目が合った。
白石さんを迎えに来た透と、一瞬だったが確かに目が合ったのだ。
だが、素知らぬ顔をして私は店長との会話を続けた。
「今日は、超オススメを案内してよね」
「かしこまりました」
「透、遅かったじゃない。用は済んだから早く帰りましょう」
「なんだよ、その言い方。相変わらずだなぁ」
二人の会話が聞こえてくる。
「店長ありがとう、あとの手続きよろしくね~」
白石さんは、大きな声でこちらに呼びかけて立ち上がる。
「はいはい、ありがとうございました。こちらは旦那様で?」
「違う!」
「そうよ!」
同時に口を開いた二人。
「おやおや、仲良しなことで」
店長に冷やかされつつ、二人は出ていった。
「木暮さま、お待たせいたしました」
「あの方達は、よく来られるの?」
戻ってきた店長に、世間話のように尋ねてみる。
「そうですね、何かとご贔屓にしていただいております」
「ご夫婦なの?」
「いえ、籍は入れてらっしゃらないようですよ、でも、いつもお迎えに来られますから、そういう関係なのでしょうね」
「なるほど、私が横取りされたあの物件は新居なのかしら?」
「横取りなんて、そんな……」
「そうね、手付を入れてなかったものね、ごめんなさいね」
「いえ、ご期待に沿えなかったのは申し訳ございません。住居ではなく、旦那様の仕事用のお部屋らしいですよ、なんでもプレゼントらしいです」
「プレゼント?」
「ええ、サプライズにしたいからと、内緒にされていました」
「はぁ、お金持ちの考えることって、不思議ね。羨ましいわ」
「左様ですねぇ」
さっき見た透の顔、いつものポーカーフェイスだったけれど。
白石さんに部屋をプレゼントされた時にはどんな顔をするのだろう。
やっぱり喜ぶのだろうか。
全く、男ってやつは……
モヤモヤしたまま、その日の内見を巡る。
あまり気に入った物件はなかったが、出来るだけ早めに決めて起業に着手したい。
「ここに決めようかしら?」
「良物件だと思いますよ、立地的には劣りますが、賃貸料は格段に安いですからね」
「そうよねぇ」
立地は、確かに悪い。市の中心地からはかなり離れている。
不本意だけど、仕方ない。
私が、白石さんのような家柄と美貌を持っていたなら、こんなみじめな思いはしなかったのだろうか。
でも、いいわ。
私はここから這い上がる、自分の力でいつか、一等地のビルに事務所を構えるような大物になってみせるから。
いったん不動産屋へ戻り手続きをする。
「最寄り駅から徒歩何分くらいでしたっけ?」
「えぇっと、10分くらいでしょうかね」
「そうですか、それなら許容範囲かなぁ」
「そうですね、それ以上になると客足は増えないでしょうねぇ」
まぁ、最寄り駅がもう少し市の中心地だったならもっと良かったのだけど、そうそう贅沢も言っていられないわよね。
それでも……
こういう情報は正確でないこともあるから、自分で歩いてみないとね。
周りの環境もリサーチしたいし、もう一度改めて訪れてみることにした。
一人では不安だから、初音を誘ってみた。
「うん、わかった。夕方くらいに時間が空くから一緒に行こう」
快く応じてくれたのだが、その時間になっても初音はやってこなかった。
何度か連絡を取って、ようやく繋がった。
「ごめん、香澄。父親に用事を言いつけられて、抜け出せそうにないの、本当にごめん」
「うん、いいよ。こっちは大した用じゃないから。相変わらず、大変そうだね」
初音の家の事情を知っているから、無理を言うことは出来なかった。
「仕方ない、一人で行くか」
この街の中心地の駅から地下鉄で移動、一度乗り換えて最寄り駅まで。
そこから徒歩で、会社が入る予定のビルまで歩く。
顧客が高齢者の場合もあるから、ゆっくり目でね。
歩くほどに、静かに――人通りもまばらになっていく。
住むには理想的な土地かもしれないわね。
「えっと……18分?」
ちょっと時間がかかったわね、大通りを通ったから迷う心配はないけれど。
徒歩20分弱とは……前途多難かもしれないわね。
車を使用する顧客のために駐車場も借りておくべきね。
気付いたこと、やるべきことは、すぐにメモをして。
「そうだ、初音にも共有しておこう」
まぁ、既読になるのは夜中かもしれないが。
日の入りが早くなり、外はすでに暗くなりかけていた。
不慣れな場所では、やけに不安になる。
「早く帰ろう」
私は、今度は逆に駅へ向かって歩き始める。
「こんばんは、お姉さん」
「……」
「そこの綺麗なお姉さんのことだよー」
「どこ行くの? 駅?」
なんなのよ?
