第十一話 『おとぎ話への入り口』
リスナーが地上だと思っていた場所は、地下でした。正確には、周りの土地より下がってしまった場所。
『広範囲の地盤沈下?』『地盤沈下って、地下水使いすぎるとなるんだっけ?』『村ごとなる?』『廃村になってから沈んだ?』『地震とか?』『え〜沼ごとってあるの?』
「コメ、レベチ。ワロタ」
トカゲ型のナハバームは、アイの肩に止まって周囲をくまなく映しています。アイはいつも使っているスマートフォンでコメントを確認しながら、ゆっくりと歩き出しました。
「シャチョーの話しだと、この村は二十数年前まではフツーの村だったって。米とか野菜とか、メッチャ採れたらしいよ」
家と家の間が広く空いているのは、そこが畑や田んぼだったんだろうなぁ。
アイはカロンと口の中のロリポップキャンデーを転がしながら、目の前に広がる廃村を寂しい気持ちで見ていました。
『普通とは?』『昔話に出てくる感じ?』『田舎ってことでしょ』『二十数年って、最近じゃないけど昔でもないよね』
「あーね、ゴウヤさんそれな。そうなんだよね~。二十数年前ってことはさ、微妙に私はまだ生まれてないからさ、「昔だな〜」とは思うよね。でも、親やコメくれてる中には産まれてる人もいんじゃね? だからさ、メッチャ昔って感じでもないんだよね。今までだって、ダンジョン近くに廃墟があったりして覗いたことはあるんだけど、村丸々一つは無かったし。で、皆様、肝心な事をお忘れで」
『アイ氏、何を隠して?』『そっか、アイちゃんは知っているんだ』『あ、分かったかも』『お、天才現る』『なんぞなんぞ?』
「はい、あと3分」
『急に来る時間制限w』『カップ麺出来上がる』『天才、答えを求む』『えー、地盤沈下の理由なんて分かんないよ~』『地盤沈下じゃなくね?』『アイちゃん、答え言っていい?』
「はい、末期さんどぞー」
『野良ダンジョンとの融合』
「当たり! 末期さん、パないね~。んじゃ、正解が出たからご褒美~」
アイが持っているスマートフォンの接続を一時的に切ると、全画面ナハバームからの配信に切り替わります。そこには、茜色に染まり始めた廃村が映し出されました。遠くの山に沈み始めた夕日が、その帯を長く広く伸ばします。濃い赤とオレンジの合い間に紫がかった雲、草木も家々も家畜小屋も全てが茜色。
「わぁ…」
まるで絵画の世界に入り込んだみたい。それか幻。
アイも思わず溜め息をつきました。草や葉の先端から白や金色の粒子が溢れだして、茜色の空気の中に溶けていきます。中には粒子どうしがくっついたり、先端にぷっくりと溜まったり。空気に溶け込まないそれらを、腰をかがめて大きめの葉に溜めている人がいました。
「誰だろう」
今は、私しかいないはずなのに。
そう思っても、アイは大きな声で声をかけるわけでもなく、その人の後ろ姿を見つめていました。
茜色の空間に鮮やかな藍色の浴衣に赤い帯。大きな葉をささえるように持つ両手や、襟からチラッと見える項も茜色って事は、まっ白なのかな? 大きな円錐みたいな笠を被っているから、お顔は見えないなぁ。でも…
「綺麗な人」
顔は見えないけれど、立ち姿やちょっとした動作が綺麗。お上品って言うのかな。
見とれていたのはほんの数秒でした。浴衣姿の人は立ち上がると、スッとアイを指さします。顔は手元の葉を見つめたままで。
いけない。見とれてる場合じゃなかった。
その指差しの意味を、アイは「早く行きなさい」ととらえて、慌てて後ろを向きました。アイの背後、ほんの少し後ろに、村で一番大きな家がありました。
「他の家と同じだね。外から中から木とか草に侵略されてる。窓ガラスの存在すらないよ。でも、この家の凄い所はさ、これこれ。この幹! メッチャでっかくない?! 家の右端から家を抱え込むように生えているけどさ、この幹、メッチャツルツルしてるの。見かけはごつごつしてるけど、ツルツル。サスルベリの木みたい」
アイはゆっくりとその幹を撫でた後、フワッと風に頬を撫でられた気がして、幹に影を作らないように立ちました。
「風が変わった」
夕日は刻一刻と落ちて、茜色より闇を含んだ紫が広がって行きます。トットット… その色は駆け足のように幹にも迫ってきました。すると、幹から伸びた影にドアが浮かび上がります。アイは影のドアノブに位置するあたりの幹に手を伸ばして、手前でドアノブを握って引く動作をしました。
キィ…
ほんの小さな音を立てて、幹の真ん中が開きます。ポッカリとドアの形の闇が。
「さ、次のステージ行くよ~」
アイはためらう事なくその中に飛び込みました。
■
ドアを通り抜けると、そこは一面の花畑でした。ドアは消えて、真っ白な花だらけ。
