第十四話 『生配信で工場見学』
芋虫はゆっくりゆっくりと、細糸のように垂らされた茜色の水をコクコクと飲んで行きます。葉の中の水が無くなると、浴衣姿の人は葉を芋虫の口元に差し出しました。ひっくり返ったままの芋虫の口元に。
シャリシャリシャリシャリ
かき氷を食べている音みたい。普通の葉だよね? 厚みもしっかりあるみたいだし。なんて名前の葉だろう?
「良き土、良き風、良き雨、良き陽光。紡いでおくれよ輝く糸を」
芋虫が葉を食べ終わると、鈴の音のような声が呟きます。すると芋虫はノソノソと水の中に戻ってしまいました。アイは身を乗り出して覗き込みました。
「見える? 水中に入った方がクリアーかな?」
アイの言葉に反応して、ナハバームがアイの肩から水の中へと飛び込みました。最短距離です。
「あ、クルクル回ってる。全体も大きいなぁ」
水の明度が高いから、上からでも十分見えます。芋虫の白い体は横にグルグルと回り始めて、キラキラと輝き始めました。
「ヒカリゴケ… て感じでもないなぁ。少しずつ膜みたいなものが張ってきたような… あ、やっぱりこの子、『
アイはリュックの中からスマートフォンを取り出して起動させると、ナハバームと接続しました。
「ハイ、こっちは上から~。ナハバームの画と、たいして変わりないかな? 御覧のとおり『蚕』が繭を作っている所だよ」
『蚕って、水中生活じゃないよね』『ヒィィィィ』『蚕の繭って、糸になるんだっけ?』『いやいや、そもそもでかすぎでしょうよ』『ごめ、虫キモ』
「パなくでかいよね。アガるわ~。あ、ダイジョーブな方、ガン見ドゾー。こわたんな方は、お耳だけね。
はい、ここにシャチョ―お手製メモがあります。私もまだ未読。はい、読むよ~。えっとねぇ…
『この蚕は『水蚕』でモンスターの一種です。このダンジョンを発見した時からここに住んでいて、この蚕の繭を獲ってカルミア社の製品は作られています。
蚕から一本の糸にした状態のものを生糸と呼びます。生糸は1本1本の繊維が細くて、柔らかく… 詳しく知りたい方は『弊社の公式サイト』までどうぞ。アーカイブにあげる時は編集してURL乗せておきます』
シャチョー、メンディーじゃん。ウケる。あ、続きある。
『この生糸を使った当社製品の品質のクオリティは、アパレル、医療、音楽、インテリア、美容等の多種多様な業界から認められています』
だって。アパレルは会社のメインだし、服じゃん。服って生糸から出来てるから分かるけど、医療? 音楽?」
『医療は外科手術の縫合糸だよ』『三味線とか琴の絃』『絹ガラスとかあるよ』『化粧品は繭の成分のセリシンを使うんだよ』
「皆、AIモードじゃん。ぱねー」
スマートフォンの反応が思ったより良かったので、アイはちょっと驚きます。そして、ゴソゴソとリュックの中を漁りました。
「でね、この蚕の繭から生糸を採るのが、今日の私のお仕事だったり。これ、な~んだ」
リュックから取り出してスマートフォンの画面に映したのは、手のひらサイズのタヌキの置物。拳を作った両腕を胸の前で少しずらして合わせています。
『タヌキ』『たぬき』『たぬたぬ』
「うん、タヌキ。これで蚕の繭から直に生糸を巻き取りま~す。
早いよね、シャチョーの手紙読んでるうちに、繭になっちゃったよ」
水の中には大きな繭。少し前まで真っ白な芋虫だったのに、今では銀色に輝く繭です。
「えっとぉ~…」
アイは隣に立っている人をチラッと画面に映して見ました。撮影許可を取っていないので、浴衣の裾と手が映る角度で。
やっぱり、画面には映っていない。これは、本物の幽霊なのかな? でも、そんな感じはしないんだけれど。ちゃんと「ここにいる」て確信できるほど存在感があるんだけれどな。蚕の世話もしてくれているみたいだし。
「ご挨拶が遅くなったうえに、お邪魔してごめんなさい。カルミア社の嘱託社員アイです。社長のお使いで来ました。繭から糸を採ってもいいですか?」
アイが頭を下げて挨拶をすると、浴衣姿の人はアイの方を向き合いました。
「狐のお面」
顔の全体を覆う、真っ白な狐のお面。茜色に縁どりされた目の空間から、アイをジッと見つめて、深く頷きました。
「ありがとうございます」
撮影許可は… 取らなくてもいいか。映っていないんだもんね。
「じゃぁ、お仕事始めま~す」
