第三十二話『ダンジョン好ハオ』
リモコンがなくっても、モニタータッチで操作できるもんね。速度はこのままでいいけれど、音声がもう少し欲しいな。黒崎先生と社長の声が少しだけ煩いんだよね。あと、スマホのマイクがダンジョン内の音を拾っていると良いんだけれど。
「勝手に私の名前を使ってね。それに、着替えればいいってものじゃないわよ。服を用意するなら、もう少しセンスのあるモノを用意しなさいよ。こんな… まぁ、似合っていないことは無いけれど。美月ちゃん、その恰好でいいの? 私も用意してきたのよ」
言いながら、カルミア社長は紙袋から服を引きずり出しました。黒地に脇の下に白のラインが入ったノースリーブワンピースです。けれど、美月は相変わらず背中を向けたまま。
扉が開いただけで他の変化はなし。音も特別なものは拾っていない。ん~、音が入らないなら、もう少しカメラアングルを動かしてほしいなぁ。左右をもっと映して欲しいんだよね~。死角を映してよ、死角を。私がモニターの前で頭を動かしても… 見えない。はい、見えません。
「目立っていないし、似合っていないわけでもないでしょう? だから、その露出多めの服はしまって下さい。」
「露出多めって、肩は出るけれどお臍は出ないわよ」
モニターに見入る美月の後ろで、黒崎先生とカルミア社長の言争いは続きます。
「脚とボディーライン」
「年頃の女の子なのよ、年頃の女の子! これぐらい普通でしょう! それに、私はアパレル業界国内一位の会社社長よ、モデルの隠れた魅力を引き出す服選んで何が悪いのよ!」
ん~… やっぱり、モニターだけじゃ分からないなぁ。でも、誰一人として進もうとしていない。やっぱり黒崎先生の言うように、雰囲気とか気配とかで
「ボリューム。お忍びでしょう?」
「分かっているわよ。保護者面しないでくれるかしら。
ねぇ、美月ちゃんだってもう少しお洒落な服の方が良いわよね?」
でも…
「目立たない事を重視したと言っているではないですか」
でも…
「ああ~、煩い! 邪魔!!」
美月は考えを邪魔する雑音に怒りながら、勢いよく顔を上げました。ピタリと止まった背後の声。
「あ、やっぱ、ミズッチ〜」
目の前で名前を呼ばれて、固まった美月。そしてモニターの向こう側、テーブルのすぐ横に立っていたのは、コーラのグラスを片手に持った、制服姿の香坂でした。ニマっと顔を崩した香坂は、左手で美月の腕をつかんで顔を近づけました。
「誰、誰〜? あのイケオジ! 黒っちもいるし、ど〜いう関係?」
内緒話? … じゃないよね? 声、抑えてないもんね。
「あっ、えっと…」
美月が答えに困っていると、カルミア社長がトントンと、二人の肩を軽く叩きました。
「こんにちは。美月ちゃんのお友達? 私は美月ちゃんのお父さんの友人で、カルミアって言います。宜しくね」
カルミア社長はパチンとウィンクしながら自己紹介をして、香坂の前に右手を差し出しました。
「ミズッチのお父さんの…。めっ〜ちゃ、イケオジじゃん」
ポワワワ〜ン。と、効果音が聞こえそうなぐらい、高坂はカルミア社長に見惚れていました。慌てて美月にコーラのグラスを押し付けて、差し出された手を両手で確りと握りしめました。
「ありがとう。貴女もとってもキュートね。それなのに、エスコートは? 貴女みたいにキュートな子を一人にしておくだなんて、信じられないわ」
「エスコート?」
「一緒に来た人は居ないのですか?」
カルミア社長の質問に首を傾げた香坂に、黒崎先生が聞きなおしました。
「ユイチー達が送ってくれたんだ~。ここ、ワタシの彼ピッピのバ先で~、もう少しで終わるから、それまでチルろ~と思って」
香坂さんの彼氏さんのバイト先。と言う事は、店員さんの誰かが…てことだよね? 仕事の話をしちゃっていたけれど、聞かれていないよね?
コーラのグラスをテーブルに置いて、慌てて辺りを見渡す美月。その視界には、過去データを観ながら寛いでいる数人のお客さんしか映りませんでした。
そう言えば、店員さんがホールに出て来ていないかも。こういうところは初めてだからシステムが良く分からないけれど、セルフサービスが当たり前なのかな?
美月がキョロキョロしている間に、香坂は黒崎先生の隣に座って「何観てたの~?」と、コーラのグラスを引き寄せながらモニターを覗き込みました。
あ、社外秘!!
「香坂さんは、ダンジョン配信に興味はおありですか?」
慌ててモニターを隠そうとした美月の手を、黒崎先生は自分の手で優しく下げました。
「彼ピッピは好ハオだけど、ワタシはそこまでじゃないかな〜」
「すみません「ハオ?」の意味を教えてくれますか?」
コーラを啜りながら、モニターを見つめている高坂の前で、黒崎先生は画面を次々と変えながら聞きました。
良かった。分からなかったの、私だけじゃなかった。「ハオ」って、なんだっけ?
