「貴様、自分が何しているかわかっているのか?」
木暮秀平は社長で、今日のこのビジネスパーティーの主催者でもある。
「木暮社長、暴力はいけません」
その秀平さんに対し、たとえ暴力を止めるためであったとしても反抗することは――今後の処遇に少なからず影響がある筈で――なかなか出来る事ではない。
「誰に向かって物を言っている? その手を離せ、松平」
「香澄さんに手を上げないと約束してくれるなら」
そう言いながら、私を見つめた。
一瞬だけ目が合ってすぐに逸らされた瞳には、暗い影が潜んでいたが。
「わかった、約束する」
秀平さんの言葉を受けて、松平くんが力を緩める。
二人は向かい合い、秀平さんは痛そうに右腕をさすっている。
だが、松平くんが一つ息を吐き俯いた一瞬の隙に、秀平さんは松平くんの顔を殴った。
「うっ」
鈍い音と共に松平くんのうめき声、遠巻きに見つめていた観衆の中からは小さな悲鳴も上がった。
「ちょっと、秀平さん、何するの?」
「香澄には手を上げないと約束はしたが、貴様を殴らないとは言ってない。俺にたてついたらどうなるか、見せしめだ」
いい気味だと呟いて、右手の拳を痛そうにまたさする。
「さいていだわ」
全く、すぐに手を上げるんだから。
力が、すなわち権力であり高い地位を指し示すと思い込んでいる秀平さんに、私は心底呆れ嫌悪する。
私の声は興奮していた彼には聞こえなかったようだが、松平くんには届いたみたいで驚いた顔をしていた。
生まれ変わる前の私――松平透が知っている私――は、権力を持った木暮秀平を崇拝していて、たとえ酷い仕打ちをされてもそれに従っていたのだから、今の松平くんが私の発言を不審に思うのも仕方ないのかもしれない。
相変わらずの暗い瞳の奥に微かな光を見つけたくて、私は松平くんを見つめる。
その口角からは血が滲んでいて、見るからに痛そうだった。
私は自分の持っていた白いハンカチをそっと渡そうとしたのだけど、彼は受け取ろうとしない。
私が親切にすることが、そんなにおかしいというの?
または、嫌なのだろうか。
私が木暮秀平の妻だから?
そんなに嫌われているのだろうか。
私は苛立って、ハンカチで無理やり松平くんの口を拭う。
「痛っ」
少し、強く拭い過ぎたらしい。
「ごめんなさいね、でも放っておいて化膿したら大変よ」
「どうして?」
「だから、怪我は応急処置が大事なのよ」
「いや、そうじゃなくて……わたしなんかに優しくしないでください。香澄さんの手をわたしなんかの血で汚すわけには――」
血が付いたハンカチを私から奪うのは素早い行動だった。
そんな、卑下しなくても良いと思うのだけど。
あぁ、でも。以前の私がそうだったのよね、松平くんなどまるで眼中にないように振る舞って、声をかけることすらなかったものね。
私が彼をこんな暗い眼をした男にしてしまったのかもしれない。
彼は秀平さんに無理難題を押し付けられたり、蔑んだりされてもひたすら耐えていた。
期待しても失望させられ、どんなことにも耐え忍び、何事にも諦めているようなそんな瞳だ。
「何をごちゃごちゃ言っているんだ、香澄、こっちに来なさい」
「なんですか?」
もう少し松平くんと会話をしたかった、少しでも前世の誤解を解きたかったけれど。
相変わらず秀平さんは怒っているから、ここは素直に従わないと松平くんへの風当たりが強くなるのだろう。
「どうしてこんなことをした? 理由を話せ!」
「こんなって?」
「この、くだらない写真の事だよ」
「くだらない? 私には貴重な写真に思えるけれど?」
「なんだって?」
「だって私には、初めて見る写真だもの」
「何言っている、そんなわけはないだろう。他に誰がこんな写真――まさか、誰か協力者がいるのか?」
「さぁ、どうかしら」
焦っている、イライラしている。そんな秀平さんを見て笑いを堪えるのに必死だった。
「誰だ、言ってみろ」
「知らないってば。今まで無茶してきたから、いろんな人に恨みをかっているんじゃないの?」
「まさか、そんな――」
疑心暗鬼になればいい。実際に恨んでいる人間は一人や二人ではないのだから。
「おい、香澄」
「わっ、何するのよ!」
いきなり私のバッグを奪う秀平さん。そして中身をぶちまける。
手帳や化粧品、その他細々したものが転がる。
「これは、何だ?」
その中から、小さなリモコンを見つけ出し、私の目の前に突きつける。
「あら、何かしら」
「まだ、とぼける気か? 自分のバッグから出てきたというのに」
「誰かが私に罪をきせるために、勝手にバッグに忍ばせたのかもしれないでしょ?」
「はぁ? 何を馬鹿な……いい加減にしろ、お前、ちょっとおかしいんじゃないのか? さっき死にかけた時に頭でも打ったのか?」
本気で苛ついている秀平さんの姿は滑稽で、私は逆に楽しくなっていた。
「そうよ、あなたいつも言っているじゃないの。私は常軌を逸しているって、その通りよ! それが私なの。常識なんて知ったこっちゃないわ、狂ってるって思われたってかまわない。流行りでいうとアタオカかしら。ふっ、ふふ、あははっ」
狂ったふりも楽しいもので、おまけに、答えたくない質問にはこれが一番だ。協力者の事は是が非でも隠しておきたいから。
「開き直りやがって」
戦意喪失したのか、秀平さんは小さな声で呟いてそっぽを向いた。
私たちの言い争いを、パーティー客は遠巻きに見ていた。
沙代里は、それを気にしてハラハラしていたようだった。
「この写真は合成よ!」
大き目の声で言い放つ。
「このご時世、誰にでも簡単に合成写真なんて作れるんだから」
この写真は真実なんかではないと、周りに対するアピールが凄い。
そんなわけないのに。
事実は沙代里本人が一番知っている筈なのに。
彼女がそれ程までに否定しようとするのは何故なのだろう。
秀平さんを守るため?
私は沙代里の真意を知りたくて、近づく。そして耳元で囁く。
「写真はこれだけじゃないわよ」
「なんですって?」
「もっと決定的なものよ、それらも合成だと言って誤魔化す? このご時世、合成かどうかも簡単にわかるわよねぇ」
沙代里の真っ青な顔を見て、私は笑いが止まらなかった。
沙代里を沈黙させることに成功し、私は満足していた。
松平くんの事が気になったけれど、すでに彼はどこかへ行ってしまっていた。
なので私は松平くんをさがす事は諦め、今回のもう一つの目的のために動こうとしたのだが、秀平さんがまたわめきだした。
「香澄、プロジェクターを消して今すぐ帰れ!」
「嫌よ、なんで私が帰らなければいけないの?」
「なんだと?」
今まで自分の言うことを何でも聞いてきた私に拒否られたことで、相変わらずの怒りを表すが、さっきの狂った演技が効いているせいか、半ば呆れられている感じもあった。
「まぁ、写真は消してあげるから、この後は私の自由にさせてもらうわよ」
「ちっ、好きにしろ」
To be continued