【11】
背後からした突然の声に双子が驚き、振り向きつつ距離を取る。そこには気味の悪い鎧を身に着けた二メートル近い怪物が居り、ひび割れの中から出てきたのかその前で佇んでいた。頭部に付いたギョロ目は左右で違う方向を向き、ギョロギョロと自由自在に回転している。
その怪物は男性の声と女性の声が複数聞こえる奇妙な声をしており、その鎧の中に居るのが本当に人間なのかは双子には分からなかった。しかし、そのギョロ目が大量の殺人に関わっているのは事実だ。
「前から君達をスカウトしたいと思ってたんだ。いいタイミングだね」
「……クーヤー」
「……」
「そんなに緊張することかい?まあ、この鎧はちょっと怖いか」
気さくな声色で話すギョロ目だが、まるで生きているかのように脈動するその鎧の中に血の通った人間が居るとは思えなかった。態度ではなく行動こそがその人間の本質を示すという言葉があるが、ギョロ目についてはその言葉が当てはまるかもしれない。
双子は司祭第三形態を解かない。
「自分はヴィスナって名乗ってる。まあ、みんなギョロ目って呼ぶんだけど」
「……何が目的?」
「死体が欲しいんだ。その為に何人も人手が居るんだよ」
「カーラー……こいつが探してる奴なんじゃ」
異様な気配を放つ怪物は藍川と粳部が追っているギョロ目。正しくはヴィスナだが、今はラベルの名前をどうするかなどはどうでもいい。様々な事件に関与した凶悪な犯罪者であることは双子もうっすらと理解していたが、それ以上に次元が違うような異質な圧が放たれていることの方を恐れていたのだ。
粳部を押し流していった大量の概怪が地下駐車場の奥で蠢いている。
「欲しい物をできる限り用意してあげよう。もちろん、君達には選択権がある」
「……少し前の私達ならそうした。けど、もうその道は選ばない」
「そうかな?君たちは蓮向かいに拘束されて自由を侵害されてる」
当然のように蓮向かいの存在を話し、双子の境遇についての情報を把握している。一体どこからその情報を得たのか、内通者が居るのかなどはサッパリ分からない。しかし、二人の弱みに付け込もうとしているのは二人にも分かっていた。
彼らは表情を少しも変えないが、ヴィスナは身振り手振りで楽しそうにしている。
「気に入らない奴を殺し、欲しい物を奪う。一度はそうしたんじゃないか」
「何で知ってる……」
「思うがままに暴れる奴が一番強い。戻るのはそう抵抗の多い話じゃないだろう?」
クーヤーが偶然司祭になって船を飛び出し、二人は何も気にすることなく欲しい物を奪い、暴れ、一人を殺した。邪魔する者は全て排除し何者にも縛られない道を選んだ。しかし、それは自分達で選んだ道ではなかった。それは結局、何も知らないが故に選んだ内にも入らなかったのだ。
クーヤーは強く拳を握る。
「何も知らない馬鹿だった頃には戻れない……私達は自由を知っている」
「……無知の罪か。予想より蓮向かいのセラピーは質が良いらしい」
「知った以上は戻れない。で、お前の提案には乗らない」
カーラーがキッパリと答える。二人は理不尽な檻を抜け出してルールに縛られた世界に辿り着いた。しかし、彼らはそのルールの中に自由を見た。自由の意味を知った。ならばもう過去に戻る理由はない。自身の犯した罪を償う道を選んでいるのだから。
ヴィスナが残念そうな手振りをする。
「ふーむ……奪われた分取り戻したいとは思わない?」
「飽きた。お前を捕まえる」
「……原初の人間は法なんかに縛られはしなかったんだけどね」
