第二十六話『過去一プルい唇で呪文を唱えたら』
もしかして、私が『アイ』だって事、知っているの? 香坂さん、ダンジョン配信なんて視るようなタイプじゃなさそうだけれど…。
「う、裏なんてないよ。私、二面性を使い分けられるほど、器用な性格じゃないから…」
やっぱり、『声』かなぁ。姿は変えられても、声はボイスチェンジャーとか使わないといけないから、メンドクサイんだよね。特徴のある声じゃないし、学校ではあまり話さないから変えなくてもいいかなって思っていたんだけれど。… 声を変えられる魔法、作ってみようかな。
「まぁ、不器用そうだよね~。でも、分かっちゃったんだ~」
もしかして、ギャルにはギャルのスッピンが分かっちゃうとか?! 画面越しに見えちゃうとか?
「ミズッチ、本当は…」
やだ、どうしよう。なんて言い訳すれば…
「ギャル、やりたいっしょ?」
「ごめんなさい!」
美月と香坂の声は同時でした。
「「… え?」」
2人は顔を見合わせたまま、数秒固まりました。
「いやいや、謝らなくっていいし。ギャルやりたいなら、アタシに言ってってこと」
ん?
「ミズッチ、アタシらん事よく見てるっしょ。ユイチーもさ「あれはセンボーのマナザシだね」って。分かる分かる、ワタシらかわちぃし〜、イケてるもんね〜」
観察してたの、知られてた!
香坂は「うんうん」と頷いていると思ったら、パッ! と美月の腕を取って見つめます。
「ギャルやりたいなら、遠慮なく声かけてよ~。見てるだけなんて、ぜんつまっしょ」
うっ、香坂さんの顔がキラキラしてる。眩しい。
「え、あ、あの… ぜんつま?」
「ぜんぜんつまらない〜 てこと。覚えた?「ぜんつま」
ワタシらさ、ミズッチがギャルになったら、絶対かわちぃと思ってんだよね〜。だからさ、ワタシらのグループに入れたげる。買い物行こう! 買い物。色々揃えなきゃ」
当たらずとも遠からず。だし、ギャルを教えてくれるのは願ったり叶ったりなんだけれど、これって私が『ダンジョン配信者のアイ』だって知られちゃうよね。まずいよね。確実にまずい。
「あ、あの、今日は用が、黒崎先生に呼ばれていて…」
「黒っち? あ〜、やっぱりぃ」
慌てふためく美月をみて、香坂はニンマリです。
「楓ぇ〜、まだぁ~?」
廊下の端から、香坂を呼ぶ声が響きました。
「ジュン達、バサキ行っちゃう〜」
「今行く〜」
香坂は「これ持って」と、手にしていた紙を美月に押し付けて、手速く鞄の中からリップを取り出します。美月は押し付けられた紙を、抱え込むように慌てて持つと、少し下がった顎を香坂にガシ! と掴まれました。
「とりま、好きぴと会うなら、これぐらいプルくしとかなきゃね〜。黒っち、競争率高いしぃ〜」
香坂はニコニコしながら美月の唇にリップを塗ると、スッと美月の眼鏡も取っちゃいました。
「ヤバ… ミズッチって」
「か〜え〜で〜ぇ〜」
廊下の端から響く声が、高坂の言葉を遮ります。
「行くって〜。
ミズッチ、黒っちの反応、教えてね! 明日、絶対だよ。あと、それ、よろ~!」
まくしたてるように言い捨てて、高坂は鞄につけたアクセサリーを鳴らしながら、友達の方へと走って行きました。
… え、何? 今の、何だったの? あ! 香坂さん、私の眼鏡を持っていっちゃった。
ほんの少し呆然としていた美月は、両手で目元を覆いました。手にしていた紙が立てた音で、更に気が付きます。
香坂さん、私が黒崎先生に好意を持ってるって勘違いしてる!
