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第3話

 私がスマホを差し出すと、不審そうな表情をする二人。

 秀平さんがスマホを奪うようにして、画面を見る。そして、沙代里もそれを覗く。

「フン」と言葉少なにスマホを私に返す秀平さんは、不機嫌さを隠そうともしない。


 その写真は、秀平さんと沙代里のツーショットであるが、不貞の決定的な証拠とまでは言えない。着衣の乱れもなく、見ようによっては仕事上の会話をしているのかもしれないようなもの。けれど、二人の距離はとても近くて、何よりその表情が親密さを物語っている。


 前世の私は、この写真を見て逆上したものだ。

 もちろん今でも裏切られたことは許せないが、以前のように怒りでパニックになり周りが見えなくなるほどではない。頭の片隅で冷静さを保っている。


「ですからこれは、仕事の相談をしていたのです。やましいことはありませんよ」

 沙代里は少し態勢を整えたようで、声に張りが出ていた。

 きっと、もっと過激な写真が出てくると思っていたのだろう。この写真なら誤魔化せると踏んで強気に出ているように見える。


「そうかしら? かなり親密そうだけど?」

「それはそうでしょう、私は秀平さんを尊敬していますから。でも、それだけです」

「ならば、この時に何を喋っていたか聞けば、それが本当かどうかわかるわよね」

「え?」

 私の言葉の真意が理解出来ないのか、出来ているからこその驚きなのか……

「この写真、動画の切り抜きなんだけどなぁ」

 わざと沙代里の方は見ずに独り言のように呟いてみた。


 横目で見れば、真顔になった沙代里。よくよく見れば唇が小刻みに震えているようだ。

 ほらね、やっぱり。嘘が暴かれる恐怖に震えればいい!

「おい、いい加減にしろ。本当にそんな動画があるのか、ハッタリじゃないのか」

 秀平さんの目には怒りがにじんでいる。


「さぁ、どうかしら」

 私は目を逸らして答えた。

 秀平さんにとっては、きっとそんなことはどうだっていいのだろう。たとえ自分の不貞が露呈したとしても私は彼の思い通りになる、そんな従順な女だと思っているはずだから。

 そう、どれだけ冷たくされても裏切られても、最後に私の元に戻ってきてくれたならと許していた前世の自分のことを、今のわたしならこう思う。愚かだったと。


「そんなことより香澄――」

 案の定、秀平さんは動画ごときには興味なさそうに私の方へにじり寄る。

「この写真はどう見ても隠し撮りだよな、誰に頼んだ? 探偵か? どれだけお金をかけたんだ? この日だけじゃなくもっと前から探ってたのか? どうなんだ、あ?」


 そう、この人はこういう男。

「ごめんなさい、でも――」

「言い訳はいらないんだよ」

 ベッドサイドに近寄り、今にも掴みかからんとするから、ベッドの端まで後退る。

「どうすれば――」

 私の言葉を聞いて不敵な笑みを浮かべる秀平さん。

「そうだな、では誠意を見せてもらおうか。ベッドから降りて、跪いて謝りなさい。俺にではなくて沙代里へ謝罪をするんだ」


 なんですって!

 そんな屈辱は真っ平ごめん、でも前世の私は――秀平さんが考える私の姿は――どうしていただろうか。秀平さんの機嫌を取るために、言われたように土下座でも何でもしていたのだろう。


「わかったわ……沙代里さん、さきほどは――」

 私はベッドから抜け出し、沙代里さんの正面に立つ。

 沙代里は、さっきまでのオドオドした表情とは打って変わって薄ら笑いを浮かべている。

「いい気味ね……もう二度とあんな態度取らないでくださいね?」

 言葉は丁寧だが嫌みたっぷりに言うものだから、悔しくてつい止まってしまう。

「どうしたの、ほら早く、跪きなさい!」

 私はうつむいた。跪くために……ではなく、怒りをなんとか抑えるために。

「そうだ、写真でも撮ろうかしら」

 そんな声とスマホを操作する音が聞こえてきたら、もう無理だった。

 抑えようと思っていた怒りが逆に爆発し、私はおもいきり手を上げた。


「バッチーン」

 部屋中に乾いた音が響いた。

 私が、沙代里を平手打ちにした音だった。

「いっ……たぁい」

「おい、香澄! 何してる」

 驚いて静まり返ったのは一瞬で、その後は沙代里の悲鳴と秀平さんの怒鳴り声がこだました。

 あぁ、すっきりした!