「無視してじゃねーよ」
3人の男が代わる代わる声をかけてきた。
最初はにやけていたが、私が答えないでいると次第に怒りを露わにしてきた。
「やめてください」
大きな声を出してみても、周りには彼ら以外の人はいない。
「いいじゃん、減るもんじゃないし」
腕を掴まれた。
「ちょっと、触らないでよ」
「まぁ、そう言わないでさぁ」
「痛いわよ、やめてってば!」
「おとなしくしないと、もっと痛い目に合うよ?」
その言葉を信じさせるように、私の腕は強い痛みを感じた。
「こっちに来て」
抵抗虚しく、私は細い路地へと追いやられる。
どうにか逃げられないかと隙を窺うが、3人で囲まれてしまっている。
私はポケットの中のスマホに手を伸ばす。
緊急時には、どうするんだっけ?
手探りでは、何もわからない。
プルルルル~
偶然にも、どこかに発信は出来たような音がした。
「何をしているんだ?」
男たちも音に気付いて、強引にスマホを奪われた。
ちらっと見えた画面には『透』の文字。
透? 早く出て、お願い。
男が通話を切る瞬間、相手が出た。
「もしもし?」
女の声だった。
だから男も切らずに様子をみたようだ。
「なんだ友達か?」と不敵な笑みを浮かべた。
「あのさぁ、人妻のくせに他の男にちょっかいを出すの、やめてくれるかしら? 透は迷惑しているの、もう電話してこないで!」
たぶん白石さんなのだと思うが、一方的に言って何も聞かずに切れてしまった。
何故、どうしてこのタイミングなのか……
「へぇ、修羅場じゃねえか、笑える」
男たちはケラケラと笑い合っている。
いや、それは今はどうでもいい、とにかくこの場を逃げたい。
一番若そうな男の横をすり抜け、全力で走る。
「わっ、こら、待て」
ハァハァ……あと少し、あの角を曲がれば大通り、あっ! 痛っ!
転んでしまった、当然すぐに追いつかれた、悔しい。
今さらだけど、パンプスなんかで走るんじゃなかった、クソッ!
「おい、こっちだ」
二人の男に抱えられるようにされて、路地のさらに奥の空き家へと入れられてしまった。
もう、逃げられないかもしれない、最悪だ。
なんで? どうして私は、いつもいつもこんな目に合うのだろう。
「ようやく諦めたようだな」
「よし、やっちまうか?」
「待ってました」
このまま、思い通りになんて嫌よ、絶対。
でも抵抗したら、何をされるかわからない恐怖。
「俺から、いいっすか?」
「だめだ、おまえはこれだ、しっかり録れよ」
「うぃっす、これはこれで興奮する!」
絶望感が心を満たしていく。
私が我慢さえすれば、暴力は振るわれないのだろうか。
「お願い……許して」
「言うことを聞けば、悪いようにはしないよ」
男はそう言うが……
「うっ」
悔しいから、涙は流さないよう歯を食いしばった。
「ここで、何をやってる!」
大きな声が聞こえた。
いつか、どこかで、同じようなシーンがあったような気がする。
頭がぼんやりしていて、はっきり思い出せないが……
私、助かる、のかな?
To be continued