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第47話 夢から覚めたら

第四十七話『夢から覚めたら』


「君が産まれたのは、こんな月の夜だったよ」


 屋根の上。並んで座って、月夜を眺めている親子を包む闇は色濃く、星の瞬きを宝石のように見せていました。そして、目の前の月。白銀に輝いている大きな満月。


「あのお月さまには何が住んでいると思う?」


 父親の問いかけに、幼い娘は月を見つめたまま答えます。


「ウサギさん、ないよぉ」


「おっ、ウサギさんじゃないのかぁ。じゃぁ、なんだい?」


 娘の答えに嬉しさを隠せない父は、ジッと月を見上げる幼い横顔を見つめました。


「めがみしゃまぁ」


 小さな両手が、月に向かって広げられました。


「そうか、女神様か。うんうん。そうだよね、女神様だよね。ヨーロッパでは魔女が住んでいるなんて言ったりするけれど、あのお月さまには女神さまだよね」


 何度も頷きながら、父は娘を自分の膝に抱き上げました。


「月は、穏やかさや知性を象徴していて、願いを叶えたり、災いから身を守ってくれると言われているんだよ。でも、そんなことは関係なく、ただただその姿が美しくて… 無意識のうちに泣いてしまうほどに美しかったから、君の名前にしたんだよ。君は僕とお母さんにとって、暗闇でも優しく輝く美しい月だから」


「かあしゃん?」


「そう。お母さん。… これだけは覚えておいてね。君は僕とお母さんの宝物。美月、君は一番大切なものだよ」



 久しぶりに、お父さんの夢を見たな。しかも、あんな昔の夢。あの頃はもう、お母さんはいなくって、月の綺麗な夜はお父さんとよくお月見をしていたなぁ。家の屋根に上って。でも、あの夜の月は本当に綺麗だった。蛍光灯の灯りより明るくて、ランプの灯りより優しくて… 幼かった私が知っている、どんな満月よりキラキラ輝いていて、不思議な魅力を感じていたんだよね。


「ああ、明るいと思ったら… 今夜は満月だったんだ」


 横からの明かりに目を覚ました美月は、そろそろ~っと、顔をそっちに向けてみました。カーテンが開けられたままの窓から月が見えます。クレヨンで塗りつぶしたような夜空に、まん丸のお月さまが一つ。そのお月さまの明かりが、暗い病室をほんのりと照らしていました。


 お父さんも、どこかで見ているかな?


「お父さん、今日の満月は、きな粉餅みたいだよ」


 そう呟くと、返事をするかのようにお腹がなりました。その音の大きさにも驚いたけれど、スルッと痛みも何の抵抗もなく声がでていたことにも驚きました。


 黒崎先生、体の外側も内臓も、総ての細胞がウイルスにやられて再建中だって言っていたよね? しばらくこのベッドの上だって。


「あ~… ああ~。あ・い・う・え・お… 出る!」


 声、出た! 喉もいたくないし… 腕も、腰も… やった! ちゃんと立てた!!


 恐る恐る腕を動かして、上半身を起こして、寝る前に味わった激痛が襲ってこないのを確認して、それでもゆっくりとベッドから下りてみました。入院着が肌を擦っても、痛みがないのに嬉しくなって、クルクルっと両手を広げて回転してみます。


