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#9 Prelude


「ほう、朔月ショウユエ奉景ホウケイが」

「はい。その裏には北の国の商人が絡んでいるとの噂です」

 星月国、王宮。中央。入り組んだ廊下の最奥に存在する部屋。玉座に腰掛ける皇帝は、分厚い台帳をぱらぱらとめくりながら、確認するように告げた。

「オロスの三馬トロイカ商会か。確か朔月の取引先だったな」

「そこまで覚えていらっしゃるのですか」

 側近の吉里谷キリヤは驚愕に息を呑む。それを皇帝は一蹴した。

「当然だ。この国に出入りする商人は、つまり我が取引先と同義。取引の相手のことぐらい、覚えていて当然だ」

「相変わらず、人情に篤いお方だ」

 ――そんなことに頭を使うくらいなら、とっとと国の内情をどうにかしたらいかがですか。

 皮肉を胸に秘めながら、吉里谷は相も変わらずニコニコと――本当はストレスで口角が釣りあがっているだけなのだが――しながら、主の次の言葉を待つ。

「まあ、それ自体はどうでもよい。重要なのは、『奉景が活動を始めた』ということだ」

「それがいかがいたしましたか。あんな泡沫、なんの」

「吉里谷」

 呼ばれた男は、直ちに閉口した。数日に一回のやり取りに、しかし皇帝は。

「我が国の芸術産業の一角を担う泡沫など、無視できぬものだろう?」

 嘆息して告げる。何度も似たようなやり取りはしているというのに。

 吉里谷のほうもため息をついて、「特定の一個人の動向にそこまで目を光らすのもどうかと」と進言する。

 すると、皇帝は。

「……ああ、それもそうか」

 俯いて、その一言だけを返し。

 しばらくの静寂ののちに、告げた。

「彼女が息災だと、『俺』が嬉しい。それだけじゃあ駄目か」

「相変わらず、人情に篤いお方だ」

 またも皮肉のように口にした吉里谷。それに続けるようにして、皇帝は

「そのことはさして重要ではない」

 話題を変えた。

「重要なのは、長らく筆を置いていた彼女が、創作を再開した。その事実である」

「……廃妃は皆、国に認められた一流創作者トップクリエイターですからね。認めたくはないものですが」

 廃妃になった――一度でも妃になったということは、創作においてこの国の者たちに広く認められたという証左でもある。

 すなわち、廃妃=国を代表するトップクリエイターの称号に他ならないわけだ。

「一言余計だ、吉里谷」

 皇帝は吉里谷を口だけで咎めつつも、話をつづけた。

「ともかく、そのような者が新作を書き始めたことは、やがて市井に大きな影響を及ぼすだろう」

「でしょうね。多大な影響力を持つ彼女です。弁えて動いてくれることを祈りますが」

「弁える……だろうか、な」

 半笑いの皇帝。――あの無礼な奉景を思い出したのだろう。

 まるで、性格が変わったようだった。

 あの控えめでつつましやかで何も反抗しない、まるで人形のようだった彼女とは全くの別人であったように、吉里谷は感じていた。

 ……いやな予感がした。

「彼女の新作を皮切りにして、きっと世の創作熱は高まってゆくであろう。ああ、楽しみだ。――我が五人目の妃の、誕生が」

 いや、その予感は半ば的中しているも同然かもしれない。

「……失礼いたします」

 にたりと笑う皇帝。彼から背を向ける吉里谷の顔は、苦く歪んでいた。


    *


 同時刻。後宮。奉景の私室。

「あー……どーしよ」

 俺――奉景は、机の前で頭を抱えていた。

『どうしたのよ』

 シス子の問いに、俺は嘆息した。

「どうしたもこうしたもねーよ。――ぜんっぜんアイデアが浮かばねー」

 そう。詩のアイデアが浮かばないのだ。

 詩ってか、詩や小説だ。詩でもなんでも、文章を作りたい。

 ……というか売れるほど――本になるほどの量を作らないと、カトルや朔月に渡せない。

『仕方ないわよ。身体は覚えていても心はまだ素人なんでしょ? 数日前まで詩の一本も作ったことなかった素人が、いきなりプロレベルでモノを作れるわけないじゃない』

「ぐぅ……それはそうだが」

 言われてみればそう。俺は素人なのだ。まだ経験も浅いし、覚えていることも少ない。

 カトルと出会ったあの日からさらに何日か経って、何にもなかった部屋に最低限の執筆道具が揃った。

 机と椅子、それと筆記用具――それこそ紙と筆など、小学校の習字セットみたいなものだが――まあまあ上等らしいもの。

 後宮のだいたいの部屋の場所やなんかもわかってきて、ようやっとこれから新生活って感じだ。

 要するに、創作のことはあんまり進んでない感じで。

「うわぁー! どうしようもなくアレだ! 締め切りが……しめきりがぁ……」

「どうしましたのー?」

「うわぁっ!」

 バン、と扉が開く音とともに、飛び込んできたのは青みがかった黒髪をショートボブにしている少女、朔月。

「どどど、どうしたって……朔月こそどうしたんだ?」

「べつに、進捗を聞きに来ただけですの」

 すました顔で告げる彼女。顔を青ざめる俺。

「で、進捗はどうですの? まさか、進んでないってことは――」

 机の上の白紙を見て固まる朔月に、俺は「あはは……」と空虚に笑って――。

「ごめんなさい」

 ――土下座するほかなかった。

 それを見た朔月は、ため息をつく。

「はぁ……情けありませんわね。顔を上げてくださいまし」

 涙目で顔を上げた俺――の手を、朔月は引っ張って。

「仕方ありませんわね。行きましょう」

「どこへ?」

 この流れも二度目な気がする中、彼女はニコッと笑って告げた。

「デート、ですわっ!」

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