『ちょっ、待って待って』『アイちゃん今誰と話してた?』『また宜保ったの?』『そこに誰がいるの?』
スマートフォンの画面が騒がしくなります。アイは本当のことを言おうかどうしようか迷いました。
「シャチョーと相談するね。編集する時に分かりやすくしとくー」
『アイ氏、大人の対応』『まぁ、見えなきゃ意味ないし』『じゃぁ、早く次行こう』『糸巻き糸巻き』
リスナーに急かされるように、アイは糸巻き機のタヌキをセットし始めました。
■
タヌキの糸巻き機はコンパクトサイズなのに、とても有能でした。とても素早くとても丁寧に、通常の100倍以上ある繭の糸巻きを、たったの5分で終わらせてしまいました。その間、ナハバームは水中を散策してその画を、アイはスマートフォンで繭を巻き取っている画を取りながら横のナハバームの画について、リスナーと会話を楽しみながら、巻き上げられた糸を定期的に機械から外していました。その様子を、狐のお面を被った人は、少し離れた所からジッと見守っていました。
「ということで、大きな蚕から銀色? 白銀? まぁ、綺麗な糸が採れたよ。通常の繭は平均3センチで、1キロ以上の糸が取れるんだって。今日採れた糸は… 何キロってとこじゃないよね、これ」
アイがスマートフォンの画面に映し出したのは、大きな布の上に山盛りになった糸の束。アイの身長より高いです。
『ここの蚕、つよ』『普通の蚕は死んじゃうんだよね』『あれって、糸を採るために煮るからでしょ』『成虫になっても、食えないからシヌ』『でも、ここの蚕、つよ』
スマートフォンの画面半分はアイの姿とコメントで、半分は水中で元気に泳ぐ白い芋虫を映していました。
「皆、マジで詳しい」
『小学校の授業でやった』『テレビでやってた』『授業受けた』
「な~る。ここの蚕はね、この後脱皮して数カ月寝るんだって。マジ元気だよね。という訳で、今日はカルミア社の工場見学でした」
『工場見学?』『カルミア社の商品素材はどこから~? て感じ?』『会社の持ち物だから、見学だね』『なる、工場見学』
「編集で、もう少しそれっぽくするらしいよ」
アイは糸の束を包み込みながら、スマートフォンを見ていました。ナハバームの映している画は、相変わらず綺麗な水とキラキラ輝くヒカリゴケの切れ端。クルクル回転しながら底へと向かって泳ぐ白い芋虫に、それを覆い隠すように泳ぐクラゲ達。小さな魚やキノコは、芋虫が起こす水流に巻き込まれるように泳いでいました。
「あれ? 何かあった」
ヒカリゴケとは違う発光体。ナハバーム、戻ってくれないかな。ここからじゃ、声が届かないから無理かぁ~。よし、改良点として報告しよう。
とりあえず、この大荷物は魔法で会社に送っちゃって、さっきの発光体を確認しに行こう。その前に…
アイは狐のお面の人の前に立って、深々とお辞儀をしました。
「あの、糸を採らせてくれてありがとうございました。シャチョーに何か伝言はありますか?」
ジッと見つめられると、なんだかビクビクしちゃう。悪い事はしていないはずなんだけれど。
「… ふんどし」
「ふんどし?」
鈴のような声が落とした言葉に、アイは目が点になります。戸惑うようにオウム返しすると、狐のお面の人はコックリと頷きました。
「ふんどしって、下着の褌? あの、腰に巻いて、こう…」
表現できたよね? あ、あっていたみたい。小さいけれど、「そう」って答えてくれた。
「わ、分かりました。伝えておきます」
狐の仮面を見つめながら考えていたアイに、狐の仮面の人は浴衣の袖下から何かを取り出して、軽く握った拳をアイの前で止めました。「手を」と言われて、アイは慌てて両手を揃えて差し出します。コロンと落とされたのは、真っ白な桜の花が二つ。
「これは?」
両手を目の高さまで持ち上げて、手を動かしながら観察します。
これ、シルクで出来てる。たしか、つまみ細工て言うんだっけ? こんなに小さいのに光沢があって、長細いけれど繊細な丸みがある桜の花びら。匠の仕事だ。
「あげる」
そう言うと、狐の仮面の人は、アイの頭を優しく撫でてどこかへと行ってしまいました。
「貰っちゃった…」
その後ろ姿を、アイは呆然と見送りました。配信の事はすっかり忘れて。
アイ、今日のお仕事は会社の工場見学のナビゲーターでした。さて、そのまま帰るのかな? Next→