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12-5

【8】


「……」

 資料を読み終えた粳部が目を離す。彼女は溜め息を吐きたくなるが、同じ車内に居る双子のことを考えて無言を貫くことにした。持っていた双子についてのレポートをインパネに乗せる。助手席の粳部を見ていた後部座席のカーラーとクーヤーはそれを見逃さず、何を読んでいたのか見ようと身を乗り出す。

「ちょちょっと!?」

「何読んでたの、私達にも見せて」

「取った」

「あ、あっ!駄目です!それあなた達についての資料で!」

 クーヤーが奪い取った資料をペラペラと捲る。慌てる粳部が騒ぐが二人は少しも怯まず、無人の地下駐車場に彼女の声が木霊していた。双子の面倒を見ている職員から双子の過去について聞かないように言われていた為、粳部が慌てるのも当然だ。

「へーこれ私達についての資料なんだ。文字読めなくて」

「……言わなきゃ良かった!」

「凄い厚いんだけど、何書いてあるの?」

「い、言いませんよ絶対!何言っても駄目ですからね」

 その時、三人の耳元に付けられた無線に藍川の声が入る。

『異常なし。こちら準備完了』

「了解、こちらも異常なしです」

『作戦を再確認する。中華料理屋の店主に偽の情報を流し、敵を罠に嵌める』

「……本当に当たってますかね」

『分からんが、経営難だった筈が経営が続いてる。海外口座に多額の入金もある』

 双子が怪しいと言った中華料理屋の店主。洗ってみると不可解な点がいくつも浮上し、タレコミで多額の資金を報酬として受け取っているのではないかという疑問が浮かんだのだ。そもそも何故双子がそれを見ぬけたのかは分からないが、確かに当てて見せたのだ。

『地下街の売り上げは毎年落ちて閉店が増えてる。金を受け取ってタレコミしてるな』

「まあ、鈴先輩の権能で一発で分かりますか」

『そういうこと。今は待機だ』

「了解です」

 粳部が答えると通信が切れる。彼の権能があればその人物が手先の手先かどうかが分かり、作戦を実行するかの判断ができる。実にシンプルな作戦だが、問題は手先の手先で釣り上げることができるかだ。撒いた餌に食い付くかどうかは神のみぞ知る。

 粳部が背もたれに身を預けた。

「……何であの店長が手先の手先って分かったんです?」

「緊張してる時の匂いがした。微動だにせず、指先を気にしてた」

「それは何です?」

「隠し事がある仕草」

「客が居ないのに店内は豪華、ほのかに香水の匂い。儲けがなさそうなのに生活に困ってない」

 それは高度な精神分析。ラジオのプロファイリングに似ているが、こちらはやや自身の感覚に振り切っている。仕草や匂いを感じ取り、長年人と接した経験からその人物の心情を読み取るのが双子のやり方だ。長年娼婦として人と接したことによる、職業病とも言える。

 それは少し早計過ぎるのではないかと思う粳部。

「そ、それだけじゃ言い切れないんじゃ……」

「相手が頭がおかしい奴じゃなきゃ百パーセント当たる」

「うーん……でも口座が不審ですし……可能性はありますか」

「仕事柄そういうのが分かるの、私達」

 当初は双子の戯言かと思っていたが、藍川の調べでそれが現実味を帯びてきた。確証のない推測が一度は当たったのだ。それが二度当たる可能性は十分にある。しかし、依然として今回の事件と関係ない別の犯罪の可能性もある。全ては藍川の読み次第だ。

 粳部の表情が沈む。

「……娼婦ですか」

「ここ……日本って言ったっけ。私達の居た所とは違っていいね」

「安全で……綺麗で」

「まあ、他の国と比べたらそうでしょうね」

 二人が居た犯罪塗れの現代の地獄と比べれば、ここは随分と理想的な国だろう。双子の経歴を知った彼女はそれについて当たり障りのないことしか言えなかった。目を覆いたくなるような惨劇の顛末、知ってしまえば何も言えない。

「……すいません、勝手に経歴見て」

「別に気にすることじゃない。どうでもいいことだから」

「……聞くべきじゃないと思うんですけど……」

 それでも、粳部はそれを聞かなければならなかった。人の弱点に触れるべきではないことは明らかだったが、彼女の心がそうすべきだと言っているのだ。儚げな表情をする粳部をルームミラー越しに見つめるカーラーとクーヤー。

「今、楽しいですか?」

「……楽しい。例え嫌なことがあったとしても、自分で選んだ道だから」

「ここには自由がある。仕事をすれば対価を貰えて、誰にも殴られない」

「溺れさせられないし、首も絞められない。犯されもしない」

 二人にとってそれは最も重要なことだ。生まれた時から攫われて全ての自由を失い、ただ命じられるままに仕事をしてきたのがカーラーとクーヤー。報酬すらも与えられず暴力の日々の中で藻掻き続け、自由を得て過ちを犯しここに居る。

