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第11話

 昨夜の事は、許しがたい。だが、透に助けてもらってそのまま体を許した事は隠しておきたい。

 今はまだ、秀平さんと決別する時ではないと考えているから。


「昨夜はお酒を飲み過ぎたみたいでね、ふらついちゃっていたから葉月に迎えに来てもらったの。そのまま彼女の家に泊めてもらったわ」

 葉月というのは私の幼馴染で、秀平さんも沙代里も面識はあるから、後で連絡して話を合わせてもらおう。


「そうですか」

「おい、そろそろ行くぞ」

 深く追及されることもなく、二人は会社へと出かけた。

 何でも今日は海外の取引先とのウェブ会議があるそうで、早朝から沙代里が迎えに来ていたらしい。


 私は一人になり、シャワーを浴びた。

 鏡に映し出される自分の裸体、今までと何も変わらないのだけれど、昨日の私と今日の私では、決定的な違いがある。

 処女でなくなった、たったそれだけの事だけれど……

「透」

 別れ際には酷い男だと思ったけれど、あの時――私を抱いてくれた時には優しかった。

 前世の今際の彼も、私を愛していたと言ってくれていた。

 前世の私は全くの無関心だったけれど、今の私は透のことが気になっている。気になっているからこそ、酷いことを言われれば裏切られた気がして傷つくのだ



 寝不足なので体が気だるい、まだ午前中だが少し休もうかと思っていたのに、インターフォンが鳴る。

「香澄さん、いるんでしょ?」

 ドアを開ける前にそんな声が聞こえ、私はさらに気分が落ち込んだ。

「お義母さん、どうしたのですか?」

「一人息子の家に来るのに、理由が必要?」

「いえ、秀平さんは会社ですよ」

「あら、そうなのね」

 そう言いながら、リビングのソファに我が物顔で座る。

 いつもそうだ、この義母は時々こうやって突然やってくる。

 秀平さんは私生児であり、さらに一人っ子であるため、義母には溺愛されている。

 だから私も常に機嫌を損ねないように気を使ってきた。


「今、お茶いれますね」

 はぁ、なんとか早く帰ってくれるのを祈るのみだわ。私はあくびを噛み殺し紅茶を淹れた。

「あら、香澄さん寝不足なの?」

「え、いえ、そんなことはないですよ」

「あら、髪が濡れてない? もしかして朝帰り?」

「えっ」

 こういう、細かいところをチェックするところも、苦手なところだ。

「香澄さん、うるさく言うつもりはないけど、秀平の世話を怠ることは許さないわよ!」

「それは、もちろん。わかっています」

「あなたたち、上手くいっているの?」

「え、どういう意味です?」

「だって、妻が朝帰りとか……一向に子供が出来る気配もないし」

「それは、秀平さんも仕事で忙しいみたいで」

「やっぱり、あの時、もっと反対しておけば良かったかしら。もっと秀平にふさわしい嫁がいたはずなのに」

 聞こえよがしに言うのも、いつものことで。

 気分は良くないが、反発して秀平さんの愚痴を言おうものなら更に私に対するアタリがきつくなるのはわかりきっている。


「お義母さん、今日は買い物でも行きましょうか?」

 私はご機嫌取りをする。

「そうねぇ、そうしましょうか」

 苦労して秀平さんを育ててきた義母は、やはりお金というものに弱い。

 一緒に買い物をするということは、こちらがお金を払うということだ。

そんな些細なことで、機嫌が良くなりニコニコするのだから、この義母に育てられた秀平さんがお金に執着するのも当然なのだろう。


 好きなものを好きなだけ購入してもらう。

「悪いわねぇ、こんなにたくさん買ってもらっちゃって」

「いえいえ、秀平さんにも言われていますから。お義母さんを大切にして欲しいって」

「まぁ、優しい子ね」

 満足げな笑顔は、秀平さんに少し似ている。


「荷物は、送ってもらいましょうか?」

「そうね、一人では持ちきれないわね」

 ちょうどホテルのラウンジでくつろいでいたため、宅配の手配をフロントへ依頼することにする。


「ちょっと香澄さん、これはどういうこと?」

 お手洗いから戻った私に、義母が眉間に皺を寄せながら聞く。見るからに怒っているようだ。

「何かありました?」

「このカード、秀平のものでしょ?」

「あぁ、はい」

 ホテルマンが決済のためにカードリーダーを持って、立っていた。

 私はそれを受け取り、暗証番号を入力する。

「ありがとうございました」


「ねぇ、どういうことなの?」

 ホテルマンが去った後、やはり私を糾弾する義母。

「秀平のカードを勝手に使っているの? あなたにはお金の大事さがわかっていないようね、これだからお嬢様はだめなのよ。浪費家の妻なんて最悪だわ」

 私のカードだと思って、あんなに買い漁ったくせに。よく言うわ。

「ですから、お義母さんのために使ったのですよ。優しい秀平さんなら許してくれますよ」


「おや、木暮さん。奇遇ですねぇ。香澄さんも、こんにちは」

 義母との口論が少し目立っていたのか、一人の男性が声をかけてきたのだが。

 どうして、透が? 本当に偶然?

