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第30話

 俺はその日、美雪を車で迎えに行った。

 美雪は小さい頃から知っている幼馴染で妹のような存在だから、これまでにも頼まれれば送迎もしたし、わがままも――自分が出来る範囲でだが――聞いてきた。

 美雪が俺の事を婚約者だと触れ回っていることは知っていた。それも彼女のわがままの一つだと思っていたのだ。俺にその気はないが言わせておけば良いと思っていたのだ。その日までは。


 その日、迎えに行った先で香澄と会った。

 目が合った瞬間、逸らされた。

 その瞬間、今までの俺の甘さを呪った。


「――こちらは旦那様で?」

 店主のその言葉に「違う!」と答えたのだが、同時に「そうよ!」と言う言葉が被ってしまった。

 全く、何を言うんだ!

 美雪を睨んだが、彼女は臆することなく微笑んでいる。


 俺が甘やかしたのがいけなかったのか。

 だが第三者に夫婦と思われるような行動をしていたことは、俺の落ち度だったのだろう。

 そのせいで、香澄に誤解を与えてしまったことが悔やまれる。


 すぐに訂正出来れば良かったのだが、香澄とそんな会話をする時間も機会もなくて、俺は美雪を送ることになった。

「なんで、あんなこと言ったんだよ」

 車の中で美雪を責めた。

「え、なんのこと?」

「俺のことを、旦那かと聞かれて肯定しただろ」

「えぇ、だって、もうすぐそうなるんだし、いいじゃない?」

「ならないだろう……誰が結婚するなんて言った?」

「透、今日は意地悪なのね、どうして?」

「は? そんなこと……」

「あるわよ、いつもと違うもの」

 そうなのか? 今日は香澄と会ってしまったから、美雪に対する態度が違うのだろうか。


「悪かったよ」

 俺のその言葉に美雪は喜んだ。

「今まではっきり言わなかった俺が悪かった」

「え?」

「美雪と結婚する気はない、美雪は妹みたいなものだから。兄妹で結婚なんてしないだろ」

 さっきまで喜んでいた美雪が膨れっ面になった。

「最低!」

「だから謝っているじゃないか」

「なら、ランチは奢りね」

「あぁ、いいよ」

 ランチ代くらいで許してくれるなら安いものだ。


 結局、食事の後には買い物にも付き合わされ、家に着く頃にはどっぷりと日が暮れていた。

「あれ?」

 帰宅途中の運転中、違和感を覚えた。

「どうしたの?」

「なんか変だな、タイヤかなぁ?」

 車の不調を感じたため、俺は路肩へ車を停め、確認をするために車外へ出た。


 その時に、車内へ置いてあった俺のスマホへ香澄からの着信があったことは、後になって知ることになる。それが緊急事態で助けが必要だったこと、その電話に美雪が出たことも。

 これぞ、後の祭りというものか。



 車には特に問題はなく、大丈夫だと判断して車内に戻る。

 美雪は特に何も言わず、だから何も知らなかったのだ。

 香澄の身にあんなことが起きていたなんて。


 着信履歴に気付いたのは、美雪を送り届け自宅へ戻った後だった。

 何を話したのかとか、何故内緒にしていたのかとか、聞かなくても大体の見当はついた。



 そして翌日、ネットで炎上した写真を見て、これは何かあると直感した。

 真偽はともかく、まずは香澄を守らなければと思った。

 俺の、あらゆる人脈を駆使してネットに上がっている写真を見つけ次第削除させた。

 一度炎上してしまうと、元の画像を削除したところで追いつかないのだが、やらないよりはマシだろう。

 それから投稿者の特定と、事実確認だ。事情がわからなければ次の手が打てない。

 そして黒幕の特定。これが一番やっかいだと思う。

 いつだって、黒幕・指示役・実行犯の順で裾野は広がっているのだから。


 俺は、その日の仕事を全てキャンセルして、香澄の件を調べることに費やした。

 ただ、やはり自分一人では限界がある。

 こんな時にはあの人の力を借りるしかないな。

「お金はいくらかかっても構わない、迅速に頼む」

 必要最低限の事だけを伝えるだけで確実に成果を上げてくれる彼を、俺は信頼している。


 別ルートの情報によると、香澄の方でも調査をしているようで、出来ればあちらよりも先に知っておきたい。


 数時間後、早くも連絡が入った。

「流石ですね、仕事が早い」

「恐縮です。ですが今回は少し無理しました。多少出費が嵩みますが?」

「それは良い。爺の方は大丈夫か? いつも無理させて悪いな」

「いえ、坊ちゃんのためなら、なんてことはありませんよ。恩義がありますから」

『爺』『坊ちゃん』という呼び方は昔からで、実際に数年間は俺の執事のような立場にいた人だ。でも本当のところは『爺』と呼ぶような年齢ではない。まだまだ若い、俺にとっては少し年の離れた兄貴のような人。

俺のことを『坊ちゃん』なんて揶揄うように呼ぶもんだから、俺も反発して『爺』などと呼んだのだ。

 だけど彼は怒るどころかケラケラと笑い、「それいいな」と言い。

 それ以来、二人の間でだけはその呼び方が定着した。


「それで坊ちゃん、黒幕を吐かせる時には同席しますよね?」

「あぁ、出来れば直接聞きたいからね」

「それでは、いつもの場所でお待ちしています」

「わかった、すぐ行く」



 俺は彼の事は信頼している。

 だが、彼は俺の事を信頼していないと言う。

 だから、気を付けろと。

 きっと、彼は誰のことも信用出来ないのだと思う。

 絶対的に信じた人に裏切られたことがあるから。

 そんな彼だからこそ、俺は尊敬し、仕事を依頼するのだけれど。


「案外、簡単に吐きましたね」

「あぁ、そうだな」

 ちょっと脅しただけであっけなく、その男は依頼した人物の名前を言い放った。

 信念とか、そういうものには無縁らしい。

「ただの雑魚だな」

「こんな人間にだけはなりたくないな」

それにしても、黒幕の名前は俺もよく知っている人物だった。

 まぁ、予想出来た名前ではあるが……大丈夫だろうか。

 俺は香澄のことを想う。



 強い人間になりたい。

 そのために何が必要なのか、俺はまだ、わからないでいる。

 ただ、守りたいものがある。

 それだけは確かなことで。



 だから、今回のことが悔しい。

 それに尽きる。


 あの時、車のトラブルがなければ。

 スマホを持って外に出ていたら。

 美雪がすぐに教えてくれていたら。

 美雪が電話に出なければ。

 全て、タラレバなのだけど。


 俺たちは何故、いつもすれ違ってしまうのか。

 俺は、自分の全てを賭けて、君を愛すると決めたのに。


 どうして君は俺を拒絶するのか……




To be continued




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