会話を打ち切り双子が戦闘態勢に入る。特に啖呵を切ったカーラーは敵をここで確実に捕まえる覚悟を抱いていた。これ以上の会話に意味はなく、後はヴィスナを捕まえればいいだけのこと。相変わらずヴィスナの放つ異常な圧を双子は感じていたが、それ以上に彼らの意思の方が強かった。
「仕方がない。これで気が変わる?」
しかし、相手が悪かった。
奴がそう言った瞬間、カーラーは自分の手を自分の首に突き刺す。そして背骨を握ったかと思うとそれを自らの手で引き千切って破壊する。語るまでもなく即死。余りにも呆気なく命を失い力なく倒れ、状況を理解できないクーヤーが無言で立ち尽くす。傍から見ればそれは自殺、カーラーが絶対にする筈のない行為が一瞬の内に行われたのだ。
「えっ……」
カーラーの体から緑色の結晶が消えていき、さっきまで生きていた命がただの亡骸に変わった。クーヤーは力なく転がる頭と偶然目が合ってしまう。もう姉は動かない、笑わない、悲しまない。その事実が脳内に浮かんだ瞬間、クーヤーの心は音を立てて壊れ始めた。
「お前えええええ!」
その瞬間、彼女の体から結晶が生えるとその光が水色に変化した。急激に上昇する概念防御が空間を激しく振動させ、抑えきれなくなった力が溢れ電流が迸る。最愛の姉を失い絶望し怒り狂った彼女は自らの概念を切り離し、司祭第五形態に到達したのだ。
「おっと、司祭第五形態か。これは予想外かな」
「滅茶苦茶にしてやるッ!」
爆発した力が過去最高速度を叩き出し、ヴィスナの頭を一瞬で殴り抜ける。あまりの衝撃に象徴的だった二つのギョロ目が弾け飛ぶ。爆風で周囲の車が壁まで飛んで行き、連鎖的に爆発を起こすと周囲は炎で包まれた。流石にこれは予想外だったのか驚くヴィスナだったが、ギョロ目のセンサーが壊れただけで中身に傷は付いていない。
「ああ、センサーが壊れちゃった。ちょっと好きだったんだけど」
「殺す!」
「その意気さ!」
クーヤーが拳を離すとヴィスナが叩き込もうとした拳を弾き、足払いを跳んで避けると回し蹴りで弾き飛ばす。後ずさるヴィスナにすかさず追い打ちをかけるようにラリアットを叩き込むが、両手で受け止められるとそのまま放り投げられる。地面にぶつかる衝撃でヒビが入り周囲の柱が崩れる中、彼女は瞬時に起き上がり飛び蹴りを繰り出す。
「はああああああ!」
「中々だよ!」
ヴィスナは飛び蹴りを避けるとチョップを叩き込もうとする。しかし、クーヤーが空中で回転すると振り下ろされる手を弾いた。そこから突然回転を止めて空中で静止する。
「うわああああああ!」
「うおっ!こりゃ……」
彼女から放たれる大声と高まった概念防御による衝撃波でヴィスナは弾き飛ばされ、あまりの威力に地下駐車場の天井が吹き飛び上階が見えてしまった。遠くの瓦礫の中に埋もれていたヴィスナは起き上がると準備体操のように体を確認し、迫って来るクーヤーを見据える。
「仲間にするのは厳しそうかな……」
「んんんんッ!」
クーヤーは殴りかかると見せかけて足払いを仕掛ける。しかし、ヴィスナの速度は彼女を既に超えていた。首に叩き込んだチョップでクーヤーの姿勢が崩れ、がら空きになった胸に拳が叩き付けられる。吹き飛ばされる彼女の背後にヴィスナが一瞬で移動し、肘打ちを叩き込むと再び遠くに飛んでいく。それから何度も何度も肘打ちを繰り返し、自由を奪いながら着実にダメージを与えていった。
「いつまで耐えられるかな!」
