第十二話 『苔とキノコと黒いあの子と、私はギャルマーメイド』
地下三階への階段は喪や花は咲いていなくって、丸出しの石畳。そこを水が流れて行きます。最初こそ壁や天井のヒカリゴケのおかげで順調に進んでいました。けれど、少しするとヒカリゴケの色がオレンジから青、青から紫へとだんだんと暗くなって行きました。もちろん、色が変わるごとにコケの採取は忘れません。
「… にしても、長くね?」
『長い』『長い』『長い』
ついにヒカリゴケの灯りが無くなって、アイの足が止まりました。覗いたスマートフォンの画面も『長い』の一言が流れて来ます。
「ヒカリゴケは生えているんだけれど… 反射する元の光が届いてないっぽい。でも、スマホの光を当てても反射しないから、ヒカリゴケじゃなくって普通の苔なのかな? それにしては、黑い」
壁や天井には、変わらずビッシリと苔。これも一応、採取しておこう。
魔法で光の玉を出すと、ヒカリゴケぐらいの灯りに絞りました。リュックのサイドポケットから空っぽの試験官とピンセントを取り出して、近くの苔を少しだけ毟って、試験管の中に落として…
「あ、何か入った」
試験管の中に落ちた黒のような緑の苔の上に、さらに黒くて丸いモノが乗っかっていました。すかさずナハバームが壁を上がって来て、試験管の中を映します。
『スス?』『あれだ! 黒い煤に目がついてて動くやつ』『手で握ったら潰れて、手が真っ黒になるやつ』『ゴミでしょ』
「目はないけれど、口はあるよ」
もしかしたら、目もあるのかもしれない。とっても小さくって見えないだけで。でも、体… って呼んでいいのかな? まぁ、球体の3分の2はお口だね。思いっきり笑ってる。舌はピンクだ。牙はないけれど、草食動物みたいな歯がびっちり。
「もしかして、この苔を主食にしているのかな?」
威嚇してくるわけでもないから、害はなさそう。
アイは丁寧に、細心の注意をはらって、その黒い球体をピンセントでつまんで壁の苔の上に戻しました。
「驚かせて、ホンマごめんやで」
アイが申し訳なさそうに謝ると、その球体はピュイピュイ鳴いて苔の中に隠れちゃいました。
「青やオレンジの苔の中にも居たのかな?」
『モンスター?』『妖精?』『妖怪?』『小さい生き物って、集団でいるのが多いいけれど、他にもいる?』
「どうだろう? 見た感じ、居ないような…。あ、いた。キノコ」
それはそれは、小さなキノコでした。さっきの黒い球体と同じぐらいの大きさで、立派な三角の傘は黒地に渋い緑色の斑点。黑い胴体から細い手足を生やして、傘のすぐ下にある口で苔をムシャムシャと食べています。目は小さいけれどありました。手で苔をむしるんじゃなく、苔にしがみついて口で食い千切ってからムシャムシャ。
「チャッチャッ… て、聞こえる? スマホのマイクで、音が拾えるかな? これが咀嚼音みたい」
キノコを脅かさないように、そっとスマートフォンを近づけようとしたら、ナハバームがそろそろとキノコの隣に移動してきました。
『ナハバーム氏、優秀』『拾えてる』『集音マイク、優秀』
とっても小さな咀嚼音なのに、ちゃんと音が拾えてる。本当に優秀。それにしても、こんな小さなキノコ、見たことも聞いた事もないな。新種? それとも、会社が隠していたのかな? まぁ、生配信許可が下りているんだから、外部に漏れても良いって事だよね。気にするの、やめておこう。探せば、もっといるのかも。
アイは目を皿のように細めて、苔を観察します。苔のちょっとした隙間も、微かな動きも見逃さないように。苔はある程度まで食いちぎられると、内側から押し出すようにプルン♪ と虹色の球体を出しました。
キノコ、苔から球体が出たら、次の場所を食べてる。この球体、水っぽく無いなぁ。… あ、思っていたより硬い。ブルーベリーぐらいの硬さ。実なのかな? それにキノコが食べないで避けている場所がある。
「この苔、やっぱり珍しいよ。苔って、湿度の高い環境が好きだよね。けどさ、水分が多すぎると色が変わっちゃうんだよ。褐色とか黒っぽく。 湿気もね、こもっちゃうと苔が傷んだりカビが繁殖しちゃう原因なんだけど… この苔、水分を吹き出してる。見えるかな?」
アイの言葉にナハバームが反応して、アイの手元を映そうとした時でした。
ザザザー!
