第三十五話『バー? ダンジョン? 事件現場? 事故現場?』
食事やモニターが倒れているテーブル席、ゴミや食べカス等が散乱している床、何がどうなっているのか事情が分からない客、そんな客一人一人を店から出し話を聞き出す警察官。たいして広くもないダンジョンバーです。フロアーはともかく、レジカウンターを挟んだ奥はハートも消えて、爆弾が落ちた後かと思えるぐらい荒れていて、何人もの警察関係者が現場検証に勤しんでいました。
「私、本物を見たの初めてです」
フロアーのカウンター席に座って、現場検証の様子をボンヤリと見ている美月は、口の中でロリポップキャンディーを転がしました。疲れた体に苺ミルク味、最高だわ。と思いながら。
「僕も、初めてですよ。そもそも、ダンジョン外ではこんなに暴れませんからね」
美月の右横に座っている黒崎先生は、美月から貰ったロリポップキャンディーで疲労回復しながら、現場検証を見つめていました。
カルミア社長が電話を切って約10分。店内がまだ混乱しているうちに到着した警察関係者は、『立ち入り禁止』のテープで店を囲み、それぞれの仕事を始めました。
「かっこいいですよね〜、あれ」
美月の呟きに、黒崎先生の視線が泳ぎました。
「私のお父さん、好きだったんですよ、刑事物や医者のドラマ」
私が教育テレビのアニメを観たいって言っても、「これも勉強になるぞ〜」て、ドラマ観ていたんだよね、お父さん。
「刑事ドラマに医者… 接点は、「自分の知らない事」でしょうか?」
黒崎先生は美月の視線の先に『鑑識』の二文字があるのに気が付きました。現場検証をしている警察関係者が来ているジャンパーの背中です。
「先生、凄いです! そうなんです。私のお父さん、自分の知らないことを調べるのが大好きだったんです。でも、学生時代の科学や歴史の成績は悪かったって言っていました」
黒崎先生を見た美月は、先生と視線が合うとスッと鑑識の二文字に戻しました。
「興味を持って学習することと、人から強要されて学習することは吸収が違いますからね」
教える側の問題もあるだろうな~。同じ教科でも、担当する先生が違うだけで、やる気からして変わってくるし。でも、そんなことを言っていたら、『鑑識』のジャンパーなんて着られないんだろうな。
「美月さんも、興味がありそうですね。『調べる』事に」
「まぁ…」
「大さん、お疲れ~。だいぶ暴れたね〜」
美月の返事を遮るように、中年の男性がちょっと気怠そうに声をかけてきました。ヒョロとした長身は猫背で、セット? 短めのボサボサの黒髪です。よれたグレーの開襟シャツに、チャコールグーレのスラックス。浅黒い肌に、眠たそうな目と垂れた眉毛に咥えタバコ。汚れと傷の目立つ革靴で、足元の紙ごみを退けています。
刑事さんかな? 雰囲気からして、さっき社長が電話していた人かな。
「ちょっとハッちゃん、煙草」
「火ぃ、ついてないって。受動喫煙の心配はないでしょ。で、こちらが…」
カルミア社長が注意するも、その中年男性は苦笑いしながら気怠そうに言い返して、美月の方に体ごと向きます。その時、入り口から荒々しい足音が近づいて来てあっと言う間に美月に抱き着きました。
「ミズッチ~! 鬼こわだったー!! マジ、なんなん?! モンスターなんて聞いてないんですけどー!」
泣く香坂の背中を、美月は戸惑いながらも優しく撫でました。
「もうさー、マジ、ケーサツうっっっざい! 気ぃ失ってたんだから、しらねーっつうの!店員じゃねぇしぃ」
事情聴取が相当嫌だったんだなぁ、香坂さん。荒れてる。こんなに体が熱くなるほど泣いて… て、熱すぎない? 熱中症とかじゃないよね?
「香坂さん、体…」
香坂の体の厚さに驚いて、美月は両肩を掴んで体を引き離しました。
「ミズッチ… 気持ち悪ぅ…」
抵抗なく離れた体は呟きと一緒に、力無くズルリと床に崩れ落ちるところを、黒崎先生が抱き止めます。その顔は、顔どころか露出している肌は真っ赤に染まって、綺麗に描かれた眉はギュッと寄せられて、呼吸も苦しそうです。
すかさず、中年男性が露出された肌を丁寧に観察し始めました。煙草は咥えたままで。
「こ、香坂さん、大丈夫ですか? 体、とっても熱い」
ほんのちょっと前までは普通だったのに。こんなにすぐに体が熱くなるなんて、どうしたんだろう? 瞬間湯沸かし器みたいに、急に熱くなった。それに、皮膚が熱で赤くなっただけじゃない。これ、とっても小さな発疹だ。発疹の出る病気は幾つか知っているけれど、全身くまなくなんて…
焦っているのは美月だけでした。香坂の体を抱えている黒崎先生も、発熱している肌を観察している中年男性も、それを静かに見守っているカルミア社長も、中年男性をジッと見守っていました。
「あった。 ほら、お嬢ちゃん、ここ」
探し物を見つけた中年男性は、どうしていいのか分からず心配そうに香坂を見つめていた美月に、太ももの内側を見せました。指さされたそこには、細かい発疹に紛れるように正方形に四つの赤い点。発疹と同じぐらいの大きさで、発疹よりも赤みが強いです。
「… これは、噛み痕? ダニは違うか。こんなに全身に発疹は出ないし、…こんなに綺麗な正方形…」
ダニの吸い口は二つ。ていうのは俗説だったよね。一か所の場合もあるし、刺し変えて二つになるって事らしいから。それに、だからと言って、こんなに綺麗な正方形になるのかな?
