃねぇか」

『ところがそうとも限らないのよ。そのコンサルが経営に口出しするということは』

「ああ、そのコンサルが経営を左右するってことだよな。でもそれが――」


『もしその人が、敵対企業の回し者だったとしたら?』


 背筋に寒いものが走った。

 つまりは、敵対企業のいいように経営を揺るがされる。とんでもない大企業がほかの企業に牛耳られることの恐ろしさは、学のない俺でも容易に想像がつく。

 しかも、このタイミングでトップの交代。

「……ちょっとキナ臭すぎねぇか?」

 鎌倉幕府の執権政治が脳裏をよぎった。

 執権政治というのは、要するに「トップの人物の補佐役が実権を握る政治」。いまの補佐役であるアレクセイ爺さんまで殺されれば――その前に「どうするか」。

 実質一択の「決断」を強いていたわけだ。

 ……あの爺さんも、たった十五歳の少年に酷なことを強いるもんだ。いくら大人びてるからって、おいそれとできるもんじゃない。

 俺がなんとか出来ればいいが、残念ながら見守ることしか出来ないのが悔しい。

 さて、どうなるだろうか。

 大きなため息をついたそのとき。

「ちょっといいですか、奉景さん」

 そのカトルが、俺の肩を叩いたのであった。


    *


 さて。

 時間は一時間ほど進むことになる。

 明かりの消された会場。カッ、と音が鳴って、集光器スポットライトが壇上を照らす。

 そこに立つのは、この会の主催者。すなわち、カトル少年。

 最新の電子集音器マイクロホンに向かって「あ、あー。聞こえ……」と話すと、会場全体に不快な高音が響く。

 その音は、会場の人々の注目を一斉に集めた。

 壇上に立つ人物、そしてその背後に立つもうひとりの人物へと。


「あ、あー。今度こそ、聞こえますか」

 マイクの調整を行ったのだろう。今度は音割れも起こさず、若干のノイズを含んだ音が会場全体に響いた。

「本日はお集まりくださり、誠にありがとうございます。はじめまして、三馬トロイカ商会の新会長を務めます、カトル・トロイカです」

 挨拶から始まったその演説。

「この度、報告すべき事があり、急遽マイクを持たせていただきました」

 暗闇の会場、その中でほくそ笑む男の影。

 照らされた壇上。カトルはスポットライトの熱さと緊張に汗を流しながら、言葉を紡いだ。


「まず、わたくしは未熟者です」

 何を言ってますの、と困惑する声が聞こえた。

「自分で言うのもおかしな話ではあるかもしれませんが、事実として私は若輩です。まだ十五歳です。先代会長の父、ゲラルドゥスでさえ、会長を継いだのは数年の経験を積んだ後であったというのにです」

 会場にどよめきが広がるが、しかし彼の頼りない立ち姿から醸し出されるその説得力はきっと計り知れないだろう。

 だが俺は知っていた。彼はもう、世襲で継いだだけの飾り物ではないことを。


「ですので、後見人を立てることに致しました」


 さらなるどよめきが会場全体を包む。

 ……コンサルとやらがどんなヤツかは知らんが、きっとすごい笑ってんだろうな。その後見人が自分だと思って――勝ちを確信して。


「その後見人の名は――」

 カトルの背後から出てきたその人物は。

 赤いドレスを纏って、切れ長の目をした彼女は。


「――奉景、です」


 すなわち、俺だった。


 ああ、気持ちいいぜ。高みから見下ろす、人々の困惑を含んだ歓声は。

「何故彼女か。もっと他の選択肢があったのではないか。ご説はごもっとも。ただ、彼女を後見人に推薦したことには確固たる理由があります」

 青ざめたヒゲ面の男の顔が見えた。あれか、この会社をぶち壊しにしようとした男は。

 俺は侮蔑と優越を巧みに隠した微笑で以て、半ばパニック状態の会場を見下ろす。

 静かな混乱を鎮めたのは、国にすら認められた天才作家によって形を成した、少年の本心からの言葉。


「それは、信頼です」


「彼女と出会ったのはつい最近のことです。ただ、そのわずかな付き合いの中で、彼女からは多くのことを学びました。

 たとえば、仕事との向き合い方。世界の美しさ。

 そして、それ以上に、この様々な立場に置かれた自分を、なんの偏見もなく見てくださった方の一人でもあります」

 ……おいおい、こんな言葉台本にあったか?

「また、彼女はとても聡明な人物です。常に未来を見据え、その場その場で最善の行動を選び取ろうとする。そして、誠実に人々と向き合い、決して裏切ることはない。そういう方です」

 固唾を呑んで見守る人々。緊張に背筋を震わせつつ、俺も彼の一言一句一挙動を待つ。

「だからこそ、ビジネスパートナーとして、これ以上ない人だと、そう確信したのです」

 しんと静まりかえった会場。その中で、ヒゲ面の男が叫ぶ。


「だっ、だからなんだ! その信頼を裏切ったらどうする!」

 破れかぶれに見えるそんな質疑に、カトルはどこか余裕ありげに答えた。

「彼女がもし裏切って――仮に、わたくしたちに対して不利益になる行動をとったとしましょう。そうなった場合は、彼女を後見人から外します。容赦はいたしません。最悪の場合、生かしておくことすら許しません」

 息を呑んだ。怖いけど、それだけの信頼と覚悟が彼にはある。俺もそのつもりだ。

「……だ、第一ッ! その女にも実績などないだろう! 後見人など務められようもあるまい!」

「ええ。ただし、あなたよりかはまだ健全に――わたくしを生かしてくださると、信じております」

 実際、後見人としてやることは名前貸しくらいのことでしかない。実際の業務を行うのはカトル自身であり――後見人に口出しの権利などない。

「…………ッ」

「ご質問は以上でしょうか?」

「ふっ……ふざけるな! 俺は認めんぞ! せっかくの計画が――」

「……ご退場願います」

 そうカトルが言うと、彼に"質問"していた男は屈強な男たちに肩をつかまれ、どこかへ連れ出された。

 待て、やめろ、といった断末魔じみた言葉とともに退場するヒゲ面。なんというか、少しスッキリした。

「話を続けましょう。この件に伴い、トロイカ商会はこの星月国を正式に一つの拠点とし、さらなる物流の円滑化を目指し――」


 かくして、カトル・トロイカの決断は為された。

 ところで、俺は喫緊の問題を思い出す。


「後見人にも挨拶していただきます。では」

 ああ、ちょうどいいや。挨拶ついでにやってしまおう。

 俺はマイクを受け取り、「あっ、あー」と軽く声出しをして、話し出す。


「新しくカトルの後見人になりました、廃妃の奉景です。――早速だけど、この中に製紙工場の者はおりますか?」

 おずおずと手を上げた数人に向かって、俺は告げた。


「あとで、別室にいらしてください。――協力していただきたいことがあります」


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