だが、ヴィスナが攻撃を打ち込もうとした瞬間に彼女が空中で身をひるがえす。そして頭を思い切り蹴り上げると回し蹴りで地面に叩き込んだ。更に、クーヤーはヴィスナが空中に跳ね上がった瞬間に振りかぶって拳を放つ。咄嗟に受け止められたもののその衝撃は激しく、ヴィスナは大きく弾き飛ばされた。
その時、クーヤーの全身から結晶化した概念防御が生え、紫色の光を放ち始める。
「司祭第六形態ッ!」
止める者は居なかった。自分の中の概念をすり減らしてでも、大切な記憶や感情を失ったとしても、彼女は全てを捨ててヴィスナを殺すつもりだったのだ。理性すらも薄れ始める中、彼女の顔に生えた結晶が仮面の形になる。
着地したヴィスナが第六形態に到達したクーヤーを見据える。
「そうか、そこまで大切な物を捨てられるわけか」
「があああああ!おおおおおおッ!」
「なら、少しやる気を出そう」
彼女がそう言った瞬間、最高速度で突っ込むクーヤーが目の前に迫る。しかし、奴にはその速度に驚きを示すどころか鼻で笑うような余裕があった。底知れない威圧感を取り戻した怪物はクーヤーを見つめながら、一言だけ言った。
「司祭第二形態」
ヴィスナの鎧の中から生えた結晶が赤く輝き、放たれる概念防御と威圧感が拳を受け止める。爆風と衝撃が周囲に吹き荒れる中、一ミリも動かないヴィスナにクーヤーの方が反応する。限界を超えた拳の一撃を容易く受け止めただけではない。奴は……
「お前っ……司祭か……!?」
「形態変化は司祭の奥の手。でも、元が弱くちゃ意味がない」
そう言ってヴィスナの腕が振られた瞬間、クーヤーの右腕が飛んでいく。γ並みの彼女が第六形態に到達しようと、相手がそれ以上の司祭ならば形態変化した瞬間に差を追い抜かれてしまう。残酷だが、奥の手は両者にあった。
後ろに退いたクーヤーが態勢を立て直そうとするが、一瞬で懐に入ったヴィスナが蹴り上げると天井を貫いて飛んでいく。何枚も何枚も突き抜けて彼女が屋上を抜けた瞬間、ヴィスナが上から踏みつけて最下層まで落とされたのだ。全身の骨にヒビが入り仮面から血が漏れる。
「がはっ!?」
「よく耐えるよ!君は!」
空中から降りてくるヴィスナから距離を取ろうと即座に駆け出すクーヤー。
「があああああ!」
クーヤーが叫ぶと切断された腕の断面から概念防御の結晶が生え、砕けると腕が元に戻る。概念防御が高まった司祭は様々な概念を拒絶するようになる為、壊れた体を拒絶した結果として欠損した部位を生やすことができるのだ。そう簡単には死なないものである。
いつの間にかクーヤーと並走するヴィスナ。
「概念防御で怪我を拒絶し再生!使いこなせてるじゃないか」
「殺すッ!」
「だが惜しいね」
急接近するヴィスナを見て咄嗟に避ける彼女だったが、読み合いに負け接近を許してしまう。そして、手刀で大きく袈裟斬りされたクーヤーは壁にめり込むように叩き付けられた。
「まだあああ!」
クーヤーが胸を深く切り裂いた傷口から結晶が生えて修復しようとする。だが、その再生が行われるより先に迫ったヴィスナの追撃の方が早かった。振り下ろされる手刀が頭を一刀両断し、クーヤーの胸の辺りで腕が止まる。いくら司祭と言えど頭への攻撃は弱いことが多い。
その瞬間、クーヤーの動きが止まった。
「自分の部下になればもっと極められただろうに。ホント、残念」
胸から腕を引き抜き、物言わぬ死体になったクーヤーの体に背を向ける。もう用がなくなったヴィスナはその場を立ち去ろうと歩き出し、指を鳴らすと空間にヒビが入って穴ができた。戦いは終わった、決着はついた。
しかし、それは止まる理由にならない。
「私達は自由だあああああ!」
「なっ!?」
