第四十三話『今日、最後の賭け』
モスマンジュニアの巣から戻ると、エスポアが急いで解毒薬を作り始めました。とは言ってもとても簡単な作業で、ペットボトルサイズの筒を取り出したかと思ったら、手際よく組み立てて卓上コンロの出来上がり。キャンプ用品だとか。そこに小さな鍋を置いて、採ってきた花と青い薬品を数滴垂らして、とろ火で煮だしました。
「花にも蜜にも解毒効果はあるんだ」
スプーンでゆっくりかき混ぜるエスポアと一緒に、アイとスピリタスも鍋を囲みます。
「そう言えば、ブラウニーは?」
『土蜜』を貰ったブラウニーは上機嫌で、巣穴から出た後はフラフラとどこかに行ってしまいました。花を置いていったから、アイは散歩だと思っているのですが。
「まぁ、かまわないか。それより、今のうちに大ちゃんと連絡とってくれるか? ここが本当に野良ダンジョンだとしたら、脱出のタイミングがあるんだろう?」
あ、そうだった。もしも、空間を移動中だったらマズいもんね。ナハバームで社長に連絡してGPSで現在地が拾えるか確認してもらわなきゃ。ナハバーム、ナハバーム… 木の上に止まっていると、本物の鳥みたいだなぁ。
あ、その前に、メイクのチェックしておこう。今までは引きの画面ばかりだろうからアラが目立たなかっただろうけれど、アップはマズいよね。今回も色々あったから、メイクが総崩れしていないと良いんだけれど。ま、今回はアイメイクがメインだから。鏡、鏡…
「うわっ…」
ボディバックからミニミラーをだして覗き込んだアイは、地を這うような声を出しました。今までの機嫌のよさが、急降下です。同時に、スピリタスとエスポアに背を向けました。
マズい! これは酷すぎる!!
「お嬢ちゃん、どうした?」
アイの今までになく素早い動きに、エスポアは声をかけ、スピリタスはトントンと軽くアイの肩を叩きました。
「女子の気持ちを汲んでください」
ギャルメイクがどうのとかいうレベルじゃない!
「ああ、顔な」
今更。とでも続けるように、エスポアは鍋の中を混ぜながら笑います。スピリタスは大丈夫だ。と言わんばかりに、大きな手で肩をポンポン。
「もっと早く気が付いていたら…」
ダンジョンの汚れはともかく、吐血の跡が酷い! スピリタスさんが拭いてはくれたけれど、あれじゃぁぜんぜん足りなかったんだ。私、どれだけ吐血したの? そう言えば、いつも以上に匂うかも。髪もパサパサと言うか、パリパリ? わぁ~ん、色んなのついてるぅ。
沈みながらも、ボディバックからウエットティッシュを取り出して、真剣にミラーを覗き込んで顔の汚れをふき取り始めました。
「ダンジョン探索しているんだ、綺麗なままとはいかないさ」
「分かってますよ。そんな事、百も承知です。でも、今回は過去一酷い。酷すぎる…。
そっか、私がこんなんだから、モスマンジュニアは攻撃して来なかったんだ。人間とは見えなかったんだ。もしかして、仲間に間違われたとか?」
いや、待って。さすがにそこまでじゃないよね? そこまでいったら、まるで自分が人間捨てたみたいじゃん。余計にショック!
アイ、自分が行った言葉で追い打ちです。そんなアイの肩をポンポンと叩いて、スピリタスはアイのボディバックから携帯の櫛を取り出して、アイの髪を梳きだしました。
スピリタスさん…。ありがとうございますぅぅぅ。
顔を拭きながら、グズグズと鼻を鳴らアイ。
「お嬢ちゃん、大丈夫。可愛いよ」
そんなアイを、エスポアはクスクス笑います。そして、空いている手で少し離れた木の上に止まっているナハバームを手招きで呼びよせました。
「音声認識、ONになってるよな? 発信者、登録番号NPS10249エスポア。社内連絡。大さん、観てる~? あれ? 通信状況、イマイチだな。 受信レベルあげれたっけ?」
背中越しにエスポアの声を聞きながら、スピリタスが髪を梳いてくれているのも手伝って、アイは何とか気持ちを持ち直しました。
あまりの自分の酷さに、ギャルを忘れちゃった。ナハバームに映っていたら、カットしてもらおう。あれ?
