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#20 独白:十五の夜


 僕は、父を超えたかった。


 三馬トロイカ商会。俗に『世界三大商会』とも呼ばれる、世界的な大財閥の一角。

 その跡取り息子である僕にかけられた期待は――たぶん、皆さんの想像を絶するものだと思う。その皆さんの想像がどんなものかを、僕は知るよしもないのだけれど。

 貴族の一般常識を身につける機関――『学校』と呼ばれる上級教育機関において、僕は中庸の烙印を押された。

 何をやろうともある程度で止まってしまう。最上位にならなくてはいけなかったのに。

 努力なら血反吐を吐くほどには――せいぜい血反吐を吐く程度しか出来なかったが、してきたつもりだ。

 努力不足。凡庸。――大財閥の頂点にするには、小さすぎる器。

 僕は生まれ持った『才能の無さ』に絶望した。


 だから、父を超えたかった。


 そうして世界をつかめば、誰かが僕を認めてくれると思ったから。

 誰もが僕を蔑視しているように感じた。誰も僕を認めない。許さない。

 存在を。生存を。

 僕は誰にも望まれていない。


 父を超えたかった。


 そうすれば、いやがおうにも何かが変わるはずだから。

 超えるべき大きな壁があった。


 そう、勝手に思っていた。

 なのに。十五歳のある日。


 その壁はあっさりと崩れ、壊れてしまった。


「……こんなん、ねーだろ」

 商館の裏は庭になっている。

 その狭い裏庭で、街の外とを隔てる柵にもたれ、僕は黄昏れていた。

 ……ほんと、あのタヌキジジイ。俺を散々否定しやがって。

 結局、逝くときはあっけないんだな。

 ――いろんなものを、押しつけやがって。

 覚えたてのタバコを吹かして。


「よっ、カトルくん」

 頬をはじかれた。隣を見ると。

「……奉景、さん」

「呼び捨てでいいよ」

「…………じゃあ、いまだけは」

 タバコをもう一度吹かすと。

「……おまえ、いくつなんだ?」

 そう白い目で尋ねられる。

「十五ですけど」

「わっかいなぁ……それでタバコって。尾崎豊かよ」

「オザキ……?」

「俺の生まれ故郷で昔流行ってた音楽家ミュージシャンだよ」

 そう言って、彼女は曲を口ずさんだ。曰く、『15の夜』というタイトルらしい。

 その曲の中の言葉の意味はわからなかったけれど、なぜだか胸にしみて、思わず空を見上げる。


 いつの間にか日は落ちていて、藍色の星空が広がっていた。やけにまぶしい満月が、僕の影を伸ばしてゆく。

「……自由、か」

 僕はふと、音楽の中に出てきた言葉を口にした。

「そんなもの、あるわけないだろ」

 ――僕はオザキユタカという人物を知らない。けれど、彼はきっと自分とは対極にいる人物だったのかと思った。

 自由になれた、幸せな男。

 権力や支配や様々な鎖に縛られて動けない僕とは、真逆の――。


 そこまで考えて、ふと自分の頭の上に手の感触があることに気づく。

「変なとこ真面目なんだな、お前」

 ……僕は一瞬、何を言われたのかわからなかった。

「ほう、けい」

 僕の開けた口に彼女は人差し指を当て。


「一緒にどっか逃げようぜ」


「はい?」


    *


 大商館とは反対側。広い城下街の北側には、山と言うには低すぎるが丘と言うには小高いような高台がそびえ立っている、らしい。

「ぜえ、ぜぇ……奉景。きみは体力バカすぎやしないか?」

「君が貧弱すぎるだけだよカトルくん。……ゆーて俺も普通に疲れたんだけどな」

 ここらで休憩しようか。彼女はそういった。


「この街にこんな自然豊かなところがあるなんて、知らなかったよ」

 高台の中腹。開けた場所。僕らは切り株に座って休憩していた。

「俺も知らなかったさ。地図で見て、情報としては知ってたけど……実際に見て感じると、やっぱ違うもんだ」

 そう彼女は息をつく。

 ……いままで意識していなかったが、改めてみると、この奉景という女性はたいそうな美人だ。

 月に照らされた艶やかな黒髪が、その整った横顔が、ふとしたときに見せる仕草が――友達にしか見せないような自然な笑みが、僕の鼓動をおかしくする。

「カトル?」

「ふぁいっ」

「なんだぁ? 俺に惚れたか?」

「……なわけ、ないだろ」

 惚れる、までいかなくても見蕩れていたのは本当だからなんとも言えない。

 強がって見せた僕を、彼女は笑った。

「なんというか、余裕が出てきたようでよかった」


 ここで初めて気づく。

 日常の些細な美しさに気づけるほどに、心の余裕というモノがでてきたことに。

 そして、いままでそれがなかったことに。


「……だから、なんだ」

 ほんと、余裕ができたから何が変わったかというと、何も変わったわけじゃない。むしろ現状は悪化している。

 きっと商館のほうは大騒動になっているだろう。なにしろ、大商会の会長になったばかりの僕が、逃げ出したのだ。

 逃げたところで今がよくなるわけでも、未来がどうなるわけでもないのは知っていた。

 拳を握って。


「なぁ、見てみろよ」


 いつの間にか立ち上がっていた奉景が、鬱蒼と茂った木々をかき分けた。

「……」

 立ち上がろうとしない僕の手を引いて、彼女は僕をその木々に押し込んだ。

 ――息を呑んだ。


「綺麗だろ」

 見えたのは、夜景。

 無数の点が集まった街の明かり。奥に見えるひときわ大きい明かりは大商館で、その奥には無限に広がる闇。

 見上げれば星々。その頂点に輝くやけにまぶしい満月が僕らを照らす。

 王宮や宮廷すら小さく見えるそのなかで、ちっぽけな僕はただただ息を呑むばかりであった。


「…………」

 そんな僕の様子を見てか、奉景は告げる。

「俺が思うにさ。お前は少し、逃げることを覚えるべきだ」

「逃げちゃ」

「ダメだって? どこのシンジくんだよ」

 本当に誰だ。その疑問を置き去りに、彼女は「いまだから言えるけどさ」と前置きして告げた。

「逃げちゃいけないことはたくさんあるさ。向き合わなきゃいけないことも、たくさん。……でもさ」


「それを、一気にやってのける必要なんて、全然ありゃしないんだよ」


「人には人のペースがあるし、できないことだってあって当然なものだ。それを一気にやって破綻をきたす方が厄介なことも世の中には多いんだよ

 なにより、張り詰めた糸は、簡単に切れてしまう。少し緩んでたほうが、意外と切れにくいもんだ」

「……何が言いたいんですか」

 長話に飽きて唇をとがらすと、彼女は少し笑って。

「ま、なんだ。あんまり深く考えすぎるなよ、少年。適度に息抜きして、人生楽しもうや」

 言いながら、僕の頭を撫でた。


 自由になれた気がした、十五の夜。


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