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#17 NOT FOUND


 その日。

「どうしたのですか、吉谷里様」

 カツカツと足音を立てながら、吉谷里は廊下を闊歩していた。

「なんでもない。黙れ」

 言外に滲ませた殺意に、部下の男は渋い顔をかみ殺しその場を後にする。


 廊下に並ぶ幾多もの扉。宮廷敷地内、男子寮・一号棟。

 女性給仕や廃妃たちの住む後宮よりさらに幾分簡素な――もっとも、それでもなお庶民よりかは圧倒的に整った設備ではあるその寮の、一階。奥まった一室。

 吉谷里の部屋は最上階である。もっとも、普段は帰ることのない場所で、手入れは名目上の妻に任せきりだが。

 ならばなぜこの場所に来ているか。その答えはまた単純なものであった。


「よっ、お堅いリーダーさんよ」

「五月蠅い。『俺』は気が立っているのだ」


 茶髪を刈り上げにした男がいた。

 麦酒ビールの瓶を片手に、干し肉をつまんでいた。

「これ、シュワシュワしてるぜェ? おもしれぇ~」

「飲み過ぎるなよ斑鳩イカルガ。あまり酔っては建設的な話ができん」

「わーってるって。だからそう青筋立てんなよ、リーダー。――国、ぶっ壊すンだろ?」

 斑鳩と呼ばれた刈り上げの男は、吉谷里をそう呼んでなだめようとして。

「五月蠅い」

 しかめっ面で、額に青筋を立てて、彼は嘆息した。


「あのクソ廃妃め。また余計なことをしよって」


 低い声で、吉谷里はそうぼやいた。

「外出ついでに孤児院を勝手に支援し、挙げ句の果てに弟子を取っただ? 巫山戯るのも大概にしろ、下郎風情が」

 静かな激しい怒りを湛えたその声に、しかし斑鳩は慣れているのか何も臆することなく尋ねる。

「作家が弟子をとるのなんて日常茶飯事じゃねーか。廃妃がってのはあんまし聞かない話だけどよォ? それの何が気に食わねーんだ?」

「全てだよ馬鹿たれ」

「落ち着けよリーダー、建設的になれてないのはアンタだぜ?」

 斑鳩は手に持った麦酒瓶を傾け、どこから出したのか――否、ずっと用意してあったグラスに注いだ。

「アンタに振る舞うために用意したんだ。ほら、飲め」

「……」

 ガラス製のグラス、そして麦酒。輸入品しかなく高価なそれを、斑鳩はわざわざ吉谷里のために用意したのだ。吉谷里も、そのことが理解できない男ではなかった。

 渋々口をつけたそれは、苦みの中にある鼻に抜けるような麦の香りと炭酸が爽やかで。

「美味いだろ?」

 笑う斑鳩に、吉谷里は軽く俯いた。


「あの方が知ったら、どんな顔をするだろうか」

 不意に吉谷里は口にした。

「あの方ってーと……皇帝サマか」

「ああ。……泣くだろうか、怒るだろうか。それとも――きっと」

 そう言って彼は不敵に笑う。

「知らねーが、いまはそれどころじゃねーんじゃねーの?」

「それもそうだな、斑鳩。……例の『工作』は済んだか」

 切り替える吉谷里に、今度は斑鳩が不敵に笑った。


「ああ、バッチリさ」


    *


 さて、俺だ。奉景だ。

 俺に弟子ができてから、また一ヶ月くらいが経った。


 今日もまた、こんこんとノックの音が部屋に響いた。

「おはようございますっ、奉景せんせー」

 多少舌足らず気味に、鈴の鳴るような声。声の主――ランは重い扉を開けて、部屋の隅で机に向かう俺に微笑みかけた。

「おう、おはよ。孤児院はどうだ?」

 振り向いて聞き返す俺。ランは事もなげに「変わってませんよ。良くも悪くも」なんて答える。

「いつも聞いてくるじゃないですか。変わってなんていないのに」

「ああ。でもまあ、何もないんならいいんだよ。……ただ心配なだけ」

 一度関わっちまったからには、責任をとらなきゃいけない。いや、それ以前に気に入った場所に何かあってほしくはない。それだけのことだが。

 彼女は頬を染めて、頷くばかりだった。


「にしても、ずいぶんと上達したな」

「せんせーも、ですよ」

 俺はランに詩作や小説を教える師匠という役回りに落ち着いた。表向きは。

 ――実情として、小説については俺が教わる側だったりするのだが。

 孤児院にやってきてから数年間、亡くなった神父さんの「本をたくさん読んで世界を知りなさい」といった助言に従ってずっと本の虫と化していたというラン。そのため、自然と文章や物語の運ばせ方を覚えていたらしく、俺が教えるまでもなくスラスラと高クオリティの文章を出力できていた。

 あっという間に短編小説を量産するようになっていたラン。俺はそれを読んで感想を言っていくのが恒例になっていた。


「四本目、どうですか?」

「いいじゃん。淡々とした口語調に滲ませた絶望感の表現とか、結構好きかも」

「改善点とかってありますか?」

「ないね。強いて言えば話が暗すぎることだけど、それもまた作風の一つさ」

「ありがとうございます! 次はもうちょっと明るい話を……」

「ま、無理して作風を変える必要なんざねぇよ。直そうとすればむしろ個性が薄れてつまらなくなりかねないし」

「へー……」


 こんな感じで。

 ちなみに逆は何度かあったし、なんなら今日もやったけど。


「じゃじゃーん、こっちも新しく作ったんだ」

「……短いですね。それに、話作りが雑。山場には欠けますし、文章は結構ストレートに心情を書きがちでスマートに見えませんね」

「うぐっ」

「話が無軌道に散らばりがちで、何の話をしているのかわからないことがあります。まずは小説の設計図プロットを書くことから始めてみては?」

「うぅ」

「あと、無理に難しい言葉で文章力のなさをごまかすのはせんせーの悪い癖です。いつもの言葉をそのまま文章にした方が、まだ伝わるかと」

「手厳しいよ!」


 こんな感じで涙目にされるのがオチだったりする。

 いやまあ、言ってることはわかるけども! なんなら、改善案も出してくれるあたりそこらのクソ上司とは比べものにならないくらい役立つ助言ですごい助かるけど!

「はい、じゃあプロットの書き方を教えてください」

 唇をとがらせてそんなことを言ってみたら。

「自分で最適な方法を見つけてください。人によって肌に合う方法は違ってくるので」

 なんて言ってくるわけで。

 俺はしかめっ面でため息をつき、その場の気持ちをメモしようと紙に手を伸ばすわけだ。


 で、伸ばした手が空を切るわけだ。


「!?!?」

 俺はドッキリにあった芸人みたいに紙置き場を二度見した。

 あると思ってた紙がない。文章を書くための紙が。

 え、マジ? もう紙使い切っちゃった?

 とはいえ、紙を切らすことはよくある話。

「ラン、ちょっとそこの棚を見てきてくれ」

「もう見てますっ! けど……」

 優秀すぎる弟子に感服しつつも、困ったような口調に嫌な予感を覚えた。


「貯めてあった紙、なくなってます!」


 俺は口をあんぐりと開けた。

「紙、ないじゃん」


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