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第2話

「なんだ」

「どうした」

「何事だ」

 男たちの声も緊急事態のように聞こえ、一瞬にして空気が変わった。


 そして。

「うげっ、ぎゃぁぁ」

 うめき声が聞こえたのは、私のすぐ近くからだった。

 驚いて開いた私の目に映ったものは、私を襲おうとしていた男の苦痛に満ちた表情と、その男の腕を捻り上げている松平透だった。


「松平くん?」

 彼が私を見つめる。

「必ず、助けるから」

 何故だろう、そう言った彼の瞳はとても優しくて。


 初めてだった、そんなふうに思ったのは――否、ずっと彼は私を想っていてくれたのかもしれない――ただ、私の目が曇っていたのかも。

 松平くんは男の腕を更に捩じ上げ鈍い音をさせた後、すぐに私の止血に取り掛かった。

 腕を骨折でもしたのか、男はうずくまったまま動く気配はない。

 出血部にタオルを押し当て、さらに自分の上着を脱いで私の上腕部をきつく巻絞め上げる。


 処置をしている間の彼は無防備になる。その隙に仲間の男たちが彼を攻撃する。

 何度かは攻撃を躱し反撃をしていた。強い!

 だが、いかんせん多勢に無勢、ブスリという鈍い音とともに真っ赤な血が彼の腰を染めた。

「うっ……」

刃物が刺さっているようだが、自分の止血よりも私の止血を優先させている。

「刺されたの?」

「こんなの、かすり傷だから大丈夫」

 でも、どんどん出血しているわよ? 誰が見たって放っておけば危険な状態だってわかると思う。ほら、男たちも遠巻きに見ている――なんというか、松平くんの気迫に気圧されているみたいに。


「どうして、そこまで?」

「最後まで守りたくて」

「最後って……もしかして最初から守ってくれていたの? あの時、やっぱり貴方が私を救ってくれたの?」

 私は秀平さんが助けてくれたのだと思っていたのに、そうじゃなかったの?


「あの時は無事で良かった……君は死んじゃいけない」

 苦しそうに――額には脂汗が浮かんでいるし、少しずつ目の輝きが失われつつある。

「あいつと別れて幸せになってくれ」

「あいつって、秀平さんのこと?」

 松平くんに問えば、静かに頷いた。

「秀平はお金のためなら何だってする。命だって軽んじている、保険金目当てで……それで」


 初めて、松平くんの流す涙を見た。

 顔色が真っ青だ、私を止血していた手の力も緩くなっている。

「もう、いい。喋らないで」

 私のせいで、もう誰も死なないで欲しい。

 ドン!

 大きな音と、衝撃が走った。


「うわぁ」

 松平くんの体が揺らいでドサッと倒れた。

 私のすぐ隣に横たわる彼からはドクドクと流れる鮮血。

 刺さったままのナイフをグッと踏み込む足が見え……私の体は恐怖で震える。

 なぜなら、その足は。顔を見なくても誰だかわかる。

「秀平さん?」

「やぁ、香澄。さよならをするために来てあげたよ。松平は喋りすぎたね、この俺が息の根を止めてあげよう」


 見方によっては優しい微笑み――以前の香織であればそう見えたかもしれないが、今はただの嘲笑いだろう――で、そんなことを言う秀平さんが立っていた。そのすぐ後ろには同じように嘲笑する沙代里がいて、とても嫌な感じだ。

「くぅ……うぅ……」

 松平くんはもう目を開けていられないようだ。体が更に冷え切っていて、呼吸も浅く短くなっている。

 これを虫の息と言うのだろうか。


 秀平さんと沙代里は、松平くんの死を確信し――おそらくは私の死をも確信して既に帰り支度を始めていた。もう私たちの事は見向きもせず、実行犯の男たちに報酬の話をしているようだ。


「香織さん」

 ほんとうに小さな声で、松平くんが私の名前を呼んだ。

「なぁに?」

 私は手を伸ばし、彼の肩に触れる。

本当なら抱き寄せたかったのだけど、私にはもうそんな力も時間も残っていなかった。

「あい……し……てた、ずっ……っ」

 辛そうな表情だけど、私の目をしっかり見つめている。

 知らなかった松平くんの気持ち、もっと早く気付いていたなら、もっともっと違う人生があったのかも。

 私は、ただ松平くんの体に手を添え、そして見つめる。

 彼の呼吸が変化した。下顎を動かして必死に息をしているようだ。

 すると……。

「え、止ま……った?」

 誰かに確認したかったわけではない、ただ信じたくなかったのだ。

ただ……悲しくて、そして無力感だけが心を埋めた。

「松平くん!」

 心を込めて彼の名を呼ぶが、もう彼に答えることは出来ない。

 そして私も、もうすぐ同じように呼吸を止める。


 人は、死ぬ瞬間に何を思うのだろう。

 私は、ただ絶望だけを抱きしめていた。




 暗闇が広がっていた、漆黒の海とでも言おうか、ただ漂っているような感覚。


 悔しい……悔しい……悔しい……


 誰? どこにいるの?

 どこかから聞こえる、悔しいという言葉。否、それは言葉ではないのだろう、だって私は言葉を聞く耳を失ったのだから。

 では、なに?


