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#2 Hello,World!

『あーあ、嫌われちゃったわね』

 うっせーよシス子。

 俺はとりあえず、その場しのぎの行動を考える。土下座? あるいは裸踊り……はさすがに空気読めなさすぎか。

 外面を取り繕う笑顔で固まった俺。従者の男は「……至極まっとうなお叱りを賜れてよかったですね、廃妃サマ」とにっこり笑って告げるが。

「そこまでにしておけ、吉里谷キリヤ。行くぞ」

 皇帝にとがめられ、「……はい」とかすかに眉をひくつかせるその吉里谷という従者の男。それを横目に、皇帝は俺を一瞥し……固まる。

 まったく笑顔を崩さずに怯える俺を彼は見つめて。

「……貴様、奉景か」

 驚いたように口にした。

「久しい。『あれ』から後宮に籠り、何かをしていると聞いたが……ついに」

 ……ついにってなんですか、皇帝閣下。

 口を閉ざした彼に、つい言葉が漏れる。

「えーっと……俺の身体になんかついてます?」

 尋ねると、彼は怪訝な目をして。

「……服がひどく汚れておるではないか」

 そう切り出す。確かにツタを抜けるときに汁とか棘がついちゃったけど。

「肌も異様に白い。口調も変だ。そもそも下着姿で何をしておったというのだ」

「えーっと……」

 やましいことは何にもしていないはずだが、彼の放つ異様な威圧感のせいでなかなか言い出せない。

「髪の手入れもあまりされていないように見える。お前らしくもない」

 言われましても、俺はあなたの知ってる「お前」とやらを知らないのですが。というか。

「そうまじまじ見られると……その、恥ずかしいんですが」

 白い着物の下着のはだけていた胸を隠しつつ告げると、彼は「もっと早く恥を知れ」と呆れながらツッコミを入れ、ため息をついた。

「そもそも、我とお前はすでに体を重ねた仲。今更裸体を見せた程度で、恥じるでない」

 ……は?

「かか、体を重ねたって……その、つまり」

「……いちいち言わせるでないわ、痴れ者め」

 俺はうつむき気味に、口に手を当てて、脳内の謎の声に呼びかける。

「ちょっと待て、話が違うじゃないか」

『何が違うってのよ』

「言い方的に身体を重ねたって、その、つまり――」

『つまり、なによ』

 疑問符を浮かべるシス子に、俺は声を押さえて告げた。

「――もうすでに結ばれてんじゃん」

『ま、そうとも言えるわね』

「落とすって話はどうなってんだよ。落とす前に既に落ちてるじゃん。転生ポイント貯めらんねーじゃん。こっからどうやって――」

『落ち着きなさいな。というかあんた童貞ね? えっちのコト濁して言うってことは』

「うっせばーか! 体ないくせに!」

『あるし! ないわけじゃないし!』

「じゃあいま出してみろよ!」

『いまは出せないし! というかこの文脈で言うってことは……えっち! へんたい! ロリコン!』

「ちげーし! ち、ちげーしっ!?」

「落ち着け、誰と話しておる奉景」

「ほっ、包茎じゃねーし!? ……はっ」

 やっべ、最後のは皇帝だった!

 脳内の声と口喧嘩していたことに気づいて、俺は急激に頭を冷やす。が、後の祭り。

「……やはり、気が触れてしまっておるようだ」

 皇帝は、呆れたように口にした。

『とりあえずごめんなさいしなさいな。詳しい話は後でしてあげるから』

 マジか。ありがと。

 心の中で告げる中、皇帝は指示を出す。

「吉里谷、とりあえずこやつを浴場にでも連れてゆけ」

「ハッ。座敷牢でなくてもよろしいのですか?」

「よい。どうせこやつの住処は座敷牢とそう変わらぬ。その汚らわしい身なりをどうにかさせるのが先決だ」

「ハッ」

 吉里谷と呼ばれた従者の男は俺の腕を乱暴に引っ張る。俺は不満げな顔をしつつ、けれども仕方ないので大人しくついていくことにする。

「よかったですね、皇帝が寛大なお方で。お前のような輩など、やろうと思えば簡単に」

「吉里谷、言葉は慎め」

「……わかってます。ちっ」

 いまコイツ舌打ちしなかったか?

 やれやれと額を押さえその場を後にする皇帝を背にして、俺たちは歩いていった。


    *


「ほら、風呂だ。畜生には勿体ないが、皇帝の指示故、『特別に』使わせてやる。その臭い身体を洗い流せ」

 特別に、というのを強調して投げかけられる言葉。俺は服を剥かれ、一畳ほどの浴室に放り込まれる。

「皇帝は貴様ら廃妃を丁重に扱うが、俺は認めんからな」

 捨て台詞とともに戸を閉める吉里谷。扉越しにあっかんべーと舌を出す俺。

「何を認めねぇんだよ。人権か?」

『ま、基本的人権なんてない世界だからね。仕方ないわ』


 シス子にお湯の出し方や身体の洗い方なんかを教わりながら、四苦八苦してどうにか全身を洗いきり。

「はー……」

 俺は木製のちいさな浴槽に張った湯に浸って、ほうっと息を吐いた。

「ようやく落ち着ける」

『そうね。あー、疲れた』

 シス子の疲れたような息。お前がそんな疲れるようなことってあったか?