 痛くない! やった! もう、大丈夫そう。


「わわわ…」


 嬉しくてクルクルと回った美月のつま先は、バランスを上手くとれなくて体が大きく傾きました。思わず目を瞑ると


「何をしているんですか?」


 呆れた声と同時に、体を抱き留められました。


「… あ、く、黒崎先生」


 目を開けて、視界いっぱいに黒崎先生の顔が飛び込んできて、美月の心臓はドキドキしはじめました。


「しばらくはベッドの上だと、言ったはずですが?」


 声は呆れていても、美月を抱き上げてベッドに寝かせってくれる動きは、とても優しいものでした。ちゃんと、掛け布団もかけてくれます。


「激痛で、聞こえていませんでしたか?」


 うっ… 聞こえていました。


「ご、ごめんなさい。目が覚めたら声が出て… 喉も体も痛くなくって、ちゃんと立てたから、つい…」


 視界の端で、黒崎先生がパイプ椅子に座ったのを確認しつつ、顔を見られるのが恥ずかしくて、掛け布団を目の上まで引き上げました。


 病室は暗いけれど、月の明かりで見えるよね? 私は先生の顔、しっかり見えたもん。… 怒ってはいないみたいだけれど、呆れてはいるよね? やっぱり。


「痛み、もう引いたのですか? エスポアの話だと、早くてもあと2日はかかるだろうと言っていましたよ」


 あと2日? あの痛みがあと2日も? いやいや、勘弁してください。それこそ死んじゃう。あの痛みは思い出したくもないよ。


「お、起きたら… 大丈夫でした」


「失礼」


 布団の中からモソモソ答えると、黒崎先生は勢いよく掛け布団をはぎ取りました。


「わわわわわ…」


 慌てて顔を両手でかくして体をくるりと丸めて、黒崎先生に背中を向ける美月。


「… 確かに、痛みは引いたようですね。少し、お話がしたいのですが、そのままの体制でよろしいですか?」


 出来れば、掛け布団をかけてください。


「これがあれば…」


 グググググゥゥゥ~!! グウ… グウウ… グググググゥゥ…


 さっきよりも大きな腹の音が、黒崎先生の話を遮りました。何倍も大きくて、鳴り続くその音に、


「わぁぁぁぁぁ!!」


「… フッ… フフフ… アハハハハハ!」


 美月は腹の音を消そうと声を上げながら両手でお腹を抑え込み、黒崎先生は最初こそ目が点になったものの、こみ上げてくる笑いを抑えきれませんでした。


「あ、あの、これは…」


 ちょっ、なんでこんなに鳴るの? 確かに、お腹は空いているけれど。あっ、そんなことを思ったら、また音量が大きくなっちゃった。私のお腹、正直だな~。て、本当に止まってよぉ。恥ずかしすぎる。 


 美月はグゥグゥなるお腹を押さえ、恥ずかしさで変な汗が出てきたのを感じながら、ぎゅっと目をつぶりました。


「笑ってしまって、すみません。でも、いいじゃないですか。お腹が鳴るということは、体が正常に戻ったのでしょう? いいことですし、可愛い音ですよ」


 黒崎先生は笑いながら、コロンと美月の体を転がして自分の方に向けると、ベッド横の棚から取った黒縁眼鏡を美月に差し出しました。



 とりあえず… て、黒崎先生がくれたスポーツ飲料水が、全身に染み渡るぅ~。ちゃんと細胞にまで染みていくのが分かるなぁ。水分を吸収して、プルプルしてるね、きっと。今まで飲んだ中で一番美味しい。でも、お腹は余計に空いた気がする。って言うか、さっきまで空腹感は感じていなかったのに、飲んだ瞬間から強く感じちゃって… 早く何か食べたいなぁ~。


 精神安定剤に近い黒縁眼鏡をかけた美月は、黒崎先生が押してくれている車椅子に乗って、暗く静まり返った病院内を移動していました。


 一応、看護師さんに許可をもらえたけれど、就寝時間後の病院内を移動するのってドキドキしちゃう。しかも、車椅子。歩けるって言ったのに、


「さっき、倒れそうになった方はどなたです? まぁ、車椅子が嫌なら、僕が抱いて運びますが。ああ、そうしましょうか。そっちの方が、僕は一番安心できますから」


 なんて、黒崎先生がニコニコしながら言うんだもん。そりゃぁ、車椅子を取るよね。 

 でも、エスポアさんて、警察関係の人じゃなかったっけ? 本当は病院の先生なのかな? さっきも、黒崎先生がスマホで一番に連絡を入れたのはエスポアさんだったし。… 私のお腹の音、エスポアさんにも聞こえてたよね? スマホから笑い声が漏れてたもん。はぁ… 年頃の女の子としてどうなの? あんなに大きなお腹の音だなんて。しかも、2人にも聞かれちゃったし。


「もう少しだけ、我慢してください。飲食の許可は下りましたけれど、先に採血はしておくようにと指示が出ましたので」


「あ、はい。大丈夫です」


 グゥグゥ…


 ちょっ、このタイミングで、鳴らないで。


「フフフ… 急ぎましょうね」


 ほら、また笑われた。まぁ、怒られるよりマシだけれど。… マシかなぁ? けっこう、恥ずかしい。でも、あの黒崎先生は本当に何者なんだろう? いつもの黒崎先生… 私を怒った黒崎先生… スピリタスさん… 外見はそっくりというより同じなんだよね。でも、性格は違うから… 双子じゃなくって、三つ子とか?


「何を考えています?」


 車椅子の上で、悶々と考え込んでいた美月に、黒崎先生が声を掛けました。機嫌がよさそうです。


「あ、その… いろいろと」


 先生は三つ子ですか? て聞いて、答えてくれるかな? 双子疑惑には答えてくれなかったしなぁ~。


「まぁ、いろいろと状況確認もしたいでしょう。が、先に一仕事終わらせましょう」


 廊下の少し先を、受付から零れている明かりが照らしていたので、スタッフステーションが近いことが分かりました。

 スタッフステーションに到着すると、採血の準備をして待っていた女医が、美月の右腕からスムーズに血を採りました。その時、エスポアがしたようにリンパ節等のチェックもあって、美月はちょっとドキドキしました。


「以上はないと思います。担当医から飲食の許可が下りているのなら、取ってもかまいません。ただ、時間が時間なので、なるべく軽いものの方が…」


 グゥグゥ~。


 ああ~、また鳴るうぅ。


「… いいかと思いますけど、まぁ、適度に。そうだ、これ… お腹がすきすぎると低血糖を起こして危ないから、緊急回避ね」


 女医さんは、タイミングよく鳴った美月の腹の音に苦笑いをしながら、白衣のポケットからキャンディーを出して、美月にくれました。


 美月、懐かしい夢から覚めたら、空腹地獄です。お腹が鳴るのは元気な証拠でいいかもしれないけれど、年頃の乙女としては複雑です。Next→

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