第三十七話『初めまして、小っちゃいオジサン』
せっかくいいアイデアを思い付いたのに、中々モスマンジュニアが出てこない。まぁ、そんなものか。とは思えても、他のモンスターも大モグラとか大口カモノハシとか、可愛いのばかりだし。それすら、スピリタスさんの圧でサ〜っと逃げちゃう。まぁ、余計な殺生はしたくないから良いんだけれど。… 私の魔法どころか、スピリタスさんのケペシュも社長の鞭も出番無し。違う違う。モスマンジュニアが出て来てくれないと、香坂さんに薬を作れない! ああ〜、気持ちばかり焦っちゃう。ただただ、「木のドアを開けて、小部屋を確認して、ドアを閉める」の繰り返しで、あっという間に最下層だし。スピリタスさんはモンスターの攻撃に備えて、エスポアさんは香坂さんを抱えているから、二人並んで入り口で待機だし。
そんな焦りが態度に出ていたかな? 社長が大丈夫よ。って。
「まぁ、お店の地下収納兼イベントブースとして使っていたのだから、こんなものよね」
「無許可なんだっけ?」
この部屋も、壁にも床にも隠しドアとかなし。虫の巣らしき物もなし。水辺以外に巣を作るって言っていたよね。範囲が広いなぁ、もう! 天井にライトも通していないから、明かりはLEDのランタンかな?
「そうなの。店舗申請は難しくないし、許可も簡単に下りるのだけれど、売り上げの数%は組合にとられちゃうのよ。イベントやるなら、保険にもはいらなきゃだしね」
「でも、経費しょ?」
「ちゃんと売り上げが申告されていたらね。これぐらいの規模なら、ダンジョンの売り上げは店長のポケットね、きっと」
アイとカルミア社長は口の倍以上、手と頭を動かします。発病した香坂の時間が切られているから。
視界だけに頼らず、床や地面を直に触った感覚に風の流れ、空気の微かな臭いの変化、五感全てをフル活用して、出来るだけ早く調べてきました。
「それって、横領じゃん」
「そう、業務上横領。店長とスタッフだけなのか、社長かエリアマネージャーが知っていて黙認しているのかどうか… まぁ、そこら辺は警察のお仕事ね」
「水蚕のダンジョンは?」
「ちゃんと許可とってるわよ〜。あそこは入る人間を選ぶダンジョンだから、やたらと入ることはできないだろうけれど、万が一入られて汚染されたら大変だもの」
そういえば、あそこの水はとても綺麗で、水ありきの生態系だった。水が汚染されたら、あの幻想的な空間はなくなっちゃうんだろうな。
「だから、他社の探索者が入ったら、ペナルティと罰金を取れるの。勿論、ダンジョン内でゲットしたアイテム等は没収ね。まぁ、その前に番人に追い出されるでしょうけど」
番人… あの人のことかな?
次、行きましょう。とカルミア社長に促されたアイは、部屋から出るときにチラッとエスポアを見ました。
お面、なんで猫なんだろう? 鼻から下がないのは、タバコが吸いたいからなのかな? でも、咥えているだけで、火はついてないんだよね。吸わないのに、なんで咥えているんだろう?
「なになに? 俺の事、興味もっちゃった?」
見すぎた。こっち向かなくてもいいのに。
エスポアの反応にビクッと驚いたアイは、思わずすぐ近くにいたスピリタスの腕を掴みました。
「オジサン、枯れてるのは見かけだけだから安心していいよ。テクなら…」
「未成年淫行! あなた公僕でしょう。懲戒免職よ、懲戒免職!」
ヘラっと続けるエスポアの首に、シュルとムチが巻かれました。
「お、大人のジョークじゃん」
細い呼吸と、声は出せるギリギリの力加減。社長、プロだわ。
アイは心の中で拍手をして、さっさと次の部屋へと歩き出しました。まだ言い合っている二人をそのままにして。
「… ここ、違う」
壁を触りながら進んでいたら、感触が変わったことに気がついて足を止めました。
色は周りの岩と同じだけれど、岩肌の感触が違う。今までよりザラついてる。幅はちょうど私二人分位? 下は床まで、上は… 届かない。まぁ、ドアかな? ドアノブらしき物はないし、叩いた感じそんなに厚そうじゃないから…
「み〜っけ」
スッとアイが右足を上げると、スピリタスが慌てて肩を掴みました。振り返るアイに、首を振って自分の後ろに下げると、軽くケペシュを構えます。
ヒュと空気が細い悲鳴を上げると、目の前の壁がバラバラと音を立てて崩れ落ちました。
「あざまる。さっすが、スピリタスさん」
なるほど。砕いた岩を木の扉に貼り付けていたんだ。あと、中にもう一枚、鉄製の扉。こっちも綺麗に切られてる。
お礼を言って中に入ろうとしたら、シュルと腰に鞭が巻き付き、腕をスピリタスにつかまれました。
「アイちゃんもお見事。でも、単身はダメよ~」
抜け駆けしようとしたわけじゃないのにぃ。
アイより先に室内に上半身を入れたスピリタスは、パチン! と指を鳴らして、カルミア社長を見ました。その合図に、カルミア社長がアイの鞭を解いて室内に入りました。
「あら、アイちゃん。本当にお見事かも」
その声に、アイはヒョコッと室内を覗きます。
「何これ?」
室内は簡単な木枠の棚が沢山あって、背板が付いていないから見渡しが良いです。そこに、丁寧に並べられている大小の袋。一番下の段には、瓶が横に並べられています。
棚は湿気対策? ダンジョン自体湿気ないし、逆に加湿欲しいぐらいだけど。小麦粉とかパン粉とかの粉類かな? それにしては量があるよね。ん?