『あんたのせいよ』

 妙な納得とともに、俺も腕を上げて伸びをして。

「で、詳しい話を聞こうじゃないか」

 浴槽のふちに頬杖をついた。

「まず廃妃ってなんだ? なんで俺は一度体を重ねた相手をまた落とさなきゃ――」

『はいはい。落ち着きなさい。順番に説明するから』


 ――廃妃。それは、一度皇帝の妻、つまり妃になって、離婚した者のことらしい。

「ってことは俺、あの男から捨てられたってこと?」

『せーかい。でも、この世界の王妃のなりかたは恋愛じゃないの』

 この星月国では、芸術で成果を上げれば、身分も容姿も関係なく妃になれるのだという。

 つまり、皇帝が気に入らなかったとしても妃にはなってしまうというわけで。

『一生の衣食住の保証はされるけど、皇帝からの愛は保証されないわ』

「あー、それで気に入られずに捨てられちゃったのが俺――この体の持ち主ってわけ?」

『そ。こうして廃妃になった子がこの国の後宮には何人かいるわ』

「俺だけじゃないんだ……」

 呆れながら口にして。

「んで、なんでその皇帝を惚れさせなきゃいけないの?」

『転生ポイントを稼ぐためよ。さっきも言ったけど』

「なにそれ」

『だから、転生ポイント。ミッションを達成したらもらえるポイントで、様々なアイテムやスキルと交換したり、使う量によってはどんな願いも叶えられたりするやつ。知らない?』

「なにそのゲームみたいなやつ」

『知らないのね。まあいいわ』

 一息ののちに、彼女は話を再開する。

『で、それを五千ポイント集めれば、元の世界に帰れるわ』

「それマジ?」

 食い気味で問うと、彼女は大まじめな声音で。

『マジ。どんな願いでも叶うって言ったでしょ?』

 と答える。俺はガッツポーズ。

『そんで、ミッションの一つ〈皇帝を惚れさせて落とす〉の達成報酬が』

「五千ポイントってわけ?」

『察しがいいわね』

 そういうことよ、と肯定するシス子をよそに、俺は続ける。

「つまり、そうしてまで皇帝を惚れさせたい理由があると」

『察しがよすぎるのも考え物ね』

 苦笑するシス子。

「で、その理由は?」

 俺の問いに、彼女は一つため息をついて答える。

『残念ながら、“上”からの命令だから真意は分からないわ』

「上ってなんだよ」

『上よ』

「上か」

 上らしい。

 なんかいい感じにはぐらかされたが、ともかく俺の最終的に成すべきことはわかった。

「さーて……これからどうしよ」

 ほうっと吐き出した息は、狭い浴場に少しだけ響いて。

『ミッションは〈皇帝落とし〉以外にもいっぱいあるし、別に〈皇帝落とし〉以外でもポイントはたまるし。着実に頑張っていくことね』

「めんどくせ……がんばろ」

 ちいさな決意は、どこに届くわけもなく、空気を揺らして消えていった。


    *


「……皇帝よ、正気ですか」

「ああ、正気である。ああ、断じて正気だとも」

 星月国、王宮。中央。入り組んだ廊下の最奥に存在する部屋。

 黒い髪をした若者――吉里谷は、その人物に尋ねる。

「ならばもう一度……今一度、仰っては頂けませんでしょうか」

 広々とした部屋。赤い絨毯の敷かれた中央に置かれた玉座に座る金髪の青年は、口端を歪めて言い放った。


「ああ――近日中、皇妃選抜を行うと言うておるのだ」


 皇妃選抜。それはつまり、皇帝の妻を決める催し。

「失礼ですが……太陽様、これで何度目でしょうか」

 そう尋ねる吉里谷に、皇帝は淡々と答える。

「この玉座に座ってから実に四度目になる」

「やり過ぎです。いい加減、後宮に穀潰しを増やすような行為は――」

「吉里谷」

 皇帝に名を呼ばれ、彼ははっとして口をつぐむ。

「……しかし、お前の言い分も判らないことはない」

「今日会った一度目の女のことですか」

「吉里谷、次はないぞ」

 そう何度聞いたか、吉里谷はもはや覚えていない。

 少し間をおいて、皇帝は俯き加減に続けた。

「……しかし、彼女を狂わせたのは私やもしれぬ」

「何故そう思うのでしょう」

「彼女が後宮に籠ったのは廃妃になってからだと聞く。結果として、廃妃という立場が彼女を狂わせたのであろう」

「であればなおさら――」

 これ以上、廃妃を増やすべきではありません。そんな提言を遮り。

「故、再び機会を与えたいというのは――『俺』の、傲慢だろうか」

 まっすぐ吉里谷を見つめて告げられる言葉。

 目の前の金髪の男が「俺」と言うときは、彼が「皇帝として」ではなく「一個人として」の思いを告げるときである。

 皇帝としてのものであれば確実に咎めたであろう言葉に、けれど吉里谷はかすかに眉をしかめ。

「……あなたは優しすぎるのだ」

 そう小さく呟くのみだった。

 金髪の青年は視線を落として、一息ののちに口を開く。

「なにも、いますぐにではない。だが頭には入れておくがいい」

「こんな戯言、きっといますぐにでも」

「いいや覚えておけ。これは絶対である。何故なら――」

 そしてもう一度、皇帝は息を吸って、告げた。


「――何故ならば、皇妃選抜はこれで最後にする故、である」

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