まさか沙代里が孤児だったなんて。
そんな話、本人からも秀平さんからも聞いたことがないわ。
「ご存知ないですよね? 沙代里は自分の過去を人に話すのが嫌いなので、誰にも話していないと思います」
「あなたが知っているということは、よほど信頼されているのね?」
「私が沙代里に初めて会ったのは高校一年で同じクラスになったからなのですが、その頃はまだ児童養護施設から通っていたので、仲の良い友人たちは知っていたはずです。私も何度か施設へお邪魔したこともあります」
「そう、沙代里さんは苦労したのね」
「そうですね、でも沙代里はあの頃も同情されるのをとても嫌がっていました。だからアルバイトをしながらも勉強もすごく頑張って、有名大学への進学も実力で勝ち取ったのです。反骨精神とでも言うのかしら、私には真似できないような血の滲むような努力をしてきたのです。だから……」
そこで美咲さんは言い澱む。きっとここからの話が今日の本題なのだろう。
沙代里が他人に知られたくない過去の話を、わざわざ私に話して聞かせてまで伝えたいことがあるのだろうか。私は少し緊張をして先を促す。
「だから?」
「だから、何も苦労せずにお金を自由に使うことが出来たり、高い地位にいる人たちのことを憎んでいるのだと思うのです。たとえば、生まれながらにして裕福な香澄さんや、その香澄さんと結婚することで社長の地位を得た秀平さんのことを」
「それで、あんな酷いことをしたっていうの? 秀平さんの秘書になったのも、あわよくば妻の座を狙っているのかしら? そういえば、いつの間にかお義母さんに取り入っているものねぇ」
不幸な生い立ちなのは可哀想だと思うけれど、そんなの、ただの逆恨みじゃないの。
「全て、沙代里が悪いのは重々承知しています。沙代里も今回のことは後悔していると思います。だからあんなに憔悴していて……沙代里のあんな姿、見ていられなくて。なので、これで許してください」
そう言うと、美咲さんは鞄から封筒を取り出して私の方へ差し出す。
「え、なに?」
封筒を手にした感じで嫌な予感がする。
封を開けて中を覗いたら、案の定だ。
厚さからして、二百万といったところか。
「こんなもの、受け取れないわよ」
私は封筒を差し戻し、さりげなく周りを見渡す。
現金を受け取るところを誰かに見られたり、それこそ盗撮なんてされた日には、あることないことネットで晒され炎上するのが目にみえているから私は細心の注意をはらう。
これだって、沙代里の罠の可能性ということもあり得るのだし。
もう、嵌められるのはゴメンだわ。
しかし、そんな私の猜疑心に満ちた心とは裏腹に、美咲さんの心は澄んでいるようだ。
周りに怪しい動きをする人はいなかった。
美咲さんはお金を受け取ってもらえなかったことに落胆し「どうすれば沙代里を助けられるのでしょうか」なんて私に聞く。
純粋に沙代里を心配していることが窺えた。
「そんなに好きなの?」
今まで何度か、それらしい言葉をかけてきたが、今回はストレートに聞いてみた。
美咲さんは俯きながらも「はい」と答える。
「それは同情ではなく?」
「もちろん、違います」
「そうよね、あなたが沙代里さんが嫌がることをするとは思えないものね」
同情されることは、沙代里にとっては最も忌み嫌うことなのだから。
「あなたは、このまま何があっても沙代里さんに寄り添って傍にいてあげれば良いと思うわよ」
「どうしたの?」
美咲さんが、目を丸くして私を見つめているので聞いてみた。
「香澄さんって、不思議な人ですねぇ」
「えっ?」
少し前に、秀平さんにも同じようなことを言われた気がする。
そうなのだろうか、私は普通にしているつもりだが他の人とはどこか異なる反応をしてしまっているのだろうか。
ただ、美咲さんからは責められている感じはしないから、嫌悪感ではなさそう。
「私の、沙代里に対する気持ちを知っても、気持ち悪いと思わないのですか?」
「思わないわよ、そんなの。今時、普通でしょ?」
「もしかして、最初から気付かれていました?」
「そうね、なんとなくだけれど。あなただって、わたっていたから私にこんなセンシティブな話もしたのでしょう?」
「ええ」
少しだけ緊張がほぐれたようで、美咲さんはようやく少し、口角をあげた。
立場的には敵対してもおかしくないのに、私と美咲さんの間にはどこか同盟のような雰囲気がある。
私も彼女を信頼しているし、彼女も私を信頼したからこそここまで踏み込んだ話をしてくれたのだろう。
「沙代里さんに、気持ちは伝えないの?」
「伝えてしまったら、関係が終わってしまいますから」
「それはそうかもしれないけど、辛くはないの?」
「沙代里の幸せが私の一番の願いで、私は友人としてそれを傍で見守っていたいので」
相手の幸せを願うのはわかる。でも、自分の気持ちを押し殺してまで?
自分の思いを伝えないことの辛さ……そう思ったら、胸がキュッと痛んだ。一瞬だけ、透の顔が浮かんですぐに消えた。
「そうね、沙代里さんのことは許せないけど、私はあなたのことは応援するわ。今回のことは被害届を取り下げるつもりよ」
証拠のUSBメモリーは秀平さんに奪われたままだしね。
「ありがとうございます」
「その代わり――」
私がそう言って言葉を区切ったら、眉根を寄せて次の言葉を待っている。
「時々、こうして会ってお話ししましょう」
「え、私と……ですか?」
「そうよ、いろいろ情報交換しましょうよ、実は私も起業をしようと思っているの。先輩起業家としてアドバイスしていただきたいわ」
「あぁ、それは……はい、大丈夫です」
「よかった、よろしくね」
彼女の人脈がいかなるものかはわからないけれど、貸しを作っておくことに越したことはない。
To be continued