室内を見渡すアイの視線が、一箇所でピタリと止まりました。出入り口の直ぐ横に小さな穴。
ネズミかな? あ、何か出てきた。
アイがジッと見つめていると、その小さな穴が少し大きくなって、中から小さな男が出てきました。ちょっと猫背気味の枯れ枝のように痩せた体に、色あせた洋服。赤いチョッキと三角帽子も薄汚れています。尖った耳、コケた頬に尖った顎、ギョロっとした目。大きなアクビをして体を大きく伸ばすと、体操を始めました。
この人、もしかして「ちっちゃいオジサン」?
ワクワクし始めたアイは、無意識に口元を両手で覆います。そんなアイの前で、その小さな男は体操を終わらせて、穴に入ってしまいました。あ〜… と、アイが残念に思うも、すぐに出てきました。自分の体より大きな箒を持って。
「愛してなんかないさ〜♪ ハハァン〜♪ あんたが勝手に思っているだけさ〜♪」
体に反比例した歌声。とっても気持ちよさそうに歌いながら掃き掃除しているけれど、日課なのかな? あ、ナハバームもしっかり撮ってる。これはリスナーの皆、喜びそう。
「あんたの心の〜♪」
ノリノリになった小さな男は、箒をマイクに見立てて、更にボリュームアップ。
「すぅぅきあなぬ」
あ、目が合った。
どうやら時が止ったようです。小さな男の中で。
「〇×z△△■●×!!」
ほんの少しの見つめ合いの後、再起動したらしい小さな男の脳は逃げる事と叫ぶことを同時に処理しきれなくって、パニックを起こしたようです。箒を引きずりながら右往左往している小さな男を、スピリタスがヒョイっと摘まみ上げました。
「ボーン」
顔を真っ赤にしてジタバタしている小さな男に、アイはそっと声をかけて手を振りました。
「△△×●●◇」
う~ん、興奮しきっちゃってて、何を言っているのか分からないなぁ。歌は日本語だったから、落ち着けば会話は出来ると思うんだけれど…。あ、私もギャル語じゃダメか。きっと、通じないよね。ちょっとギャルスイッチを切って… と、切る前にちょっといつもより強めに…
「チルってね」
アイは人差し指を唇にあてて、呪文と共にその指先を小さな男の鼻の頭に置きました。とても小さいから、はぼ顔全体ですが。すると小さな男の頭から、ポワ~ンと半透明のハートが飛び出て、すっかり大人しく。
「やり~ぃ。成功成功」
得意気にブイサインして見せるアイに、カルミア社長とエスポアは感心しながら拍手をしました。
さて「美月」で会話ができるかな?
「こんにちは」
改めてご挨拶。少し腰を曲げて、視線を合わせます。
「こんにちは」
あ、良かった。ちゃんと日本語で返してくれた。笑ってはいないけれど、機嫌は悪くなさそう。
「驚かせてごめんなさい。私達は貴方のテリトリーを侵しに来たんじゃないんです。ちょっと調べ物と探し物をしていたんです」
ペコリと頭を下げるアイにならって、後ろのカルミア社長とエスポアも頭を下げました。
「… あんた等、ここの店の新人か?」
小さな男はジロジロとアイ達を見て、最後にスピリタスを見上げました。アイが手にしていたロリポップキャンディーを咥えて、そっと左手を差しだします。チラッとスピリタスを見ると、スピリタスは無言で小さな男をアイの手の上に置きました。
アイ、モスマンジュニアが見つからなくて焦るも、「ちっちゃいオジサン」の出現にワクワクです。Next→