「えっ? どうすればいいの? 訂正すればいいの?」
ってか、あの押しの強さ、エネルギー… 見習わなきゃ。
「哀川さん、大丈夫ですか?」
後ろから声をかけられて、美月の体は思いっきり跳ね上がりました。
「黒崎先生… あ、あの、わた、私……」
顔を真赤にして、美月は混乱したまま黒崎先生を見上げました。
あ、まずい。黒崎先生はアイを知ってるんだった。顔、見せちゃ駄目だ。
そして、反射的に
「… 眼鏡がないと、見えませんか?」
「あ、だ、大丈夫です。でも、その… 恥ずかしくって」
顔を隠すための、伊達眼鏡ですから。
「では、俯いたままでかまいませんよ」
そう言うと、黒崎先生は左手で美月の荷物を掴み、右手で美月の手をしっかり握りました。
■
ただ眼鏡を取っただけ。ただ、いつもと違うリップをぬっただけ。ただただそれだけなのに、こんなにも居心地が悪いだなんて。ああ、早く家に帰りたい。
校舎の端にある『生徒指導室』。一階の階段下の小さな空間は、向かい合わせに2台の机と椅子。窓と壊れて開かない錆びた清掃用ロッカー。それだけの殺風景な小部屋の椅子に座って、美月はソワソワと落ち着きなく、机に置いた鞄の中身を覗いていました。
「顔を隠すものって、ウィッグしかないかぁ~。いっそ、ギャルになっちゃうのも手かもしれないけれど、学校でギャルになってもなぁ。ハァ… これから、予備の眼鏡も持ち歩こう」
大きなため息をついて、鞄を閉めようとしたら、化粧ポーチに気が付きました。
「リップ、どんな色だろう?」
香坂にぬられたリップの色が気になって、ポーチからコンパクトミラーを取り出しました。
「うわぁ…」
とっても自然な発色。赤すぎなくて… ピンクよりの赤なのかな? 油物を食べた時みたいにテカテカしてるのかと思っていたけれど、とっても自然な潤い感。しかも、いつもよりふっくらして見える。
「これが「プルい」って言うんだ。納得。つけたくなるの、分かるな」
これぐらいなら普段使いしても変じゃないよね? 明日、香坂さんにどこで買ったか教えてもらおう。… ついでにお勧めのリップ、教えてもらおうかな? 図々しいかな?
美月はコンパクトミラーの前で顔を小刻みに動かして、色々な角度から唇を観察します。そんな鏡の中に、チラチラと清掃用ロッカーが映りました。「キ゚ィィ…」と、背後で小さな音がして、ピタッとミラー越しに音のした方を見ました。
「… 冗談」
低く唸るように出た声。美月の背後、ミラー越しに映っているのは壊れて開かないはずの清掃用ロッカー。その扉が、中からそっと開き始めていました。
うちの学校、怪談なんてあったっけ?
左手でコンパクトミラーを持って後ろを見たまま、右手を鞄の中に入れてロリポップキャンディを掴みました。
怪談案件なら私なんかじゃ太刀打ちできないけれど、あの手、どう見てもゴブリンだよね?
立て付けが悪くなかなか開かない扉の縁に、見慣れた緑色の手が内側からかかりました。淀んだ緑色で、黑く汚れた長い爪。それがガリガリと扉を引っ搔いて、嫌な音を立て始めました。
美月は素早くロリポップキャンディを口の中に入れて、鞄の中からルーズソックスを引きずり出して履きます。履いているソックスの上から。スカートのウエストをクルクルと巻いてミニ丈にして、リボンタイを外して胸元を開ければ…
「パギャルぐらいにはなったかな? あ、忘れてた」
最後の仕上げは、ピンクのウイッグ。けれど、慌てているせいか上手く被れなくって、三つ編みを解くことにしました。
「ギャルでも、黒髪はアリだよね」
でも、メイクが出来てない。香坂さんにぬってもらったリップだけだ。せめてカラコンぐらい入れないと、パギャルにもならないんじゃないかな? 魔法、発動しますように。
美月は祈りながらスカートのポケットからリップを取り出すと、勢いよく清掃用ロッカーの扉を蹴りました。ガゴン! と鈍い音がして扉が閉まります。同時にボトっとゴブリンの腕が落ち、中が暴れ始めました。ガタガタとロッカーが揺れ始めます。構わず、そのまま足で扉を踏みつけ、扉に真っ赤なリップで魔法陣を殴り書きしました。
「攻撃は最大の防御! ナウ、やばたんだから、ヘルプして女神様! シールド・アテナ!」
呪文を唱えると鈍い光がロッカーを覆って、静かになりました。そっと足を下ろして、ホッとする美月。
「… 効いた。けれど、効果は半分かそれ以下かな? 二重にしておこう」
その後に、社長に電話しておかないと。これって、このロッカーがダンジョンの入り口になっているって事だよね? この学校に登録されているダンジョンは無かったから、野良ダンジョンだよね。いつもなら、喜んで入るんだけれど… 今はマズいか。
と、再度呪文を唱えようとした時でした。
「哀川さん、入りますよ」
ドアがノックされて、黒崎先生の声がしました。
美月、新しいリップで色々な意味でドキドキですが、この場をどう乗り切る? Next→