「中に入ったって言うより、空間ごと変わった感じ。足元は川だよ。白い花に隠れて映ってないけれど、水が流れてる。5センチぐらいかな? 川底は土や砂じゃなくって岩っぽ」
『アイちゃん、映ってる映ってる』『ナハバーム氏、しっかり仕事中』『新しい相棒、有能だよ』『メダカみたいな小さな魚もいる』『カエルもいる』『綺麗な水だね』
チラッとスマートフォンの画面を覗くと、書き込みがナハバームの存在を思い出させてくれました。確かに、画面の半分は水中の映像が映っています。灰色の石畳の隙間からヒョロヒョロと伸びた茎が四方八方に伸びて、水面すれすれで小さな花を広げていました。
「魚? カエル? マジ?! ナハバーム、これぐらいの水の量なら大丈夫なんだ」
そう言えば、スピリタスさんのナハバームは水中の記録もしっかり撮ってた。あれはまだ旧式の物のはずだから、私のナハバームはさらに深い所まで潜れるのかな。
アイは素早く詠唱をして、自分の体を10センチ程浮かせて空中を移動し始めました。花を踏み荒らしたり、水を汚したくないから。
「じゃ、こっちは上。天井低いなぁ。180ないんじゃない? でね、見て見て天井のヒカリゴケ、パなくない? 今まで見てきたヒカリゴケって、エメラルド色に光ってたじゃん。でも、ここのヒカリゴケはオレンジだよ、オレンジ。オレンジ色の苔はあるけど、光るのは初めて。なんかさ、外の夕日を反射してるみたいじゃん? まぁ、反射しても普通はエメラルド色なんだけど」
天井にはビッチリとヒカリゴケが一面に生えていて、この空間を照らしています。アイが言うようにオレンジ色に発色しているけれど、部屋全体を見渡すと暖色系のライトといった感じです。
『夕日、綺麗だった』『綺麗だった〜』『画面越しでも感動』『特殊効果じゃないの?』『何かの撮影とか?』『ドアの出現は不思議だった』『あれこそ特殊効果?』
「いやいや、これ生配信。ナウよナウ。編集前」
『… だよね』『でもさ、誰か居たの?』『そうそう。アイちゃん呟いていたでしょ』『どこに居たの?画面のスミ?』
「え? 距離はあったけど、正面に居たじゃん。藍色の浴衣姿で笠を、昔の三角の藁とかで編んだ笠ね。今でもベトナムの人達はかぶってるイメージがある、円錐型の帽子。あれを被ってたじゃん」
アイはスマートフォンの画面に向かって、自分の顔の前に指で三角を描いてみせました。
『いやいやいやいや』『またまた~』『居なかったって』『冗談キツイ』
… この反応、もしかして
「画面には映っていなかったって事だよね?」
『… マジ?』『マジで言ってる?』『いやいや、アイちゃん、引っ張らなくってもいいよ』『アイ氏、夏とは言えこのチャンネルは怪談ではないですぞ』
本当に映っていなかったかぁ。幽霊だってカメラに映る事があるんだけれどな。でも、幽霊とは思えないんだけれどなぁ?
アイは部屋の端まで飛んで来ると、ぐるりと部屋を見渡します。一歩足を出せば、下へと向かう階段です。
「まぁ、宜保ったかどうかは置いといて。この村、夕方に野良ダンジョンが出現したんだって。まだダンジョンの知識がない時だったから、誰も何も出来なくて、あっという間に村ごとゴックン。村の人達全員が逃げられたとか、逃げ遅れた人が居るとかは聞いてないよ」
水源が分からないなぁ。入ってきたドアとは別に、どこか別の空間と繋がっている所があって、そこから流れ込んでいるのかな?
アイはナハバームが足元に来たのを確認して、階段を下り始めました。
『アイちゃん、完全に宜保ったよ』『カルミア社もこうなる所だったの?』『野良ダンジョン、コワ』
「野良ダンジョンの空間が安定する前に、空間を切り離しちゃえば大丈夫。こないだの会社のパターンだったら、最悪エレベーターだけダンジョン化してたかもね。まぁ、切り離したらエレベーターを飲み込んだダンジョンは消えちゃったみたいだけど」
ここも、オレンジのヒカリゴケ。もう解析されちゃっているかな? 一応、採集して提出しようかな。
『でも、モンスターいないよね』『会社の特別な人しか入れないダンジョンなんでしょ? この後、強いモンスターが出て来るの?』『本当だ、モンスター出てこない』『アイちゃん、魔法、ほとんど使ってないもんね』
「それは進めばわかるっしょ。じゃぁ、進むよ~」
アイはナハバームが壁を伝って顔の近くに来たのを確認して、階段を下り始めました。ナハバームのカメラに向かって階段の下を指さして、自分のスマートフォンは怪談を映しながら。
アイの新しいアイテム・自立型スマートホン『ナハバーム』は優秀です! ダンジョン探索が大好きなアイにとって、頼もしい相棒になりそうです Next→