「いいポイント~。んじゃぁ、行こうか」
え? どこに?
ポカンとする美月の前で、気怠そうにそうに誘った中年の男性は、黒崎先生に変わって香坂を抱き上げて入り口に向かって歩き始めました。
「ちょっと、駄目よ。美月ちゃんを連れて入るのは」
慌ててカルミア社長が後を追います。何となく、付いて行く美月。社長と仲がいいのかな?と思いながら、2人を観察します。
「えー、でも、うちの方からはメンバー出せないよ。っうか、連れて来てないもん」
「なんで連れて来てないのよ」
「だって、保険レベル4以上なんて数人しかいないから、三人とか四人は無理。それで、いつもコンビ組む琴葉ちゃんは、本日出張中」
保険レベル、コンビ… ダンジョン検索の事? じゃぁ、さっき「行こう」て言ったのはダンジョンの事? でも、どこの… まさか
「でも駄目よ。今の美月ちゃんは魔力切れ一歩手前なんですから。危険な目に合わせる訳にはいかないわ。分かっているでしょう?」
あ、やっぱりダンジョンだ。あのダンジョンに入れるんだ。
「魔法、使わなきゃいいんでしょ? この子の付き添いでいいじゃん。それとも、大ちゃんは女の子二人を護りきる自信がない?」
煙草を咥えた唇をニヤッと湾曲させて、眠たそうな目でカルミア社長を見る顔は、正義の味方がみせる顔ではありません。
「無いわけないでしょう。でも…」
「社長、私行きたいです」
言い争い手前のカルミア社長の腕を取って、美月はジッとその目を見つめました。
「でも、美月ちゃん、貴女…」
「魔力回復アイテムもあります。完璧じゃないけれど、ギャルにもなれます。足手まといにはなりません!」
社長が心配してくれている事は分かってる。でも、初めて入るダンジョンが目の前にあるんだもの。入りたい!
「… 分かったわよ」
キラキラした期待の眼差しで見つめられて、カルミア社長はすぐに折れました。溜息が重いです。
「やった!」
「でも、絶対に危険なことはしない事。絶対に私の言う事を聞く事。いい?」
喜ぶ美月に、カルミア社長が苦々しく注意します。
「哀川さん、何のためにダンジョンに入るのか、目的を間違えてはいけませんよ」
珍しく黒崎先生に厳しい口調で言われて、美月の気持ちがピシっ! と背筋と共に引き締まりました。
「じゃあ、各自準備して、10分後にカウンター前に集合ね」
中年の男性の指示に大きく頷いたものの
「えっ? 準備?」
「20分後よ、20分。女子の支度時間、甘く見ないでよね。
さ、美月ちゃん、行くわよ」
戸惑いっぱなしの美月の手を取って、カルミア社長は颯爽と外へ向かいながら「ワンボックス借りるわよ」と、声を上げました。
■
与えられた時間はたったの20分。
「本当に綺麗な黒髪よね。今日は地毛なのだから、焦がしちゃダメよ。焦がしたら、私が泣いちゃうんだから」
言いながら、社長が慣れた手つきで素早く頭のてっぺんで、ポニーテールにしてくれた。ギャルで初の黒髪ポニーテール。
「メイクはアイメイクとリップで十分ね。ほんの少しでいいから、下を向いていてね」
彫が深いワイルドなイギリス系男性の顔が目の前にあるって、ドキドキするなぁ。社長のキリッとした黒い眉と真面目な焦げ茶色の瞳、こんなに間近で見たのは初めてかも。短く切りそろえたフェイスラインから繋げた髭や、それに囲われた少し厚めの唇がセクシーなのは私でも分かる。肩まで伸ばした癖のある黒髪をハーフアップにして、さり気なくブランドの服を着て… 社長というよりモデルさんだよね。モテるんだろうな~。そう言えば、社長に恋人とかっているのかな?
そんな事を考えている間も、カルミア社長の手は一切の迷いなく動き、あっと言う間に『美月』を『アイ』に変身させていきます。
「黒髪だから、いつもの甘めテイストとは雰囲気を変えてみたわ。ちょっと大人っぽく… いいじゃない」
ポーチの中にあった数少ないメイク道具でも、社長の手にかかればバッチリギャルメイクの完成。ポーチに残っていたカラコンは、瞳デカ見え効果抜群のチョコブラウン。黒髪との相性も良さそうで、良かった。
でも、爪はネイルチップを全部使っちゃったから、とりあえず魔法補助で入れておいた真っ赤なマニキュアオンリー。速乾性ので良かったけれど、生爪剥がさないようにしなきゃ。
でも、この感じだと、香坂さんや小川さんと一緒でも違和感ないかも。社長、メイクの腕も凄い!
「やっぱり、持ってきて正解ね」
とどめは社長の持って来てくれた、黒地に脇の下に白のラインが入ったノースリーブワンピース。デザイン的にはスポーティーだし今履いている白のスニーカーに合っているけれど… 黒崎先生が言っていた通り、ボディーラインがぁぁぁぁ…。うん、来月からジムに通おう。
「さ、私の可愛いアイちゃん。外に出て、皆さんにご挨拶よ」
メイク道具やロリポップキャンディーをボディバックに詰め込んで…
出来上がりにご満悦なカルミア社長は、支度の整ったアイにインコ型の自立型スマートフォン・ナハバームを飛ばします。それはアイの肩にそっと止ると、インコにしては少し大きめの頭を頬に摺り寄せてくれました。
美月、今回はいつもより大人っぽいギャルに変身です。さぁ、上手くチーム行動が出来るかな? Next→