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第36話

「えっと、ここかな」

 説明通りブレイカーを上げたら電気が点いたので、私は瞬きを何度もした。

 眩しさに慣れてくると、部屋を見渡す。


「へぇ、いい感じじゃない」

 全ての部屋を覗き、テレビを付け、エアコンを入れ、まずは家電が正常に動くかどうかを確認する。初期不良があれば早めに報告した方が良いからだ。

 家具も一通り確認をし、そうしてようやく荷物をほどく。

 それほど多くはないため、すぐに終わった。

 食事は一人だからと、コンビニで出来合いの物を買ってきた。

 新しい門出なのだからもっと奮発してもよかったけれど、これからの事を考えれば節約も大事だもの。

 というか、コンビニもなかなか捨てたものじゃないわね。なかなか美味しいじゃないの、このお蕎麦。

 デザートのプリンを食べている時に、初音からメールが届いた。

 お蕎麦が美味しかったと伝えれば、引っ越しと言えばお蕎麦だねと返事が来た。

 そんな他愛ない会話を交わし、またね、おやすみと終える。


 そういえば、昨日届いていて放置していたメールが一通あったっけ。

 私は改めてそのメールを確認する。

 差出人は臼井美咲。沙代里の親友で、沙代里のことを慕っている――おそらく恋愛的な感情で――女性。

 用件は、私に会って話をしたいとのこと。

 臼井さん本人については、悪い印象を持っているわけではない。

 数回会ったくらいだけど、人の良さが滲み出ていた。

 誰かを嵌めたり貶めたりするような人ではないと思っている。

 だけど、沙代里は違う。沙代里の頼みで連絡してきた可能性もある。


 どうしようかな。

 秀平さんからの連絡はない。今、何を考えどう行動しようとしているのか、知るすべはない。

 臼井さんと会うことで沙代里や、うまくすれば秀平さんの今の状況を知る機会にもなるかもしれないな。


 私はメールの返事をし、翌日、臼井さんと会う約束をした。


 昔ながらの「喫茶店」という風情のお店だった。

 ドアを開けるとカラン♪と音が鳴った。

 店内はそれほど広くはない。そのため、私が入ると同時に立ち上がって軽く頭を下げる女性を、すぐに見つけることが出来た。

「わざわざお時間を作っていただいてありがとうございます」

 私が席に近付くと一息にそう話す。

 やや早口なのは、緊張しているせいなのかもしれない。

「まずは、座りましょうか」


 席について、店員がお水とおしぼりを持ってきてくれる。

「ブレンドを、ホットで」

 私が注文をすると、「同じものを」と彼女も言う。


 お水を一口含み、ゆっくりと飲み込んだ。

「少し、痩せられました? お仕事が忙しいのかしら」

「えぇ、まぁ。貧乏暇なしってところです」

「そんなご謙遜を。今はどんな事をされているの? 差し支えなければお聞きしたいわ」

「そうですねぇ、今現在ではないのですが、今後は医療系に携わっていきたいなと思っています」

 あくまで希望ですけどね、と自嘲気味に笑う。

「へぇ、医療もどんどん進歩しているからそれは良い着眼点よね」

 実は私も考えていた。IPS細胞による治療は研究が進み実用化出来るようになれば、莫大な利益を生むだろう。投資するなら今のうちではないかと。

 彼女も同じように考えているのだろうか?

 あからさまに手の内は見せないと思うが、探ってみようかと言葉を発しようとした時。

「お待たせしました」

 遮るように、注文したコーヒーが運ばれてきたため、私は言葉を飲み込んだ。


「それで、話と言うのは?」

 お互い忙しい身なので、本題に入るよう促した。

「実は、小西沙代里のことで……」

「でしょうね」

 予想通りね。

「まずは、沙代里がご迷惑をかけたことお詫びいたします」

 そう言うと、頭を下げた。

「なぜあなたが謝るの? 沙代里さんに頼まれたの?」

「いえ、頼まれたわけではないです。今日私が香澄さんに会うことも沙代里は知りません。香澄さんの貴重な時間を割いてこうして会っていただいているので、まずはお詫びをさせてもらいました」

「そう……」

 やっぱり、私の人を見る目は間違っていないと思った。

 さすがに、小さいとはいえ会社を立ち上げ社長を務めているだけのことはある。

 どうして、こんな出来る女が沙代里の友人なのか、しかも彼女の方が沙代里を慕っているようにみえるのだから、世の中不思議なこともあるものだ。


「それで、不躾なお願いだと言うのは重々承知の上なのですが……沙代里を許してはいただけませんでしょうか?」

 はぁぁ、私は大きなため息をつく。

「沙代里さんに謝ってもらってもいないのに? それ以前に、沙代里さんは自分が犯した罪を認めたのかしら? 私には否定していたけれど」

「ええ、そうなんです。沙代里はまだ否定しています。けれど私はそこが一番心配で……」

「どういうこと?」

「あっ、申し訳ありません。これはこちらの問題で香澄さんには関係ないですよね」

 失言でしたと声を潜められたら、気になってしまう。

「私、あの家を出たのよ。だから最近の秀平さんや沙代里さんの様子はわからないの。良かったら教えてくれる? あなたは沙代里さんが心配なのよね、だから私に話に来たのよね?」

 今回の件は、裕也さんに助けられたおかげで被害はなかったため、沙代里が心底反省しているなら許しても良いと思っている。秀平さんについては別の問題であるが。

 はたして沙代里は反省しているのか?


「沙代里はここ数日、憔悴しきっています。仕事もお休みしているみたいです」

「そうなのね。あなたに助けて欲しいと連絡が来たの?」

「いえ、たまたま私が連絡をしたところ様子がおかしかったので会いに行ったのです」

 その時のことを思い出しているのか、辛そうな表情をする。

「それで?」

「夜は眠れないし、食欲もないみたいでした。何があったか聞いても最初は何も話してくれなかったんです」

「それであなたは、どうしたの?」

「私には何もしてあげられることがなくて、ただ傍に……寄り添うことしか」

「そうねぇ」

「それでも、次の日には少しずつ話してくれて。それで香澄さんの事件やSNSの炎上の件を知りました。沙代里は自分が関わったことを否定というよりは、言えなくて苦しんでいるように私は見えました」

「言いたくても言えない?」

 それって、沙代里のバックに更に黒幕がいるってこと?

 まさか秀平さん? いや、それはないわね。SNSが炎上して自分の会社に被害が及んでいるわけだし、あの時の驚きようは全く知らなかったことの証だと思う。

 その誰かのせいで沙代里が苦しんでいると、この美咲さんは思っているのね。

「たぶん、そうだと思います。沙代里はああ見えて繊細なので……」

「繊細?」

「あっ、すみません。弱いと言い換えた方がいいですね、自分が弱いから他人には強がってみせるクセがあって」

 なるほど、あの気の強さは脆さの裏返しということか。

 それにしても、この臼井美咲という女性は……

「沙代里さんのことをよくご存知なのね、長い付き合いなの?」

「はい、高校生の時から知っています。実は沙代里は孤児だったのです」

「えっ?」

 これには本当に驚いた。




To be continued



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