「……すっげー」
俺たちは王宮の書庫に来ていた。
書庫、とはいっても意外にきれいに整備された図書館のようなところ。王宮内とは言いつつも実際は敷地内の少し離れた場所に建てられている、王宮とは別のバカでかい建物だ。
ちなみに城下町の市民にも一般開放されてるとかなんとか。その割に人いないけど。
俺たちの背丈を優に超える「小説」の棚。その中でも、「彼女」の名前の入った本は多くの面積を占めていた。
具体的には両手を目いっぱい伸ばしてもぎり届かないくらいの幅を、足元から一番上まで。
「何冊かは抜けてますわね。まあ、貸し出しでもされてるのでしょう」
「これでも!?」
「重複している本もいくつかありますけれど、全部ではございませんわね」
あっけにとられる俺を横目に、朔月は背伸びして……手をプルプル震わせて動けなくなって。
「えーっと、これか?」
「……その二段上の、一つ右ですわ」
「おっけー」
彼女が手を伸ばした先にあったその本を、ひょいっと取ってみせる俺。
「…………いまのどうやりましたの? あなたの背丈も優に超えていたと思うのですが」
「跳んだだけだけど」
「すさまじい運動神経ですわね!?」
まあ、倉庫作業のバイトで脚力ついたし。関係ねーか。
ともかく。
「これ……」
「その本はお姉さまの比較的初期の作品集ですわ」
「初期って言うと」
「だいたい十歳以前ですわね」
「初期すぎだろ」
「最低でもこのレベルでモノが書けなければ話になりませんわ」
そう言われ、そうかそうかと俺は本を開き――そっ閉じした。
「どうしましたの?」
「……おいおいおい、これは……レベルが違いすぎるだろ」
結論から言おう。
子供の文章だからと侮ってはいけなかった。
なんというか、俺には到底理解が及ばないような素晴らしい比喩表現で以て情景を描写していた。
一部分を引用することすらおこがましい程度には素晴らしかった。すなわち。
「書けます?」
「できるか!」
再現できるもんじゃなかった。
天才とか神童とかそういうたぐいの、年齢にそぐわぬ文章力。類まれなる感性。どれをとっても唯一無二であることがわかる。
「当然ですわ。奉景お姉さまというのはそういう存在――真の天才ですもの。わたしとは違って」
その言葉は過大評価でもなんでもなく、紛れもない「彼女」への正当な評価であり。
俺のいままでの自信を打ち砕くのにも充分すぎた。これになりすまそうだなんて、何を考えていたんだ俺は。
頭を抱えた俺に、朔月は「安心してくださいまし」と声を掛ける。
「実際、初期の作品は難しい言葉で誤魔化されているだけですわ。文体はその頃から完成されていたけれど、内容や文章自体は後年のもののほうが意味が通っていたりわかりやすいものが多いですわ。いわば大衆に迎合していく方向に洗練されていったとも言えますわね」
「へー……よく知ってんな」
「ファンですもの。当然ですわ」
ファンと言うよりそれはもはやオタクという域に達しているのではないか。いや、言わないけど。
「ま、やってみるかーっ」
俺は背伸びをして、あたりをキョロキョロ見渡した。
「……やってみるって何をですの?」
「文体模倣。よーするに文章を書いてみるってことよ」
「さっきできないって」
「できる気がしないってだけで、やってみたら案外できるかもしれねーし。自慢じゃないけど、これで今までできなかったことなんて一度もないんだぜ?」
ニッ、と笑った俺に、朔月は目を丸くしていた。
「どーだっ!」
そう言いながら、俺はその紙を朔月に見せる。
「……フッ」
鼻で笑われた俺は「ぐえー……何がいけなかったんだ……」とうなだれた。
書庫内、日本の図書館にもあった自習室らしき広い部屋。その机の上、置きなおしたその紙には、ほぼ明朝体くらいのやたら丁寧な字でこう書かれていた。
【山があった。青々とした山があった。ただ、山があった。山があった】
「いい詩だと思ったのに……」
「ふざけてますの!?」
本気も本気なのだが。
「だってさー、あの本にも似たようなこと書いてあったじゃん」
「小説の情景描写と詩の一文を同じだと思うほうがおかしいですわよ!」
言い訳する俺にぴしゃりと指摘する朔月。それもそうか……。
「……ってあれ小説だったの?」
「めくったページは短編小説の部分ですわよ! 詩は巻末ですわ!」
そうだったのか。文章が美しすぎて詩だと勘違いしてしまっていた。
「詩っていうのは、要するに日々の感情や思ったことを美しい言葉にしたものですわ。こんな稚拙な情景描写だけじゃとても詩とは言えませんの」
「はえー……」
ほうほうと聞いた俺は、すぐさま新しい紙を取り出して。
【うぜえ】
「ちょっとは真面目にやりなさいなっ!」
声を荒げる朔月に耳をふさぐ俺。書いた紙をくしゃくしゃと丸めて、ため息をつく。
「わーったよ。しゃーねーなー……。ちょっとどっか行っててくれ」
「本当にまじめにやるんですの?」
「やるよ。やるから。見られてると集中できねえんだ」
俺の言葉に、不承不承といった感じで朔月は自習室を出ていった。
さて、何時間経っただろうか。
「――――けい――さん……奉景さん!」
呼びかけに、俺ははっとして筆を動かす手を止めた。
「そろそろ閉庫時間ですわ」
「……何時間やってたんだ、俺」
「およそ半日以上ですわ」
「まじかー……腹減ったー……」
背伸びをして、俺は席を立つ。
「……」
あ、の口をして固まっている朔月を横目に。
大量の丸まった紙が散らばった机回りに、少しだけ憂鬱な気分になって。
「片付けねーと、な」
朔月がその丸まった紙の一枚を拾い上げて。
「それ、うまくできなかったゴミだから」
何気なく言った俺の言葉にも目をくれず、彼女はその一枚を穴が開くほど凝視して。
やがて、一言口にした。
「これがゴミなら、お姉さまの作品はどうなりますの……?」
その紙には確か、こう書かれていたはずだ。
【ドブの世界、暗中模索
手を伸ばす。闇の中で
まだ何もやっていない
滲んだ血、傷口を舐め】