第八話 『ダンジョン探索に必要なもの』
スピリタスの顔を見た瞬間、アイの涙腺は決壊しました。ボロボロと零れ出る涙を拭う事もしないで、アイは泣きながら謝ります。
「ごめんなさい、ごめんなさい。私があんな我儘なお願いをしたから。スピリタスさんを危険な目に合わせて、ごめんなさい。あんな欲を出したお願いをしてごめんなさい」
ギャル語も忘れて、ひたすら謝ります。そんなアイを、スピリタスはそっと抱きしめて、優しく頭を撫でてくれました。
「ごめんなさいぃぃ」
自分をスッポリ包み込んでくれる温もりに、スピリタスが生きているという実感が持てて、安心してまた大きな声で泣きました。まるで、小さな子どもみたいです。
「ちょっと、そんな所で何をしているのよ!」
その泣き声で目を覚ましたシスターが、「2人っきりで」と目を吊り上げて近寄って来ます。けれど、二人の後ろに倒れている物が何かを確認した途端、サッと顔から血の気が引きました。
「… これ、キング・クロコダイルじゃない。しかも、特大」
「えー、寝ている間に、実はピンチだったとか?」
大きな欠伸をしながら来たバロンは、キング・クロコダイルの姿を見ても驚きはしませんでした。
「スピリタスさんが戦ったの? いいな~。俺も戦いたかったよぉ。今度は起こして。で、そのケペシュを貸してください。俺、今武器ないから。それよりアイちゃん、なんで泣いてるの? スピリタスさんに虐められちゃった? 俺が慰めてあげるから、こっちにおいでよ」
なが~い欠伸をしながら体を伸ばして、呑気に言っていたバロン。けれどスピリタスの腕の中でしゃくり上げているアイを見つけて、サッと心配そうな表情になって、アイに向かって両腕を広げました。
「そんな事、あるわけがないでしょう?! この子が何かドジをやって、落ち込んでいるのよ。スピリタスさんが優しいからって、甘えていないの。離れなさいよ」
シスターは力づくで、アイとスピリタスを引き離そうとします。けれど、鼻を襲った激しい異臭に、思わず鼻をつまんで後ずさりしました。
「な、なにこの匂い!? もしかして、もしかしなくてもキング・クロコダイルの血とか分泌液的なもの? やだやだ、冗談じゃないわ。近づかないでちょうだい!」
目を白黒させるシスターに、スピリタスはしっかりと頷いて見せます。そのスピリタスの顔を見たシスターは「しまった」という顔をして、
「違うんです。今のはスピリタスさんじゃなくって… あの、でも…」
アタフタし始めました。訂正しようとしても、頭のてっぺんから足のつま先までキング・クロコダイルの血で汚れているのは、スピリタスの方だから。
「シスター、鼻が利くんだね。俺はそこまで臭いとは思わないな。まぁ、少し気になる程度かな」
そんなシスターに、バロンは感心したようです。
「貴方の嗅覚は、痛覚と同じで鈍感なんでしょうね。とにかく、洗ってらっしゃ… いって、どこかに水があるかしら? 今まで喉が渇かなかったのは幸運だったけれど、この後は水分を確保しておかないと」
バロンを勢いよく馬鹿にしたけれど、その勢いは最後まで続きません。キョロキョロと見渡しても、水はないんです。アイが魔法で蒸発させてしまったから。
「水? あるよ」
「どこに?」
サラッと答えたバロンに、シスターが疑って聞き返しました。
「ここ、実は地底湖の中なんだよね。底、底なの。縁が高すぎて、意識のない二人を抱いて上がるには無理だから、底の一番盛り上がっていた所で火を焚いたんだ。この底、だいぶ凸凹しているから、凹んでいる所はまだ水が残っていたよ」
そう言うバロンの案内で、アイはしゃっくりをしながら歩き出しました。スピリタスの横を。