アイの耳とナハバームの集音マイクが、階段の上からの激しい水音をキャッチしたのと同時に、大量の水が落ちてきました。
「ちょえっ!」
アイが詠唱するよりも水が落ちてくるほうが早くて、アイの指が呪文を空に書くよりも水がその指先を絡み取るほうが先でした。
このパターン、今回は無いと思っていたのに~!! なぁ~んて、水が襲って来るなんて想定内。何度も経験しているもん!
大量の水に飲み込まれ、激流に流されながら指先に魔力を込めます。目はギュッ! と閉じたままで、「シ→ルド」と指を動かして
「KYヤバ」
と詠唱と共に水中に空気を出すと、その空気がアイに纏わりついてみるみるうちに球体になって、激流の中を流されていきました。
「… ゲホっ。経験て偉大」
外は荒れているけれど、球体の中は安定しています。アイは少し咳き込んだあと、荷物の確認をしました。もちろん、真っ先にしたのは、ウィッグとメイクのチェック。
ウィッグOK、カラコンOK、メイクOK! スマホも問題なし。ロリポップキャンディーもオ~ケィ。うん、今の気分はミントオレンジだな。
ホッとしたアイは、ロリポップキャンデーを咥えて、スマートフォンをチェックしました。
「マジやばたにえんだったわ。ダンジョンて、本当に何が起こるかわからないから、とにかく防水は重視しとくのがテッパンだよね〜」
『アイ氏、メイクチェック済みワロス』『水中で術発動とか、凄いです』『次の装備にゴーグル追加だね』『ナハバーム氏、仕事熱心』『ナハバームの防水は完璧だね』
画面の半分は水浸しのアイの顔。もう半分は激流が映っています。
「するっしょ、メイクチェック。あーね、ニョンリョンさんの言う通り、次はゴーグル準備だわ。マジ、カラコン流れなくって良かったわ〜。にしても、ナハバームってマジ仕事人。この激流でも機能してるって、パないよね〜」
『上の階のメダカがいる』『意外と草流れてない』『水、濁ってないね』『あ、ゴミかと思ったらキノコだ』『流れてる流れてる!』『アイちゃん、水水水』『後ろ後ろ後ろ』『後ろ見て、後ろ』『アイ、後ろー!!』
急にコメントが『後ろ!』と大量に流れてきたので、アイは慌てて後ろ、水が流れてくる方を見ました。
「わぉお、メルヘンじゃん」
わぁ… 水が虹色に輝いてる。上のオレンジや紫のヒカリゴケや、黒い苔の虹色の実が細かく混ざり合っている。やっぱり、光を反射しているんじゃなくって、自分から発光してるんだ。小さな魚も虹色に光って、絵本の世界みたい。
自分を包む光景に見とれていたのは、ほんの数分でした。激流はすぐに広い場所に滝のように流れ落ちて、アイを包んだ膜は、クルクルクルと滝壺に落ちたように回ります。アイは慌てるでもなく、スカートの裾を気にしながらルーズソックスとスニーカーを脱いでリュックにしまうと、両足にピンクの口紅で鱗を描きだしました。
「あげて♪ あげて♪ マーメイドウィズ〜」
口の中でロリポップキャンデーをコロコロ転がしながら、まるで歌っているような詠唱です。足に描いたピンクの鱗模様に人差し指を置いて、口紅を伸ばすように『
「マ~メイドのアイで~す」
スマートフォンに映ったアイの首筋には、小さなピンク色の鱗が付いたエラが、パクパクしていました。
「目はね、膜が張るから水中でも視界良好。カラコン落ちないの。
ではでは、ここからはナハバームがメインかな。スマホは念のために切るね。んじゃ、潜りま~す」
スマートフォンを防水袋に入れてリュックにしまいます。そしてパチン! と指を鳴らして空気の球体を解除した途端、アイの体は激しい水流に揉まれました。けれど、ピンク色に輝く尾を力強く上下に動かして、クルクル回る滝つぼの様な水流から難なく抜け出して、気持ちよさそうに水中を漂いました。ロリポップキャンデーを咥えたままで。
そんなアイに、ナハバームが寄り添います。流れが緩やかな場所まで泳ぐと、アイはナハバームに向かって話しかけました。
「声、拾ってる?」
いつもよりくぐもったアイの声。
『聞こえる聞こえる!』『凄い!』『アイちゃん、きゃわ!』『リアルマーメイド』
良かった。ちゃんと聞こえているね。それにしても、本当にナハバームって優秀。製作スタッフが優秀なのね。
「ここ、地底湖だね。明度は高いけれど… あ、底の代わりにいいもの見っけ」
アイが黙ると、半透明の白いモノがフワフワと近づいて来ます。それはナハバームのカメラにも、しっかりと映っていました。
アイ、おとぎ話のお姫様です。さらにメルヘンな展開に? それとも… Next→