『ここにいるよ』

 え?

 私の言葉が聞こえたの? 否、私は言葉を発する口を失っている。

 思考、思い、概念、言葉ではない何か。

 テレパシーのようなもの?

 誰なの?

 もう一度、念じてみる。


『松平だよ、香澄さん』

 まさか、いや、でもそうなのかもしれない。

 今、私はなんだか穏やかな気持ちでいられる。

 松平透の言葉――ではないかもしれないが――は、優しい響きで私を癒してくれる。


『嬉しいよ、香澄さん。そんなふうに思ってくれるなんて』

 あぁ、やっぱりテレパシーなのね、私の想いも筒抜けなんて。

 少し恥ずかしい……

 あぁ、でも。彼の悔しいという思いは私も全面的に同意するわ。

 本当に悔しいし、恨むわ!


 私を裏切った秀平さんと沙代里はもちろんだけど、それ以上に恨みたい人物がいるの。

『誰?』

最低な人間、秀平と沙代里に簡単に騙されていた馬鹿な私よ。

『そんなこと言うな、香澄さんは悪くない』

 でも愚かだった。

『仕方ないことなんだ、秀平と沙代里は主役で俺たちは脇役なのだから』

 え……

『知らなかったんだよな、だから仕方ないんだ。俺も秀平に復讐したかったのに出来なかった。脇役が主役に勝とうなんて、無理だったんだ』

 そんな……だから私も松平くんも死んでしまったというの?

 それが運命だとでもいうの?

 理不尽だ……理不尽で、悔しい。あぁやっぱり、悔しいな。


 言葉ではない、そんな『想い』だけが、暗闇に漂う。


『もしも……もしも生まれ変わったら』

 松平透の想い、それはきっと私の想い。


『主役になりたい、そして』

『あなたと一緒になりたい』

『愛してる』





「うっ、眩しい」

 私は目を覚ました。そう、文字通り眠りから覚めた。

 どうして?

 私は自分の手を見つめる。ちゃんと、ある。

 胸も、お腹も、足も。

 鏡を見れば、私が生きていることが実感としてわかるのだろう。

 夢?

 夢だとしたら、あまりにもハッキリとした記憶なのだけど。

 だとしたら、どこからどこまでが夢なのか。

 私は起き上がってみるが、体は痛くない。ただ頭がフワフワする、貧血みたいに。

「スマホは?」

 現状把握にはスマホが重要。

 周りを見渡せば、枕元に見覚えの……ないスマホ。これ、何年か前のやつ?

 まさかね、と思いながら電源を入れてみる。そこに表示された日時は……

 その、まさかだった。

 テレビを付けてみる。

 やっぱり。

 私の左手首の包帯、白を基調とした殺風景な部屋、ベッド、ナースコール。

 覚えがあった。


 過去、秀平さんの浮気を初めて疑った時のことだ、私は自分でリストカットをした。

 彼の気持ちを確かめたくて、気を引きたくて、今思えば愚かなことと思うのだけど。

 あの時に戻っている?

 タイムトラベルなのか、いや、私の記憶が本当のもので死んだのが事実だとしたら、生まれ変わったということか?


 どちらにしても、これはチャンスだと思う。

 松平くんの最後の言葉を思い浮かべる。


 もしも生まれ変わったら――

 私はスマホを眺め、長い時間考えていた。


 ドアがノックされ、巡回の時間なのか看護師さんが入ってきて驚いていた。

「あら、気が付かれたんですね、ドクターを呼びますね」

 それからはバタバタと簡単な問診や検査やらをして、その間に連絡をしたらしく、秀平さんと沙代里がやってきた。秀平さんは夫であるし、沙代里はその秘書という立場で。


 秀平さんの顔を見れば、心配しているというよりは明らかに面倒くささが前面に出ている。

 以前の――前世の私であれば、それでも嬉しいと思っただろうが、今の私には憎しみしかない。ただ、今ここでネタばらしをするよりももっと効果的な復讐をしたいと思っている。そのために私は演じる必要がある。私が、この二度目の人生で主役になるために。


「大丈夫なのか?」

 建前でも心配してくれた秀平さんに「ええ、大丈夫よ」と答える。

「どうしてこんなことをした? あまり迷惑をかけるんじゃない」

「ごめんなさい、でも――」

 一応、殊勝に謝っておく。


「でも、貴方と沙代里さんがホテルに入って行ったという噂を聞いたのよ」

 少しも悲しくはないが、悲しそうな顔をしてみると、秀平さんはため息をつき、沙代里は焦った顔をした。


「違います、私と秀平さんはそんな関係ではなくて。ただ……そう、仕事の打ち合わせをしていただけです、本当です」

 沙代里は言い訳を口にして、秀平さんは黙っている。

「では、貴女と秀平さんは男女の関係ではないのね?」

「ええ、もちろん」

 私はしばらく口を閉じた。沈黙で二人を追い詰められないかと思ったのだが、あまり効果はなかったようなので、次の手を打つ。


「ならば、この写真はどういうことかしら?」

 私はスマホの中の写真を二人に見せた。




To be continued

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