目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第39話

 少しずつ生活に必要な物品も揃ってきて、新生活は快適だ。

 身の回りの小物でも、自分の趣味で置くことが出来るのは小さな幸せだと思う。

 時間も空間も自分のためだけに使えることが嬉しい。


 秀平さんと暮らしていた家は広かったけれど、どこか冷たい空間だった。

 常に家が綺麗で整理整頓されていないと秀平さんは機嫌が悪くなったし、そのくせ自分では何もしない。片付けや掃除は自分の仕事じゃないなどと言い張っていた。

 以前の私は、秀平さんに尽くすことが幸せだと感じていたけれど、本当に愚かだった。

 今はその呪縛から解き放たれて清々しい気分だ。


 裕也さんからは定期的にメッセージが来ている。

 朝は「おはよう」夕方には「今日はどんな日だった?」夜は「おやすみ」から始まる短い会話。

 すぐに返信が出来なくても怒ったりしない、穏やかなやりとり。

 秀平さんとは人間の大きさが違うのだと実感をする。


「週末、お会いする時間はありますか?」

 自然な流れでお誘いがくる。

「そのことなのですが、私の親友もご一緒しても大丈夫でしょうか?」

 そう返信して、裕也さんの反応をみる。

 すぐに既読が付き、ほどなくして返事がきた。

「もちろん、かまいませんよ。香澄さんのご友人なら歓迎します」

 ほらね、やっぱり裕也さんは信頼できる人よ。

 私は嬉しくなって、すぐに初音に連絡をした。


「ねぇ香澄、なんだか恋しているみたいに弾んだ声だよ?」

 初音に、そんなふうに言われたほどだった。

「やだなぁ初音、そんなんじゃないよ。でも新しい出会いはワクワクするでしょ。これからは人脈づくりも必要だしさぁ」

「そうだねぇ」

 それから、初音や裕也さんとやりとりをして、日程や時間、場所の調整をした。


 そして、三人での食事をする予定の前日の夜に初音から連絡があった。

「ごめん、香澄」

「どうした?」

「やっぱり明日は行けない」

「え、なんで?」

「お父さんが、ダメだって」

「そっか、私が一緒だって言っても?」

「言ったよ、でもやっぱり夜に出歩くのはダメだって」

 全く、どれだけ厳しいのよ。

「私が話そうか? きちんと私が初音を送り届けるって言えば安心しないかな?」

「ううん、いいの。あんな父親と話すだけ時間の無駄だよ。きっと香澄に酷いことも言うだろうし、嫌な気分になると思うから」

 香澄に嫌な思いをさせたくないの、と言う。

「あぁ……」

 もう、いろいろ察してしまう。

 初音が今まで、どれだけ傷ついてきたのか。それが自分の育った家庭内でのことなのだから、どんな気持ちなのかとか。

「うん、わかった。明日は私一人で行ってくるね」

「うん、ごめんね。その裕也さんっていう人にも謝っておいて」

「うん、そうする」

「それから」

「ん?」

「くどいようだけど、気を付けてね」

「え?」

「もし、もしね。二人で会った時に口説かれたりしたら……」

「わかっているよ、変なことされそうになったらぶん殴ってやる」

 ふふって、初音が笑った声がした。

 今、どんな表情をしているのか、なんとなくわかる。長い付き合いだから。

「だからもし、裕也さんが紳士的にデートを終わらせてくれたら、今度こそ信じてあげてね」

「うん、わかった」

「じゃ、また報告するね!」



「そうなの、お友達は来られなくなったの?」

 翌日、裕也さんに会って初音のことを伝える。

「初音も残念がっていたの、約束を守れなくてごめんなさいと謝ってもいたわ」

「それは全然いいよ、それにしても厳しい家柄なんだねぇ」

 詳しくは話さなかったけれど、初音の家の事情は理解してくれたようだった。

「よほどのお嬢様とか?」

「というより、箱入り娘かな」

「なるほど、親の方に問題がありそうだね」

 こうやって、一を聞いて十を知るところが、ますます好感度を上げるのだと思う。

「そうなのよ、なんとか初音が自立出来るように、私もいろいろ声をかけているのだけど」

「親が子供の成長を邪魔するなんてナンセンスだよ、僕も何か手伝えることがあればするから、遠慮なく言ってくれ。そうだ、今度はお昼に三人で会おうよ。それならハードルは下がるだろう?」

「あ、それ。私も提案しようと思っていたの。是非、初音に会って欲しい。きっととっても自立の刺激になると思うの」

「刺激って?」

 今までは私の話をウンウンと納得していた裕也さんが、初めて不思議そうに聞く。

「なんというか、家の事情ももちろんあるけど、初音自身にも多少は問題があるのよ。それは初音らしい優しい性格のせいもあるのだけど……私は、裕也さんのような人と話すことで良い方向に刺激になると思っているの」

「ほぉ、それは嬉しいな。なんだかわからないけど、僕は評価はされているのかな」

 ニコニコと人好きのする笑顔で嬉しそうにする。


 その後も、いろんな話をして食事を終えた。

「もう一軒どう……と、言いたいところだけど、今日はもう遅いし家まで送るよ」

「あっ、そうね。明日も早いし」

「今度は、初音さんも一緒に。そうだ、前に言っていたデイトレの見学でもどうですか? 初音さんも興味あればだけど」

「それは、いいわね。きっと喜ぶ。でも一応聞いてみるわね」

「ええ、もちろん。では、行きましょうか」


 ほら、初音の心配は杞憂に終わったわよ。

 安心した? でも私はなんとなく寂しくも思う。

 私って、そんなに魅力がないのだろうか?

 少しくらい口説いてくれたっていいじゃない、そんな風に思ってしまう。


「ではまた、連絡するね」

 私の部屋の玄関先まで荷物も持ってくれて、送ってくれる。

「良かったら、お茶でも飲んでいきますか?」

 別に深い意味はなく、なんとなくそう言ってしまったのだが。

「いえ、今夜はやめておきます。気づかってくれてありがとう。ゆっくり休んで」

 あっさりと、断られてしまった。

 あらやだ、なんだか振られた気分だわ。

 それでも爽やかな笑顔で去っていく姿を見れば、憎めないのよねぇ。



To be continued



この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?