第四十一話『イケオジと煙草と薬』
次のモンスターが出るまでに、出来るだけ回復して一人で歩けるようにしよう! て、思っていたのに、その次はすぐにやってきちゃうし、その時はお姫様抱っこから肩に担がれてお腹を圧迫されちゃうし、耳の真横でケペシュが風を切る音を聞いて、ブラウニーさんと一緒に冷や汗が出てくるし… 早く自分で歩きたい。
「スピリタス、今までこのダンジョンでモスマンジュニアを倒したことある?」
エスポアは咥えた煙草を器用にピコピコと動かしながら、アチラコチラを見ながら歩いています。質問に、スピリタスは直ぐに首を横に振ると、またアイを肩に担ぎました。
2つ先の角を右。飛行系のモンスターかな? 飛んでる音が聞こえる。けっこう大きそう。
「たんまたんま。次、オジサンが相手するから。年頃の女の子を、そうそう頻繁に担ぐもんじゃないよ」
言いながらエスポアがスピリタスの横に並ぶと、スピリタスはアイを抱え直しました。逆に、エスポアが香坂を肩に担ぎます。
「お嬢ちゃんはオジサンの事、非戦闘員だと思ってるかもだけど、こー見えて、オジサンも戦えるんだよ〜」
一歩前を歩きながら、咥え煙草の先で、パチンと指を一鳴らし、シュッとリンの燃える微かな匂いがして、煙草の先に火がつきます。
煙草を吸いながら戦うの? 呼吸が苦しそうだし、第一、香坂さんがいるのに!
「だ〜いじょうぶ」
アイの視線を受けて、エスポアはヘラっと笑いながら一呼吸。煙草の先がカッと一瞬赤くなって、ふー… と上に吐き出された白い煙は、すぐにドス黒い赤に変わって四散しました。
色は凄いけれど、匂いは悪くない。ベリー系の香りに近いかな? ほんのり甘酸っぱい。ちょっとペパーミントも入っているのかな? スッとする。
「あれ?」
煙の臭いを堪能していたら、胸のムカムカや頭の痛み等の不快感が無くなっていることに気が付いたアイ。
ちゃんと、キャンディーの味も分かる。これ、メロンだ。
「スピリタスさん、ちょい下ろして」
アイがトントンとスピリタスの胸を軽く叩くと、スピリタスはジッとアイの顔を見つめます。
「そんな見られたら、穴開いちゃうって。大丈夫。バイブス上がってきたから」
見つめられるのは恥ずかしいけれど、安心させないと下ろしてくれないだろうな。と、アイは無理やり笑ってみせます。その少し引きつった笑みに、スピリタスは軽くため息をついてアイを下ろしました。
「お嬢ちゃん、復活?! ちょっとごめんな」
それに驚いたエスポアは、スパスパ煙草を吸いながらアイの首筋に触れました。
「モンスターは?」
温かい手。煙草を吸っているようだから、冷たいかと思っていたのに。
「大丈夫。暫く襲ってこないよ」
言いながら、咥えた煙草をフリフリさせるエスポア。進行方向の奥の方から、バタバタと何かが落ちる音が聞こえて、見に行きたいなぁと、アイは視線を送ります。けれど、エスポアは香坂をスピリタスに預けて、両手をアイの耳周りから首筋をなぞってあご、鎖骨のあたりをササッとチェックしていきました。
「押されて、痛くない? 吐き気や頭痛は? あ、少し上見てな」
両目の下を軽く引っ張り、目もチェック。
「ないです」
「口を開けて」と言われて、素直に開けるアイ。
今のって、リンパ線だよね。凄い手慣れた動き。まるで病院の先生の診察を受けてるみたい。エスポアさんて、警察になる前はお医者さんだったとか?
「… お嬢ちゃんは賭け事好きかい?」
アイの左手首で脈を取りながら、エスポアはユラユラと登る煙草の煙を見つめています。
「オジサンはさ、見かけ通り好きなわけよ、賭け事。チンチロリンに花札、競馬競輪競艇なんでもござれ。勝つ日も有れば負ける日もある」
ひときわ深く吸い、ひときわ長く吐き出す。今までで一番濃い煙が充満すると、近くにいたブラウニーが大きく頭を一回しして倒れました。
エスポアは背負っていたリュクを下ろすと、中から大きめのケースを取り出しました。蓋を開けて中身を手に取ると、ニャっとアイに笑いかけます。
チンチロリンって、何だろう?
「でも、それだけなんだよ。勝つか負けるかそんだけ。まぁ、それでいいんだけどね。でも、ダンジョン探索における賭け事は、時として命がかかる」
蓋を開けて中身を手に取ると、ニャっとアイに笑いかけます。アイの視線が、大きめの注射器に向けられました。
「お嬢ちゃんは、賭けに強いかい?」
えっ! 何その大きさ。太すぎない? じゃなくって、なんで注射器? その長いゴム…あ、やっぱり私の腕にまくんだ。いやいや「いい血管だな」って、どんな褒め言葉?