「「ハオ」は「好き」だよ。すきぴや好きなモノとかに使うの。字で書くときは漢字の「好」にカタカナで「ハオ」って続けて〜、「ハオ」って読むんだよ~」
「好ハオ」で「ハオ」ね。使えそうだから、覚えておかなきゃ。
「で、ミズッチや黒っちはダンジョン好ハオなん?」
「そうなんです。僕、最近ダンジョン配信にハマりまして、哀川さんに色々教えてもらっているんです」
それは嘘じゃないけれど、大前提が嘘だよね。
呆れた顔でジッと黒崎先生を見つめる美月。その横で、ピッと落ち着いた画面に映ったのはギャルの「アイ」でした。
よりによって、何で私! と、内心焦って身を乗り出す美月。そんな美月にお構い無しで、黒崎先生はモニターの中で戦っているアイを指さしました。
「あら、彼氏がこのお店で働いているなら、こっちのグループの方がいいんじゃないの?」
黒崎先生が何か言い出す前に、カルミア社長が指を伸ばして、ピッと左サイドにメニューを出して変えてしまいました。香坂は「どれでも同じじゃね?」と言いつつ、モニターに視線を向けます。
「この子達は多岐川エレキテル株式会社に登録している探索者の中で、トップクラスのチームよ。リーダーの魔法剣士を始めとして回復魔法、召喚魔法、戦士のバランス型カルテットチームで、保険ランクも全員レベル5の手慣れ」
「多岐川エレキテルはモーター業界では国内トップシェアでしたね。今回の件が何処まで影響…」
ドッ・ゴーン!!
黒崎先生がモニターを見ながら話をしていたら、お店のレジカウンターの奥から
奇襲攻撃? 今、ギャルじゃないから対応できないのに~。
と思ったけれど、どうやらそうでもないみたいです。黒崎先生の重さがフッと消えたのに気が付いた美月は、店内のざわつきに耳を貸しながら体を起こしました。
「カルミン、大げさだしぃー」
斜め前に座っている香坂は、ケロっとした顔で乱れた髪に手櫛を入れながら、鞄から大きめの鏡を出します。ドン! と勢いよくテーブルに置いて、メイクの崩れをチェックです。
「え? 今のは…」
そんな香坂とレジカウンターの方を交互に見る美月。黒崎先生とカルミア社長は立ち上がって静かに周りを観察しています。他のお客は散らかった物を気にもせず、レジカウンターの奥に声をかけたり談笑したりしています。誰一人、慌てたり逃げ出そうとしている人は居ませんでした。
香坂は鞄の中からメイク道具の入った大きめのポーチを取り出して、メイク直しを始めました。
「だーいじょうぶ。どうせまた、彼ぴっぴが料理の手順、間違えただけだからさ」
「「「え?」」」
美月達は、思わず香坂を見ました。
「あんな轟音に爆風だなんて、どんなお料理なのかしら?」
「絶対、キッチンは無事じゃないですよね?」
「生卵を電子レンジで温めたとか?」
今度は三人揃ってレジカウンターの方を向きました。数人の若い店員達がバタバタしています。
「さぁ〜? 彼ピッピ、料理するのは好ハオなんだよね。作るのは」
味かぁ〜。でも、この料理は普通に美味しかったよね。と言う事は、違う人が作った物か。
「だぁ~か~ら~! いつも言ってるでしょ? ね。オレの料理は芸術なんスよ! げ・い・じゅ・つ! アートですよ、アート。だから、この目玉焼きをそんじょそこいらの目玉焼きと同じにしないでいただきたい!」
うわ~、奥からとてつもなく元気な声が聞こえて来たけれど、香坂さんの彼氏さんだよね? 料理は芸術かぁ。普通の目玉焼きとは違う目玉焼きって、どんな物だろう?
「香坂さんの彼氏さん、芸術家なんですね~」
「しょっちゅう爆発してるよ~」
お言葉通りですね。
相変わらず奥から聞こえてくる香坂の彼氏の声に、黒崎先生は少し引いているようです。香坂は手早くメイク直しを終えると、スマートフォンの画面をチラッと見て席から立ち上がり、レジカウンターの奥へと走って行きました。
「ノ~リくん、バイブス上げすぎ~。ちょい落ち着け~」
落ち着かせに行ったんだ。彼氏さんの声が、一気にトーンダウンしたみたい。さすが彼女さん。
「黒崎先生、続きが観たいです。さっきのグループが気になります」
美月は散らかったテーブルをササっと片付けて、爆風で倒れたモニターを元に戻して、乱れた画面を「直してください」と、黒崎先生にお願いをしました。
美月、香坂さんの登場にヒヤッとしつつも、ダンジョン配信への興味は無くなりません。Next→