私はその日、探偵から連絡を受けて会う約束をしていた。
なんでも有益な情報が得られたとのこと。
逸る気持ちを抑えつつ玄関を出ると、見覚えのある車が停まっていた。
「まさか……」
その、まさかだった。
車から降りて来た透が、私の方へ歩いてくる。
なによ、今更。
私が透をブロックした時と同じ感情が湧きあがる。
無視して歩を進めようとしたが、透はすぐ近くまでやってきた。
「何しに来たの?」
冷たい声が出た。
「連絡したけれどブロックされたら、直接来るしかないだろう? どうして俺をブロックしたんだ?」
「どうしてって? そんなの、自分の胸に手を当てて考えなさいよ。婚約者がいるのに私に気のあるフリをしたり、あんな……淫らなことをするなんて。私はあなたのことを、口は悪いけど本当はもっと誠実な人だと思っていたの。だからもう……もう電話してこないで!」
――もう電話してこないで――
あぁ、このフレーズ!
あの時、透の婚約者が言い放った言葉ではないか。
私が、その同じ言葉で透を遠ざけるなんて、皮肉なものね。
「待ってくれ、話を聞いてくれ」
切羽詰まったような声に、私は足を止めた。
「急いでいるのよ」
「5分、いや3分でいい」
「何よ」
もっと怒るかと思っていたのに、透は何故か俯きがちだったから。
「だったら、早くしてよ」
話を聞いてあげてもいいかも、なんて思ってしまったのだ。
「俺は、美雪を婚約者だなんて認めていない。あいつが勝手に言いふらしているだけなんだ。もちろん結婚なんてしないし、恋愛的な感情も一切ない……信じて欲しい」
「そんなこと、私に言われても困るわよ、私には関係ないもの」
「それは……そう……かもしれないけど」
そんな、悲しそうな顔をしないでよ。
私に気があるのかと期待しちゃうじゃない。
でも、そうじゃないんでしょ?
男は、みんなそう。気にあるフリをして、女性がなびいたら、すぐに手のひらを返すのよ。
腹立たしいったら、ありゃしないわ!
「もう、いいかしら? もう構わないでね」
「え、あ。あぁ……」
「それでは、さようなら」
すれ違う時に盗み見た透の顔には翳りがあった。
いや、もう、気にするのはやめよう。
私はもう、男には頼らない。そう決めたのだから。
当初の予定通り、私は探偵事務所へと急ぐ。
「これは、木暮さま。わざわざご足労いただきありがとうございます」
所長が笑顔で迎えてくれた。
「何かわかったんですって? 昨日の今日なんて、優秀なのね」
「ええ、我が社は優秀な人材が揃っていましてね。詳しいことは担当のものからお聞きください」
「ええ、そうするわ。ありがとう」
所長は奥へ引き上げ、代わりに背の高い中年の男性が現れた。
「今回、木暮さまの案件を担当します高梨と申します」
「よろしくお願いします」
「早速ですが、こちらを」
ファイルを渡されたので、開いて見る。
最初のページには、三人の男の名前が書かれていた。
そして、年齢や住所、家族構成等も詳細に書かれている。
「これって?」
「実行犯と思われる者たちです」
こんな短時間で、こんな詳細にわかるものなのだろうか?
警察顔負けではないか。
「これは、確かなことなの?」
証拠とか証言とか、確実なものがあるのだろうか。
「実はまだ、裏は取れていないのですが」
「そう」
適当な人物の名前を挙げているだけだとしたら、杜撰すぎる。
「実は、このファイルは我々の調査結果ではなくてですね」
「え、どういうこと?」
「メールで送られてきたのです」
「誰から?」
「それが……匿名でして」
「それって大丈夫なの? そんなものが信用出来るの?」
そんなメールは当てにならないわよね。期待した私が馬鹿だったわ。
優秀だと褒めたことを後悔する。
「我々も、匿名の情報を鵜呑みにしたわけではありません。ただ、まだ百パーセント確定ではないのですが、信憑性は高いとみています」
「それは、どうして?」
「次のページに写真があるのですが」
そう言われて私はページをめくる。
やや画像が荒いが男たちの画像であろう。
「あ、似ているわ」
私を襲った男たちに雰囲気がそっくりで、だからきっと同一人物。
「そうですか、実はこれは動画で送られてきています。それを見ればもっとハッキリはわると思いますよ」
「見せてください」
探偵はパソコンを用意し、動画を再生させる。
薄暗い、倉庫のような場所だった。
男らが3人、床に座らされていた。
怪我でもしているのか、それとも脅されているのか、3人とも立ち上がったり抵抗する様子はなかった。
しばらくすると、長身の男性が現れて男らに質問をしていく。
名前、年齢、職業、そして昨日の暴行事件を起こしたのかどうか。
最初は答えるのを拒んでいた男らも、男性が睨みを効かせたら素直に話し始めた。
あんなに狂暴だと思った男らを、おとなしくさせられるなんて……この長身の男性は何者なのだろう?
カメラの位置のせいか、後姿しか映っていない男性。
「誰かに頼まれたのか?」
「さぁ、どうだろうな」
「とぼけるつもりか? いい根性しているんだなぁ」
男性が少し動き右手をポケットへ入れた、たったそれだけの動作だったのに。
「ま、待て! そうだ、あの女を襲うように依頼されたんだよ」
顔を引き攣らせて、白状した。
「誰に?」
「いや、それは勘弁してくれよ」
「ふっ……あはっ、あはははっ」
乾いた笑い声が響いた。
どうやら、男性の笑い声のようだ。
小さくなっていた男らは、呆然とその男性を見ていて表情をさらに硬くした。
「そんなことが許されると思っているなんてな、そんなに痛いことが好きなのか? あ?」
男性は男らに近付きしゃがみ込む。
「いや、待ってくれ、わかった、わかったから。言う、言うから命だけは……」
「人聞きが悪いなぁ、命なんて取るわけないだろうに」
明らかに録画しているのを意識している。
「それで、依頼した人物の名前は? 快く教えてくれるよな?」
「それは――」
動画を見終わった私は、呆然自失状態だった。
全く、なんてことなの――
「大丈夫ですか?」
しばらく無言の私を心配した探偵が声をかける。
「えぇ」
「どうしますか?」
「え?」
「警察へ届けますか? 警察なら裏取りの手続きも簡単でしょうから」
「そうね、これがフェイクの可能性もあるものね」
言葉ではそう言ったが、私はこの動画が真実だと思っている。
黒幕の名前を知った時の驚きと絶望が、その根拠だ。
「匿名のメールなので、裏取りは絶対に必要だと思います」
この先、もしも裁判になった時のことを見越してのことらしい。
「そうね、でも……一旦私に預からせてもらえるかしら?」
「えぇ、それは構いませんが」
依頼者の希望に沿うのが探偵の信条なのだろう。
「では、この匿名の発信先を調べましょうか?」
「いえ、それも大丈夫よ」
「そうですか、わかりました」
「どうも、ありがとう」
私には、この情報をくれた匿名の人が誰なのか、察しがついている。
こんなこと――私のためにここまでしてくれる――人は、彼しかいないと思っている。
透……貴方なのでしょう?
To be continued