カッとなってやってしまったけれど、後悔はないわ。


 だが今度こそ、秀平さんは怒り私に詰め寄って胸ぐらを掴む。

 右手は振り上げられ、私を叩こうとしている。目には目を! といったところか。

 やられた沙代里ではなく、男の秀平さんがそれをするのはどうかと思うが。彼はそういう男なのだろう、自分に逆らう人には容赦しない。

 だが、怖くはない。


「もしも手をあげたら、私にも考えがあるわよ」

「なんだって?」

「新エネルギープロジェクトの件よ、私が協力しなければ資金調達がどうなるか……賢いあなたのことだもの、わかるわよね?」

「おまえ……」

 秀平さんもバカではない、嫌々ながらも振り上げた手を下ろした。


――新エネルギープロジェクト――秀平さんがこれから進めていこうとしている案件である。かなり大掛かりで、なんでも政財界の大物も一枚嚙んでいるとの噂もある。うまくいけば莫大な財産を築けると秀平さんは大いに乗り気なのだが……

 その資金繰りに、私の実家の父の財力を当てにしているためだ。

 私と父は、昔は仲が良かったのだけど、私の結婚を機に仲違いをした。

大好きだった父よりも秀平さんを選んだのは、この私で――今では後悔しているけれど――自分で決めたことだから父には出来るだけ頼りたくはなかったのだけど。


 秀平さんは父に頼んでくれと懇願し、そんな時は私にとびきり優しくしてくれるものだから、ついうっかり了承してしまったのだった。

 父は最初渋っていた。私は父の意に沿わず結婚してからずっと父との連絡を断っていた。そんな状態にも関わらずお金の無心をしたのだから当然だと思う。


「なんだ、久しぶりに会いに来たと思えばお金の話か」

 心底呆れた顔をする父は、以前よりも小さく見えた。

「お前のためじゃない、これは投資だ」

 それでもビジネスとして考慮すると言ってくれた父は、根が優しいのだろう。


 あぁ、そんな父があんなことになってしまうとは……


――私の前世の記憶に寄れば――


 全てが秀平さんの罠だったのだ。

 私には具体的なことはわからないが――秀平さんも父も教えてくれなかったから――半ば詐欺のような形で父は資金をむしり取られ、破産寸前となったという。


「これは、どういうことだ!」

 珍しく父が家へやってきたと思ったら、書斎からそんな怒鳴り声が聞こえていた。

「契約書に書いてありますよ」

 秀平さんの落ち着き払った声と、父の苦痛の叫びが忘れられない。

 後で父に「ごめんなさい、私のせいで」と謝ったが、父は私を責めなかった。

 それどころか、結婚した当時疎遠になった時よりも優しくなっていたように思う。

 もしかしたら父は、心の底ではずっと私のことを想っていてくれていたのかもしれない。

 だから余計に自分が情けなく、秀平さんに対しては許せない気持ちでいっぱいだ。


 二度目の人生のこの世界では、あんなことにならないように、父が辛い思いをしないように動くつもりだ。




 秀平さんは、少し冷静になったようで私から手を離した。


「なんだ香澄、体は大丈夫そうじゃないか。これなら今夜のパーティーにも参加出来るね、くれぐれも粗相のないように頼むよ」

 そう言った秀平さんは冷たい目をしていて、それから沙代里へ私の退院手続きをするよう指示した。


 その日の夜には前々からビジネスパーティーが予定されていた。

 秀平さんは計算高い男である。お金も好きだが名声はもっと好きで、月に何度もパーティーを開く。ホームパーティーのような小さなものから会場を借りて開く大々的なものまで様々である。今日のパーティーは特に招待客も多く、失敗したくないらしい。


 あぁそうか、だから嫌々ながら私の様子を見に来たのか。

 さっさと二人そろって出て行った病室のドアを見つめながら、私は一本の電話をかけた。


 しばらくすると、身の回りの世話をしてくれる家政婦がやって来て、付き添われてタクシーで自宅へ帰った。身支度をしてパーティーの準備をする。一応社長夫人であるから、ふさわしいドレスに身を包む。

「奥様、お綺麗です」

「ありがとう」

「旦那様は車でお待ちです」

「わかったわ」


 相変わらず不機嫌な秀平さんと、それでも一緒に会場へ入っていく。

 すぐにいろんな人たちが挨拶にやってくる。

 しばらくは隣で挨拶や対応をしていたが、秀平さんの好きなお金の話が始まって、投資家の人達とどこかへ行ってしまった。

 以前の私なら置き去りにされ寂しく思っていただろうが、今はせいせいしている。

 ウェイターから飲み物を貰って一人でくつろいでいると、ふと視線を感じた。


 そちらを見てドキリとした。

「松平くん……」

 距離は離れているが、松平透が私を見ている。

 視線を逸らすことが出来ず、結果的に見つめ合う形となった。


 もしかしたら彼も? そんな思いが頭をよぎる。

 あの時、私よりも少しだけ先に死んだ松平くん。

 彼も二度目の人生を歩んでいるとしたら……

 いや、そんな偶然があるだろうか?

 わからない。

 いっそ、問いただしてみる? もし違ったら、私の頭がおかしいと思われるだけよね。

 それでも、話してみたい。


 前世の私は、一度もそんなことをしなかったし、話したいとも思わなかったけれど。

 松平くんは相変わらずこちらを見つめるだけで、動こうとはしない。

 私は、松平透に近づくために歩き出した。



To be continue

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