「あら、貴方は……」

「松平透です」

「あぁ、そうだったわね」

 二人は面識があるようだが、それほど親しいわけではない。それはそうだろう、秀平さんとはライバルなのだから。

「不躾ですが、少し聞こえてしまったのです。木暮は自分の母親にもお金をケチる奴だったんですねぇ。そんな奴、俺のライバルにはならないなぁ」

「何、失礼なこと言っているの? 秀平は貴方なんかよりずっと優しいわよ! 香澄さん、気分悪いから帰るわ!」

「え、はい、お気を付けて」


 嵐のように去って行った義母を見送ると、静寂が訪れた。

 透と二人、なんだか居心地が悪いのは、今朝の別れ際の気まずさのせいだろう。

「私も、失礼しようかな」

「待ってくれ」

 私に何か用があるの? ここに現れたのも偶然ではなく、私を探していたの?

 それらは全て、私の願望。

 口では興味ないようなことを言っても、実は私のことを想っていて欲しいという願い。

「邪魔者を追いやってあげたのだから、何かご褒美が欲しいな」

「なっ、なにを……」

 まさかとは思うけれど、一度体を許したからって、そういう要求をするというの?

 やっぱり、私は透のことを買いかぶっていたのかもしれない。



「そうだな、ケーキセットでも頼もうか」

「へ?」

 思いがけない言葉だったので、驚いて変な声が出た。

「ここのオススメって書いてあるし」

 あぁ……確かに美味しそうな写真がメニューに貼られている。

「ケーキ、好きなの?」

「あぁ、悪いか?」

 透は苦笑いをする。

「いえ」

 本当は、甘いものが好きだなんて可愛いな、なんて思ったのだけど。

 ようやく和んだ雰囲気を壊したくなかったので、黙っておいた。


「ひとつ、聞きたいことがあるんだ」

 伏し目がちな透が、口を開いた。

「なぁに?」

「今の君は、秀平をどう思っている?」

「どうって……そんなの、愛しているに決まっているじゃないの」

「……そうか」

 どきどきしていた。

 私の気持ちを見透かされているのかと思った。

 秀平さんよりも透のことを好きになりかけていることを。


「どうして、そんなことを聞くの?」

「いや、別に」

 言い澱む透の姿に、私は何故か惹かれる。

「ちゃんと言ってよ」

「いや、なんだか最近の君は人が変わったような感じがして。あぁ、すまない。俺の気のせいだったみたいだ」


 私は、今すぐ彼の胸に飛び込みたくなる気持ちを、必死に抑えていた。



 その時、そんな二人の姿をスマホのカメラに捉えていた者がいた。

 その画像だけを見れば、仲良くお茶する恋人同士にも見えなくもないようなもの。

 その者は、早速その画像をある人に送る。

 二人の知らないところで、ほくそ笑む人がいた。




「香澄、ちょっと来なさい」

 私が家へ帰ると、秀平さんはすでに家で待っていて、私を呼びつける。

 それでなくても、義母との買い物で心身ともに疲れていて早く休みたいのに、何の用だろう。

「秀平さん、なんですか?」

「俺のカードを使ったらしいな、暗証番号はどうやって知ったのだ?」

 あら、既に義母からの連絡が入ったらしい。

「随分前に、秀平さんに聞きましたよ」

「嘘つくな、そんな覚えはないぞ」

「あの時、秀平さんは酔っていたから覚えてないのでは?」

「うーん、そんなことあったか?」

 素直に考えているようだが、覚えてないだろう。

 なぜなら、私が秀平さんの手帳を盗み見ただけなのだから。

「そんなことより、無駄遣いするなよ。母さんも怒っていたぞ」

「あら、秀平さん。お義母さん楽しそうに買い物していたわよ? 女手一つで苦労して育ててくれたんですもの、それくらい安いものでしょ?」

「まぁ、確かに」

 マザコンの秀平さんらしく、そこは反論しなかった。そういう素直なところは嫌いじゃない。


 そんなことを考えていたら、秀平さんのスマホが鳴り出したため、私は、今度こそ休めると思って、部屋を出ようとしたのだが。


「おい、香澄! 一緒に来なさい」

「はい?」

 嫌だと言おうとしたのだけど、一切拒否を許さないような秀平さんの表情がそこにあった。

「何かあったの?」

「いいから、ついてきなさい」

 普段よりも緊張した様子だった。

 私は、何も聞かされないまま秀平さんの後を追った。




To be continued


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