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第33話


 頭に来ていた。

 何なの、もう!

 今回ばかりは本当に許せない。

 もう、こんな人と一緒に暮らしていけない。

 顔も見たくないし、同じ空気を吸うのも嫌なの!


 私は身の回りの物をカバンに詰める。

 出ていく覚悟を決めて、生活に必要な物や貴重品、衣服などをどんどん詰めていくと案外多くなって重いじゃないの。

「ったく、もう」

 スーツケースに詰め替えていく。

 涙は出なかった、それよりも怒りの感情の方が断然強い。



「おい、どこへ行く?」

 私が玄関を出ようとすると、秀平さんが声をかける。

「しばらく家を出ます」

「待て!」

「何を言われても、決意は揺るぎません」

「あのUSBメモリーを出せ!」

「はっ?」

「あれを世に出すことは許さん、SNSはもちろん警察にもだ」

「なんですって? そんな権限が秀平さんにあるの? 被害者は私よ」

「もし、そんなことしたら……離婚だぞ」

 全く、この男はどこまで……私を怒らせれば気が済むのだろう。

「あ、そ。こんなもの、くれてやるわ」

 私はUSBメモリーを秀平さんに投げつけ、そのまま家を出た。



 ゴロゴロという音を聞きながら、スーツケースを引きながら歩く。

 いつも、この音を聞く時は旅行へ向かう時だから気分が良かったのだけど、今はこの音が恨めしい。

 怒りにまかせて飛び出して来てしまったが、これからどうしようか。

 今夜は仕方ないからホテルに泊まるしかないだろう。

 私はひとり、都心を目指して大通りを歩く。

「あれ?」

 ふいにポツリと、冷たさを感じた。

「え?」

 雨が降ってきた。

「わっ」

 ザーっと本格的になった。

 雨の降りだしって、こんなにも急なの?

「やだ、冷たい」

 あっという間にずぶ濡れじゃない。

 どこか、屋根のある場所へ行かなきゃ。

「きゃっ」

 慌てたせいで転んでしまい、膝を打ってしまった。

「痛いじゃない、もう、やだ」

 雨粒なのか涙なのかよくわからない。前髪からも雫が落ちているし見通しも悪い視界の中で、ぼんやり浮かぶ車の影。

 あれは、もしかしたら…………いや違うわよね、透の車なわけないわよね。

 私の願望が、幻想を見せただけかしら。


 降りしきる雨の中、ずぶ濡れになった私は座り込んだまま。

 どのくらい経っただろう。

 寒い、冷たいという感覚も薄れてきていた。

 山の中じゃないから、このまま死ぬことはないだろうけど……もう、どうでもいいや。



 突然、打ち付ける雨が止んだ。

 上を見上げると、大きな黒い傘があった。

「大丈夫ですか?」

 誰かが私に傘をさしてくれている。

 こんな酷い状態の私に差し伸べられた手。

「まずは安全な場所に移動した方がいいですよ、さぁ」

「あ、ありがとうございます」

 掴んだ手は大きくて、男性だった。

「お家は近いのですか?」

「いえ、家には帰れないので」

「……どこか行くあてが?」

「いえ、お構いなく」

 知らない人に迷惑はかけられない。

「でも、こんなに濡れていたらビジネスホテルでも入れてくれないよ?」

 これから実家へ行くのも遠いし難しい。

 秀平さんの待つ家へは、死んでも戻りたくない。

「そうだ、僕の別荘へ来ない?」

「えっ?」

「さすがに男の部屋には入れないでしょ? 別荘は今、誰もいないから。僕は連れて行くだけですぐに帰るよ」

「そんな、初対面の方に迷惑かけられませんから」

「やっぱり覚えてないか、実は初対面じゃないんだけどなぁ」

「え?」

 そこで初めて、微笑みかけてくれる顔をじっくりと見た。

「あ、あの時の!」

「良かった、思い出してくれたんだね」

 私が男たちに襲われていた時に助けてくれた人。

 あの時は名前も教えてくれず、それなのにまた会えるなんて言っていたっけ。

 本当に、もう一度会えるなんて……これって?

「それじゃ、行こうか」

「あ、はい」

「そこの角に車が停めてあるんだ、少し歩けるかい?」

「ええ、でもずぶ濡れですよ?」

「大丈夫、僕はキャンプとかアウトドアが趣味でね、防水のシートがあるからさ。気にしないで座ってくれ」

 そしてタオルまで貸してくれた。

「ありがとうございます」


 車はすぐに発進し、しばらく走ったあと高速道路へ入った。

 遠くまで行くのだろうか?

 私の不安は杞憂におわり、すぐに一般道へ降り海沿いの道を走っている。

「もうすぐ着くから」

「わざわざ高速を使ったのですか?」

 この距離なら下道でも大丈夫なはずだ。

「この時間は渋滞するかもしれないから、少しでも早く着替えたいでしょ?」

「お気遣い、ありがとうございます。後で清算してくださいね」

「そんなこと、気にしなくていいのに」

 困ったときはお互い様だよ、と言う。

 こんなふうに紳士的に対応されて、私は感動していた。

 秀平さんとは大違いだわ。


「さぁ、どうぞ。別荘だからテレビとかはないけど、電気や水道なんかのライフラインは大丈夫だから。あぁ、まずはお風呂かな。ここのスイッチでお湯がたまるから。タオルやバスローブも使っていいし、洗濯機も乾燥機も使ってね。冷蔵庫の中のも最近入れ替えたから賞味期限も大丈夫だと思うし」

「何から何まですみません」

「明日の朝、迎えにきますので、今夜はゆっくり休んで」

「はい。そういえば、まだ名前を聞いてなかったわ」

「僕ですか? 朝長裕也と言います」

「朝長さん」

「裕也でいいよ」

「裕也さん、二回も助けていただいてありがとう。私は木暮香澄です」

「香澄さん、可愛い名前だ」

 そう言って目を細める。

 裕也さんの穏やかな笑顔につられて私も笑顔になる。

 なんだか、久しぶりに笑った気がする。


 裕也さんが去った後、私は入浴をして洗濯をして、ようやく人心地つく。

 あまり食欲はなかったので、ミネラルウォーターだけ頂いてベッドへ入る。

 明日からどうしようか考える。

 起業の件も進めなければならないが、まずは住居を確保しなければ。

 ウィークリーマンションでも借りようか、初音と一緒に住むのもいいかも。初音の家の人が許せばの話だけれど。

 あとは、何を決めなきゃいけなかったっけ……あぁ、頭がまわらない。

 身体もポカポカしてきたし、こんなに急に眠気がくるなんて、おかしいなぁ。

 でも、眠気には勝てそうもない……




To be continued



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