頭が割れた状態で駆け出したクーヤーは拳を振りかぶり、振り返ったヴィスナの顔に直撃する。第六形態の限界を超えた死力の一撃は第二形態の耐久性を越え、今まで少ししか傷を付けられなかった鎧に大きなヒビが入った。そのヒビは全身に走っていき、鎧が持たないレベルで破損していく。
恐怖からヴィスナが後ずさる。
「があっ!き、君は……!?」
しかし、クーヤーは立ったまま死んでいた。ヴィスナを殺すという執念により、即死の状態から概念防御で死を拒絶し一撃を与えたのだ。だが、彼女は全てを拒絶して概念の怪物として生き続ける道を選ばなかった。いや、選べる素質がなかったのだ。
足取りがふらついたヴィスナが空間の穴に向かっていく。
「や、やるじゃないか……概怪を生きたまま編んだ僕の鎧を壊すなんて」
死に際にγどころかΩ-以上の力を発揮して見せることができる司祭はそうそう居ない。概念の怪物として死ねない怪物になってしまう司祭は数十年に一人存在するが、そうなってしまうとクラスΩの司祭でもどうにもならないケースになる。そう考えると運が良かったかもしれない。
ヴィスナが歩いていた時、不意に別の誰かの足音が響く。
「……ん?」
「く、クーヤーさ……」
クーヤーの死体を発見し足を止める粳部。あまりにも悲惨な死に様から口を覆った彼女だが、すぐに近くに居るヴィスナに視線を向ける。奴の方も突然現れた粳部を見て視線を向けていた。壊れかけの鎧が崩れ始め、僅かに欠けた兜の穴から一つの瞳が覗いている。
「お前がギョロ目かあ!」
粳部は咄嗟に海坊主を出すとその腕を伸ばして奴を捕まえようとする。だが、ヴィスナはすぐに空間の穴に飛び込むとヒビ割れを閉じて姿を消し、海坊主は空を掴んで腕を伸ばすのを止めた。その場に残ったのは死体と瓦礫と粳部だけ。ある意味、最悪の結果だった。
彼女が立ち尽くしていると、天井に開いた穴から藍川と谷口が飛び降りてくる。
「粳部!応援要請を受けて……ああくそっ!見ちゃ駄目だ!」
「……私、概怪に飲み込まれて……何とか出て本部に連絡して」
「ラジオが国外に居たのが運の尽きだったな。恐らく、ギョロ目の罠だろう」
「まさか……二人共死んだのか?」
彼女が静かに頷く。ここまで来るまでに瓦礫に埋もれたカーラーの死体を粳部が掘り起こしており、二人の死に様を知っている。ヴィスナが出した巨大な蛇の概怪に飲み込まれなければ、クーヤーとカーラーと共に戦い二人の死を避けられたかもしれない。しかし、全ては過去だ。
粳部が力なく崩れ落ちる。
「幻覚の司祭は生きてます……縛ってあっちに居ます」
「……俺は奴を捕まえに行く……俺が居ない方がいいだろう?」
「すまん谷口」
気を利かせた谷口が粳部の指差した方向に駆けて行き、その場に藍川と粳部だけが残る。最悪の雰囲気が漂う中、藍川は使う言葉を必死に考えながら話をした。
「し、死体があればウチの司祭に頼んで戦闘の記録が分かる。無駄死にじゃない……」
「……」
「……お前は精一杯やったさ……悪いのは考えが甘かった俺だ」
彼女が静かに涙を流す。自分の力不足が二人を殺したという事実が粳部を追い詰め、無残な姿になったクーヤーの死体がどうにもならない現実を叩き付ける。地獄のような人生を送って来た二人はこれからようやくやり直せる所だったというのに、もうどうにもならないのだ。
「やっと自由になったのに……これからなのに……こんなの……」
「……すまん」
「あっああ……うぐっ……うう……」
涙は乾いたコンクリートを伝って落ちていく。さめざめと、静かに。