バロンが案内してくれた所は、焚火の場所からそんなに離れてはいませんでした。光の玉の光が届いていなかったようです。そこはちょっとしたジャグジーぐらいのサイズがあって、深さもそれなりにありそうです。でも、アイが驚いたのはその水の存在でも、穴の大きさでもありませんでした。穴の縁をぐるりと飾る、大きな三角の物。鋭利な山の様なそれは、海穴の主、マーシレス・モライの歯でした。
アイの表情が一気に明るくなります。微かに残っていた涙も完全に止まって、アイはその鋭利な歯に、そぉ~っと、触れました。
このザラザラは、一つ一つが「歯」なんだよね。大きな歯の表面に、小さな小さな歯がビッシリ生えている。すごいな~。
「話に聞いていただけで、本物は初めて」
指先に感じるザラザラした感触に、アイは心を躍らせて、くまなく触れていきます。自分の指が歯ブラシにでもなったかのように。
「これ、全部バロンさんが?」
「アイちゃんが、お金になるって教えてくれたからさ。全部じゃないけれど、探し出せた物は、あの炎の中でも燃えないどころか傷一つ無かったから驚いたよ」
まだ、どこかに落ちているのかな? それとも、全部が全部炎に強いわけじゃなくって、炎で燃えたり溶けたりしたのもあるとか? いつもだったら、それぐらいの火力だったかもだけど、さっきは魔力の底が見えていたから、そこまで出てたのかなぁ? まぁ、そうだとしたら、ここにあるのは上等品ってことだよね。
試しに一つ持ってみると、ひんやりと冷たくズッシリと重さを感じました。
「ねぇ、一度出ない? 私達ダンジョンに入るつもりじゃなかったから、最低限の装備すらないでしょう? ゲットしたアイテムを会社に渡すにしても、このままにするにしても、ワニは早くしないと腐敗が進んで衛生面に影響が出るわ。何より、アイちゃんは魔力切れだし、この水で二人の汚れが落ちるとは思えない。感染症とか寄生虫なんて、まっぴら御免だし、その状態を回復する事は出来るけれど、それには相当の魔力を必要とするのよ。いつも持っているアイテムがあれば、まだマシなのだけれど。ともかく、ここまで無謀な探索は初めてなの。一度戻って、体制を立て直したいわ」
シスターの提案に、3人は「それもそうだ」と納得して、一度ダンジョンを出ることにしました。武器を持っているのはスピリタスだけ、とりあえずの装備を持っているのはアイだけ。バロンとシスターは、身一つと言っても過言じゃないですから。
「落ちた時、上がろうとはしたんだよね。でも、見えない壁? みたいなので、ムリめだわ~って降りたわけ。多分、そこが空間の境目だとおも」
アイは上を指さします。光の玉が届かない、真っ暗な闇の中を。
「こっちから、向こうには戻れないって事か。じゃあさ、いつも通りアイテムや魔法で出ようよ」
バロンの言葉に、3人は顔を見合わせます。
「誰か、アイテムある?」
シスターの質問に、フルフルと頭を横にふる3人。
「私、専門は回復系魔法なの。脱出系の魔法は出来ないことはないけれど、保証はしないわよ。色々と。色々とね」
「うわー、嫌な含みを持たせるねぇ。それって、体の一部がダンジョンに残っちゃったりするわけ?」
胸を張って誓言するシスターに、バロンが恐る恐る聞きました。
「まぁ、そんなところね」
「アイちゃん! 君だけが頼りだよ! 本当に、君しかいない!」
自分の両手にすがりつくバロンを、アイは払いのけることは出来ませんでした。
「が… ガチで頑張る」
私だって脱出系の呪文は苦手なの! という逃げ出したい気持ちをゴックン! と飲み込んで、私しかいないんだ。私がやらなきゃ! と言う責任感で立っていました。
アイ、他のメンバーも『備えあれば患いなし』という言葉を、しみじみ実感したダンジョンでした。Next→