第二十八話『ギャルへの一歩?』
いつもはこのスペースに入るだけでとっても緊張して、商品をよくよく吟味することなく、他の人から見えない様に邪魔にならない様にとコソコソと買い物する化粧品コーナー。それはアイの恰好でも変わらなかったのに、今日は美月のままなのに、こんなにも堂々と… は言い過ぎか。とりあえず、今日はちゃんと商品を吟味できるなんて!
「ありがとう、香坂さん」
たくさんのリップを目の前にして、美月は横に立っている香坂にお礼を言わずにはいられませんでした。
あのまま、黒崎先生にどこかに連れて行かれるのは怖かったもんね。たまたま学校に戻っていた香坂さんに声をかけてもらったから、「今だ!」と思ったんだよね。逃げるようについて来て、正解だったぁ~。明日、黒崎先生に会うのが怖いけれど。
放課後の寄り道。学校の最寄り駅の駅ビルは他校の生徒も多く利用していて、特にワンフロ丸々コスメのこのお店は、女子で溢れかえっていました。
「ん? 何か言ったぁ?」
2本、3本とサンプルリップを手にして、腕で発色を確認していた香坂は、キョトンと美月を見ました。
「こんなにきちんとリップを見比べた事が無かったから、ありがたいな~と思って」
しかも、こんなに広いお店は初めて。独りじゃ絶対に入れない。敷居が高すぎるのもあるけれど、怖いもん。他のギャルはもちろん、女子達が。
「はぁ? じゃぁ、いつもはどうやって買ってたん?」
後ろから、もう一人のクラスメイトの小川唯が驚いた声を上げました。その手にはローズ系のリップが5本も握られています。
「近所の薬局がメインで…」
「いやいや、薬局だってそこそこあるけどさー、やっぱイケてるの見つけるには役不足。っーか、メンタムリップ買って終りっしょ」
う… 当たってる。
小川さんのギャルメイクは全体的に控えめ。でも「目が命!」て感じで、目元はナチュラルながらも力が入ってる。それと、ミルクティーベージュの長い髪を綺麗に巻いてるから、大人っぽいイメージなんだよね。実際、落ち着きはあるし、身長が高くって運動も出来るから、香坂さんと小川さんが並んでいると雑誌の1ページみたいなんだよね。モデルさんみたいでカッコいい。はぁ、お手本その②も、今日も綺麗だなぁ。
でも、真似しようとしても、なかなか上手く行かないのはなぜ? メイクのセンスと腕が無いのは確かだけれど、素材の違いが大きいのかなぁ。
「あ、このリップ、黒っちの反応どうだった?」
「は、反応… その…」
香坂に聞かれて、美月は黒崎先生の事を思い出しました。瞬間に、顔どころか首元まで真っ赤になった美月を見て、香坂と小川は顔を見合わせます。
「なに? 何があった? その反応は、何かあったっしょ」
香坂がズイっと身を乗りだすと、美月は反射的に引きました。
「あ… その「とってもお似合いですよ」て…」
あんな事をされたなんて、とっても言えない。
「でしょでしょ~! で、ミズッチは? ミズッチはどう思う?」
さらに、ズイっと乗り出て来る香坂。美月の後ろにいる小川が、その額に手をあててグイっと押し返してくれました。
「楓、圧強い。STAY。
ミズッチもさ、髪を下ろしてみよっかな~。て思うぐらいには、似合うと思ったん?」
髪! 三つ編みを解いただけで、何もしてなかった。ボサボサだよね。
「か、髪は… 香坂さんに眼鏡を取られて… その、顔が見えちゃうのが恥ずかしいから、隠すために。… 変ですよね」
「楓、そんな事したん? 強引はやめれって言ったっしょ」
ビシ! と、小川の長くて細い指が香坂の額を弾きました。
ヒッ! けっこうな音がしたけれど、香坂さん痛くないのかな?
「だって、ユイチーが急かすからぁ。
ワタシ、ミズッチは眼鏡ない方が絶対良いと思ってたんだよね。だから、「これってチャンスじゃね?」て。あの時、ガンダったじゃん~」
ん?「ガンダ」って何? ガンダーラじゃないよね。
「ジュン達はバ先行っちゃったし、ガッコーに戻ったけどね」
ギャル語にパキスタンの古い地名なんて出てこないよね。何だろう?「ガンダ」って。
「ごめんて~。明日、英語のテストじゃん。テキスト机ん中に忘れちゃったんだもん。 ん? どしたん? ミズッチ」
あ、考えこんでたの、顔に出てたかな?
「あの、「ガンダ」て何かな? と思って」
「ん? ガンダ? ガンダはね「急いでやるよ」とか「急いで行く」とかの意味。いちいち「ガンガンダッシュしてく~」なんて、ダルいっしょ? だから「ガンダ」。「ガン無視」とかぁ「ガン見」とかのガンと一緒だよ」
なるほど。「ガン」は「すごく」とか「思いっきり」とかの強調の言葉なんだ。
「教えてくれて、ありがとう」
美月がぺこっとお礼をすると、香坂と小川は顔を見合わせました。そして、香坂は美月の持っていたリップを取り上げて、自分たちの持っているリップと一緒に元に戻し、小川は美月の肩をガシッと掴んでお店の外へ。
え? 私、何かマズいこと言っちゃったかな?
小川に肩を押されて戸惑いながら歩いていると、お店から出てしまいました。それでも足は止まらず、エスカレーターに乗って上へ上へ…。着いたのは珈琲ショップでした。
フワと香る珈琲の香りに少しだけホッとした美月の両肩を押して、小川はズンズンとお店の中を進んで行きます。カウンター席や2人かけの席を通り越して、お店の一番奥の四人掛けに押し込まれました。
照明暗めで、落ち着いた雰囲気。珈琲の香りも手伝って、とっても落ち着くなぁ。
「ほい、メニュー。アタシのお勧めはベイクドチーズケーキ。ここのケーキ、テンチョーの手作りで、甘さ控えめなんだよ」
そっと店内を観察する美月に、小川がA4サイズのメニューを差し出してくれました。それを手に取ると、隅々まで見ます。
メニューも手作りだ。素っ気ない文字だけのメニューだけれど、字が丁寧。これも店長さんかな?
「おなぺこなら、サンドウィッチがお勧めかな。あ… おなぺこは」
小川さんは途中でハ! っとして、説明をしようとしました。それを美月は片手とちょっとだけ上げて止めました。
「あ、おなぺこは分かるよ。お腹がすいたって事だよね? 香坂さんが、よくお腹を摩りながら言って、お菓子を食べたりしているから。覚えやすかったの」
最初のうちに覚えたんだよね。「おなぺこ」
「そうそう。」
わっ… 小川さん、とっても綺麗な微笑み。そんな顔を向けられたら、男の人じゃなくってもドキドキしちゃう。
「で、決まった?」
小川に促されて、美月は慌ててメニューに視線を戻しました。
「じゃぁ… ホットのモカと、ベイクドチーズケーキ」
「オッケ~。ちょい、待っててね」
小川が席を立ってカウンターに向かうと、美月はホッと肩の力を抜いて背もたれに寄りかかりました。
美月、このままダンジョン外でもギャルデビュー? Next→