 ようやく、世界の広さを知ったのだ。

「……私達は多分、自由を知る為に生まれてきたんだと思う」

 クーヤーがそう呟く。

「どん底から司祭になって、世界へ飛び出して思うがままに生きた」

「……」

「でもそれは自由じゃなかった。私達は馬鹿で……自分で選んだと思ってたの」

 彼らはあまりにも知らなさ過ぎたのだ。選択するにしてもそこで何かを考えられる程、多くを知っているわけではなかった。白も黒も知らない人間を外の世界にそのまま放り出して、上手くやっていける筈がない。故に、人が一人死んだ。

「ルールがあることも……従わなければいけない理由も知らなかった」

「……死んだ人は帰って来ない……でも、これは残酷過ぎます」

 ルールを、世界の仕組みを知っていればそんな馬鹿なことはしなかった。何もかもが噛み合っていなかったが故の惨劇。二人に世界について教えられる者が居ればこんなことは起きなかったのだ。

「世界がお店の外に広がってるなんて……信じられなかったの」




【9】


「さて、中華料理か。知り合いに馬鹿食いする奴が居る」

「……そうか」

 昼時の中華料理店。一番儲かる時間帯だというのに店内の客は四人程度で、隠れた名店と言えばそうではあるが人気がなくて落ち込んでいるというのが現実だ。カウンター席に座る藍川と飾身は料理する店主を見ながら料理が来るのを待っていた。その耳には無線が付いている。

 スーツを着ている藍川と帽子を深く被った飾身が中身のない話をしていた。

「とんでもない量でな。大食い大会も総なめできそうだ」

「大会は出たのか?」

「いや、本人が出たがらない」

「お待ちどおさま。餃子定食と麻婆豆腐です」

 厨房の店主がカウンター越しに餃子定食を飾身に渡し、藍川の方に麻婆豆腐を渡す。飾身は特に味を気にすることなく手早く食事を始め、まるで作業のように餃子を口に押し込んでいく。藍川は味覚が殆ど機能していなかったがゆっくりと食事を始める。

「で、仕事の話だ。この前の暗殺についての情報はあるか?」

「いや、何もない」

「……何とも妙な話だ。手掛かりが全くない」

 背を向ける店主を横目に話を進める藍川。真実に適当な嘘を混ぜ、手先の手先に偽の情報を流す。店主の興味関心を惹き作戦の為に精神的に誘導していく。結局のところこれが一番手っ取り早い。

 藍川が店主の心を読んで確認する。

「組織が俺に急かしてくるがどうにもならん」

「大雑把過ぎるんだ。それじゃ調べようがない」

「……確度の低い情報だが、東南アジア系の男が関わっているらしい」

 藍川がそう発言した途端、店主の男が横目で彼を見る。事実を混ぜたことで遂に魚が餌に食い付き、釣竿をピクリと振動させる。水面に揺れるだけだった釣り糸は魚の反応を見せ、振動を釣り竿のグリップに伝えていた。釣りが始まった。

「……それなら掴んでいることがある」

「本当か?教えてくれ」

「二百万で答える。現金で用意しろ」

「くそっ金の亡者め……明日の十八時、第三地下駐車場で渡す」

 完全に食い付いた店主が調理の手を止め、ゆっくりと動くと流しで手洗いを始める。それは自然な動きのようにも見えたが、藍川や飾身から見れば明らかに食い付いている動きだった。興味関心を惹かれ目を離せなくなっているのだ。

「分かった。乗ろう」

「……相手はかなり危険だ。この情報は俺とお前だけの機密にする」

「ああ構わない」

「それじゃあ……俺はここでお暇するよ」

 麻婆豆腐を半分残して立ち上がり会計に向かう藍川。それを見送った飾身は餃子を全て口に入れると白米を押し込み、喉が膨らむことも厭わずに全てを飲み込む。更に味噌汁を勢いよく飲み干すと漬け物を放り込んで彼は立ち上がった。藍川を追って会計に向かう。

 その時、客が離れていくのを見て店主が受話器を取る。

「……私です」

 カウンター席に置きっぱなしにされた飾身の上着、仕込まれている無線がその通話の音を拾って藍川達に届けている。餌に食い付き糸を引っ張り始めた魚、この勝負は藍川達に軍配が上がった。会計しながら店主の通話に耳を澄ませる藍川。

「客が妙な会話を……あなたを追ってる二人が居る。組織と言ってた」

『……そうか』

「情報を握ってるらしく、明日の十八時に第三地下駐車場でやり取りを」

『他に情報を持ってる奴は居るか?』

「いえ、あの二人だけかと」

 手先が餌に食い付き、罠が仕掛けられる時間と場所を知ってしまった。これでようやくギョロ目に繋がる大きな手掛かりを藍川達は手に入れられる。狩る側と狩られる側が入れ替わった瞬間だった。

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