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第20話


 人はまばらとはいえ、母校のキャンパス内で夫ではない男性の頬にキスをした、してしまった。

 冷静になったのは透の方が早かった。

「車へ行こう」

 私の手を取り歩を進める。

 透はいつもそうだ、どんな時にも私の手を取ってくれる優しいジェントルマン。


「香澄!」

 車に戻ってドアが閉まった瞬間に名前を呼ばれて振り向いた。

「はっ……んんっ」

 前言撤回、ジャントルマンじゃないわ。

 いきなり抱きしめられ、荒々しく口付けられたもの。

 それでも、そんな強引さも魅力的で、私は逞しい体躯にしがみつく。

 キスは何度も繰り返され、徐々に深くなっていく。

 唇を食み、舐めあげ、口内へ侵入され。

 息継ぎは出来ていても酸欠のように頭がぼんやりしてくる。

「んぁ、透……」

 唇が首すじに移り、思わず吐息がでる。

「どうしたの?」

 とぼけながら、鎖骨の上、柔らかい場所へのキスを続ける透。

「熱いの……」

「どこが?」

「胸、心が」

 付き合いたての恋人同士のような会話だなぁなんて、ぼーっとした頭で考えていた。

「ここかな?」

 透が私の胸に手を伸ばそうとした時。



 私のバッグの中から大きな着信音が聞こえてきた。

 一瞬、二人の動きが止まる。

 いいところだったのに、そう思ったのは私だけだろうか。こんなこと誰にも言う気はないけれど。

「出たら?」

「そうね」


 秀平さんからの電話だった。

「はい、もしもし」

「香澄、今どこにいる?」

 透の手が私の体に触れる。

「えっ」

 シー! と口の前で一本の指を立てながらも、私を抱きかかえ撫でまわすことをやめない。

 ちょっと、わざとやっているの?

「母さんの具合が悪いんだ、帰ってきて看病を頼む」

「あら、大変。うちに来ているの?」

 透の手は腹部から胸へと移動しようとしていた。

 私はその手を掴みながら会話を続ける。

「わかったわ、用事が済み次第すぐに帰りますね」

「あぁ、頼む」

 良かった、秀平さんがすぐに電話を切ってくれて。


「もう、バレたらどうするのよ?」

 睨んでみせたが、透は平気な顔をしている。

「心配するな。そうなったら、責任はとるよ」

 えっ、それって……どういうこと?

「急いでいるんだろ、送るよ」

 透の本心は聞けないまま、家路を急いだ。



 家へ着くと、秀平さんは不在でお義母さんだけが居た。

「具合が悪いのですか?」

「香澄さん、遅かったのね。どこに行っていたの?」

「ちょっと用事を済ませていました。秀平さんにもお伝えしていましたよ」

 そんなこと余計なお世話だと思う。この姑は相変わらず意地が悪い。

「そうなの、まぁいいわ。今日は泊らせていただくわね」

「はい、お義母さん、顔色は良さそうですね」

 どこが悪いのか、たぶん仮病なんじゃないかな? この義母なら十分あり得る。

「え、そう? なんとなく体がだるいのよねぇ」

 やっぱり具体的な症状ではないらしい。

「更年期障害なのでは?」

 つい、思ったことを口走ってしまう。

「は? 何言うの、相変わらず香澄さんは失礼よね。沙代里さんは優しくしてくれたわよ」

「あら、沙代里さんに会ったのですか?」

「ええ、そろそろ退院出来るらしいわよ。他にもいろいろお話したのよ」

 なるほど、そこで私の悪口を散々聞かされて、それで私を困らせるためにここに来たってことね。全く、わかりやすい人だ。

 これまでにも、散々意地悪をされてきた。今までは秀平さんの機嫌を取るために我慢してきたけれど、それももう、どうでもいいわよね。

 なんとか仕返し出来ないものか。

「そう言えば、秀平さんは――」

「仕事で遅くなるみたい、私は先に休むわね」

「あ、はい。おやすみなさい」

 看病なんて言われたけれど、何も必要ないじゃない。やっぱり私を早く家へ戻らせるための嘘だったか。

 あの電話がなければ、透とあのまま……どうなっていたことか。

 想像したら体が火照ってしまったので、シャワーを浴びて私も早めに就寝することにした。


 次の日。

 秀平さんとお義母さんがリビングでくつろいでいた。

「おはようございます」

「香澄さん、もうお昼近くよ?」

 相変わらずの嫌みが飛び出している。

「私、低血圧なんですよ。お義母さんはお元気そうでなによりですね」

「本当は元気じゃなくても、そう振る舞うのが主婦の役目でしょ?」

 夫を立てることや心配させないことが必要なのよ、と言う。

 私には戯言にしか聞こえないわ。


 ちょうどその時、スマホに通知が届いた。

 昨日送ったサプリメントの簡易結果のようだ。

 メールを開くと、思ったとおりの結果だった。


 慢性毒が混入されている。

 少量の摂取であれば症状はないが、多量であったり継続的に摂取すれば様々な症状が出現し、最悪の場合は死に至る。との報告であった。


 その文章を読んで、恐ろしさで体が震えた。想像していたとはいえ、あまりにも酷すぎる。

「あら香澄さん、本当に顔色が悪いわね」

「ちょっと立ちくらみが……顔を洗ってきます」


 さて、どうしようかしら。

 前世の記憶ではあるが、父が死んだ時のことを思い出していた。

 あの悲しさと悔しさは一生――いや、生まれ変わっても忘れない。



「大丈夫なの? 香澄さん」

「ええ、秀平さんが渡してくれたこのサプリメントの力を借りればきっと大丈夫です」

「なにそれ?」

「具合の悪い父のために秀平さんが用意してくれたんです。とても高価なものらしくて……きっと効果絶大よね?」

 最後は秀平さんへ向かって言う。

「えっ、あぁ……」


「ちょっと見せてよ」

 義母は、ひったくるように私からそのサプリメントを奪った。

「母さん、それは……病人が食べるものだよ」

 秀平さんは、なんとかお義母さんに食べさせないよう焦っているようだった。

「あら、私だって具合悪いのよ。貴重なものなのでしょ? 私にもちょうだいよ!」

「料理に使用しても効果があるそうですよ、私が作りますからお義母さん食べてください」

「あら、いいの? 優しいところもあるのね、香澄さんも」

 すぐに機嫌が良くなるのだから、単純なものだ。


「おい」

「なんですか?」

「あ、いや。お義父さんへは送らないのか?」

「父へは昨日、半分送りましたから大丈夫ですよ」

 秀平さんは、私が疑っていることも検査をしたことも知らないから、それ以上拒むことは出来なかった。


「はい、出来ました。お義母さんどうぞ。秀平さんも!」

「え、俺はいいよ」

「ダメですよ、夫を立てるのが主婦の役目なんですから。ね、お義母さん!」

「そうよ、秀平も一緒に食べましょう」


 私が、野菜と一緒にサプリメントを煮込んだスープ。

 見た目は美味しそうだ。


 秀平さんは微妙な顔をしていたが、食べざるを得なかった。

 義母は嬉々として食べていた。

 私は――もちろん、食べなかった。



To be continued


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