「ブラウニーさんが戻ってきた」
カサカサと言う音に少し視線を上げたら、木々の枝をピョンピョンと飛びながら、ブラウニーがアイ達の所に向かって来るのが見えました。
「早く離れよう」
アイの足元に見事な着地を決めたブラウニーは、アイの腕を引っ張りました。
「今、解毒薬を作っているから、もう少し…」
「そんな時間ない。奴に見つかったら終わりだ」
何をそんなに慌てているのかと思いつつ、すぐ後ろのスピリタスを見ると、その視線がブラウニーが来た方向を向いている事に気が付きました。
「エスポアさん、ブラウニーさんが…」
スピリタスの体を覗き込む様にして、後ろのエスポアに声を掛けた時でした。アイは嫌な空気を感じて、スピリタスと同じ方向を見つめました。それはエスポアも同じだった様で、サッとナハバームから手を離してコンロの火を止め、鍋の中に赤い薬品を落としました。
「お嬢ちゃん、数分でいいから俺達の姿を隠してくれるかい?」
「り」
アイは素早くリップを塗って、四方にヤヌスの門を発動させました。
この感じ、いつもの黒い手とは違うけれど、とっても強くて嫌な気だ。今の私の状態だとまともに勝負しても勝てるかどうか… 悔しいな。いやいや、香坂さんが居るんだから、香坂さんの薬を作るために来たんだから、ここはさっさと引くのがベスト。目的を忘れちゃいけないよね。
「私達の周りだけ、全てを反射出来るように結界を張ったから。たぶん、10分は持つとおも」
エスポアは頷くと、寝かせていた香坂を抱き起して、ティースプーンで何かを飲ませ始めました。白かった肌も微かに空いた唇も、自分が見慣れた色に戻っていて、アイはホッとしました。
「それが解毒薬」
鍋を覗くと、花弁は綺麗サッパリ無くなっていて、ほんの少し、紫色の液体があるだけでした。
… 地面が揺れてる?
「来た」
アイが振動を感じると、ブラウニーはササっと自分からアイのボディバックの中に入り込みました。土蜜の花を抱えながら。スピリタスはケペシュを構えて、様子を伺っています。アイは近くの木に口紅で自分のサインをして、新しいロリポップキャンディーを咥えて、結界内いっぱいに魔法陣を描きだしました。今回も、口紅が最後までもつかハラハラです。
前回は脱出魔法で気分が悪くならなかった。いつもより、必要以上に魔法陣を大きく描いたからかもしれない。それなら今回も…。これ以上、醜態をさらしたくないし。
「あれ、なに?」
魔法陣を描く手が止ります。
アイがフッ… と何気に視線を上げると、そこには樹々の頭の上に女性の大きな顔がありました。
豊かなブロンドに、掘りの深いとても美しい女性の顔は、辺りを見渡しながらゆっくりとこちらに向かって来ます。
「エキドナだ」
エキドナ?! それって、ギリシャ神話の怪物だよね?! 上半身は美女で、下半身は蛇の。いやいや、それはマズい。今のパギャルの私じゃァ、勝てっこない。
アイは慌てて魔法陣の続きを描き始めました。
「本当は、あと5分は煮たかったんだけどね」
エスポアも振動を感じたのか、チラチラとブラウニーが来た方を見ながら、香坂に薬を飲ませます。意識は無くてもスルスルと飲み込まれて、最期の一滴が飲み込まれたのを見て、エスポアは急いで荷物を纏めました。
「さて、お嬢ちゃん。今日、最後の賭けだ。無事に帰れたら、俺達の勝ちだぞ」
エスポアの言葉に、アイは気合を入れました。
「行くよ~」
アイは咥えていたロリポップキャンディーで宙に「ζ<ナ丶)サルタヒコ@靴」(ソクサリサルタヒコの靴)と、描きだしました。
ズン!
今までで一番大きな振動です。
気が付かれた? でも、大丈夫、だって、なんだかんだ今回も「賭け」には勝っているもの。大丈夫、私なら無事に皆と脱出できる!
ひゅん! と、頭上に何やら気配を感じて視線を動かして見たら、それはそれは太い蛇の尾!
「マジKY!今回もマジやば谷園! こんなんソクサリ「サルタヒコの靴!」」
パン! と光の粒子があまりに散らばり、振り下ろされた蛇の尾は、アイ達を下敷きにすることなく苔の地面を大きくえぐりました。
アイ、今回もギリギリの脱出です。問題は、ちゃんとダンジョンバーに戻れるか? もしかしたら、空間の狭間に… Next→