「ダ、ダンジョンに関する賭けなら、弱くはないかな〜。引きは強い方だとおも」
もしかして…
エスポアが注射器を構えます。
「なら、怖くないよな」
もしかしなくっても…
アイの右腕を押さえて、狙いを定め…
「オジサンの、ぶっといお注射しちゃうブッ!」
スピリタスに思いっきり頭を叩かれました。
え〜… 思いっきり首が曲がったけど、大丈夫かなぁ?
「いっっ… てぇ〜。暴力反対!」
頭を抱え込むエスポアの背中にドン! と、スピリタスの足が乗りました。
「お前ね、年上を敬いなさいよ」
大きなため息をついて「ちょっとした茶目っ気じゃん」とブツブツ言いながら、エスポアはリュックを引き寄せ、中身をゴソゴソし始めます。それを見て、スピリタスはフンと鼻を鳴らして足を下ろしました。
えっ? えっ? ちょっと待って。頭が追いつかない。エスポアさんの注射器もだけど、スピリタスさんが人を踏みつけるだなんて…。え〜!?
「お嬢ちゃん、オジサンが煙草を吸う前に話した事、覚えてる?」
「えっと… あ、体内で薬を作る。てやつ?」
「そう。で、出来た『薬』はどうやって取り出して、病人に与えると思う?」
冷たい脱脂綿が、アイの右腕全体を消毒します。
体内の薬を取り出して、病人に与える方法… あ、そういう事。
エスポアの言葉と行動が繋がったアイは、スピリタスが抱えている香坂を見上げました。
「私の血が薬ってこと?」
注射や採血は嫌いじゃないけど、好んでその「瞬間」をみる趣味はないよね。今日のは規定外の太さだし。
「正しくは『血清』。普通の血清は、抜いた血液にもうひと手間ふた手間かけるんだけど、オジサンの体液は特別でね。まんま注射しても平気なのよ」
話しながら、エスポアは手際良くアイの血を抜きました。
あれ? もう終わり? 全然痛くなかった。
「気分は?」
「大丈夫です。… えっとぉ~私、宇宙人になっちゃった?」
注射器の中、赤じゃない。青だ。かき氷シロップのブルーハワイの色。
「ハハハハハ。大丈夫だよ。オジサンの薬は白だから」
人によって違うの? 血の色が赤じゃないって、変な感じ。
エスポアは咥えていた煙草を床でもみ消すと、新しい煙草を咥えました。
「スピリタス、お嬢ちゃん。これからこの薬を打つけれど、最低10分はここで待機な。その間、モンスターが来たらスピリタス…」
「いけるよん。もう本当に大丈夫」
アイは「イェ~イ」とエスポアとスピリタスにピースサインをしてみせた。
「まぁ、無理しなさんなよ」
そう言って、エスポアはスピリタスに手招きをした。スピリタスが床に香坂を下ろすと、エスポアは注射の準備をさっさと進めていく。スピリタスは進行方向を、アイは後方を向いてモンスターの出現に備えました。新しいロリポップキャンディーを咥えて。
「でもこの煙、いつまであんの? 消えないの?」
どす黒い赤から普通の赤色にはなっているけれど、微妙な気分になるよね。
「徐々に消えていくよ。ただ、煙っている間はモンスター達は酩酊状態になる。妖精には睡眠薬代わりみたいだね」
エスポアの視線がブラウニーに向くと、アイとスピリタスの視線もそれを追いかけました。
なるほどね。じゃぁ、向こうの通りで聞こえた音は、モンスターが酔っぱらって落下した音なんだ。便利な煙草。じゃなくって、エスポアさんの能力か。
「あと、運が良ければモスマンジュニアが寄って来る。その時は宜しく」
リュックを漁りながら言うエスポアに、アイが後方を指さして言いました。
「あれのこと?」
廊下の奥から微かな羽音を立てて、小さな虫が飛んで来ます。
「死蠅より確実に小さいよ」
私、モスマンジュニアを見た事ないんだよね。と思いながら、アイはロリポップキャンディーで差し出した左手の上の宙に「シ→ルド」と書きました。
「試してみたい事あるから、手ェ出さないでね」
羽虫の大群を凝視しながらそう言うと、後200メートル、100メートル、50メートルと距離を目算します。その間、アイの後ろではエスポアが処置をしている音が聞こえました。
20… 10… 今だ!
「KYヤバー」
呪文を唱えてフッ! とひと吹きすると、アイの左手の上からポコポコとシャボン玉が生まれました。それは向かって来るは羽虫をあっと言う間に捕らえました。
「何それ、器用だね」
「いつもは水中で使う呪文で、空気の膜を作んの。水中以外は初めてだったけど、上手くいったっしょ」
エスポアのちょっと驚いた声と、予想通り上手く行った事にホッとして、アイの声がいつも以上に明るくなりました。
アイ、事態の好転にあげみざわ! Next→