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9-8

【12】


 血の染みた包帯を巻いている藍川のダメージは大きく、蓮向かいの職員が法術で治療を行ったものの完治はしていない。司祭には法術が効きにくいということもあり、治療の効果は完全ではないのだ。皮膚と血管に薄い膜を貼ったら、後は司祭の再生力に任せるしかない。

 普段のケロッとした表情の中に、僅かな疲れが見える藍川。

「おっ、谷口居るじゃねーか。こいつ呼べるなら最初から呼んどけよ」

「最初の想定ではここまで過激でなかったんんだろ。仕方ない」

「そのせいで俺は形態変化使わざるを得なかったんだが……仕方ないか」

 そのリスクを考えれば皆が使いたがらないのも自然と頷ける。実際、使う必要がないのであれば使わないに越したことはない。代償を支払うことで自分の生きる意味を失うことだってあるのだから。

 その時、粳部が彼の様子がおかしいことに勘付く。

「……何か……なくしたんですか?」

 それはある種の勘だった。形態変化は自分の中の何かを失ってしまうリスクのある力であり、藍川の様子に違和感を覚えたこともあってそうでないかと考えたのだ。自分のことを隠しがちな藍川なら、別におかしな話でもない。

 藍川の表情が真顔になる。

「大したことでもないさ。自分の親のことを少し思い出せなくなっただけだ」

「……大事な思い出じゃないの?」

「元から関りがあまりなかったからな。まあ……他よりはマシか」

「マシなんかじゃないですよ!」

 そもそも、何かを失ってしまうことは等しく悲劇だ。何も失わないことがベストであり、取り戻せない物を失ってしまうのは最悪のパターンだろう。しかし、何かを手に入れるには何かを失わなければならない。捨てれば勝てるというのなら、彼は喜んでそれを捨てることだろう。

「……まあ、悲しいと思えないことは……悲しいと言えるか」

「何も失わないに越したこと……ないじゃないですか!」

「……」

「私もっと頑張りますから……こうならないように」

 あの時、粳部に誰かを手助けする余裕はなかった。再生の司祭に追い詰められていた彼女は既に限界を迎えており、遠くで戦う藍川の音は聞こえていても加勢まではできなかったのだ。例え肉体が不死身でも心までは不死身ではない。それに、彼女が使える法術は少ない。

「それでも、俺はギョロ目を追わないといけない。あの時、カバラを逃がすわけにはいかなかった」

「そういえば、男の心は読めたの?」

「ああ、あいつらは人攫いからの依頼でギョロ目から派遣されていた」

 ミールメーカーに概怪を貸与し、テロリストにも司祭を貸与していた謎の存在、それがギョロ目。正体も目的も分からないその存在について分かることは、ミールメーカーの語ったギョロ目が死体を集めているということだけ。藍川はその真相を追い続けていたのだ。

「恐らく、ギョロ目は空間を弄れる。奴らは最初ギョロ目に拉致されて働く契約をした」

「空間を弄れるって……ギョロ目の居場所は分からないんですか?」

「拉致された空間の座標が分からないんだ。ギョロ目が空間を弄らないと移動できないらしい」

「つまり、転移先を知る者を捕まえないことには無理ってわけね」

 考え込むラジオと粳部。ミールメーカーとの戦いで粳部と谷口は現場の空間が捻じ曲げられていたのを見ており、送り込まれた大量の概怪を見ている。それがギョロ目の行った空間の操作であるなら、奴を捕まえるのは至難の業だろう。

「……そもそも、ギョロ目って死体集めて何がしたいんですかね」

「さあ、そればっかりは分かりません」

「広陵団のテロと言い、一体何体司祭を保有してるんだか」

「……えっ、待ってください広陵団ですか?」

 谷口の言葉に反応する粳部。遅れて藍川はしまったという顔を浮かべるが、もう彼女は知ってしまった。かつてグラスと共に解決した広陵団のテロにギョロ目が関わっているということを。当時は藍川が隠したというのに、うっかり谷口が漏らしてしまったのだ。あーりゃりゃという顔のラジオ。

「おい谷口!」

「鈴先輩、あれギョロ目関わってたんですか?」

「……テロリストの心を読んだら、ギョロ目から司祭を貸与されたことが分かった」

 拘束された司祭やテロリストから既に情報は抜き取られている。藍川の権能の前に機密を隠すことはできず、ギョロ目についての情報はその時から把握していたのだ。そもそも、それ以前から藍川は知っていた。ラジオが笑顔でそれについての話を始める。

「爆破テロの被害者の遺体も霊安室から消えたんで、死体を集めていることは確かですよ」

「……爆破テロって……あの時は不発弾だったんすよね?」

「ああ……言ってませんでしたね。不発に気が付いて自力で壊して起爆したんです」

 伏せられていた真実を知り動揺を隠せない粳部。藍川の表情はどんどん不機嫌になっていき、相変わらず谷口は感情を見せないポーカーフェイスだった。藍川からすれば、自分が伏せていたことを立て続けに暴かれているのだから穏やかではないだろう。

「そんな……死者が居たなんて……聞いて!」

「俺が伏せたんだ。当時からギョロ目の存在を把握してた。奴が空間を弄れることもな」

「……全部黙ってたんですか?」

「粳部には関係がないからだ!お前は……自分の体を元に戻すことだけ考えてれば良い」

 それは藍川による精一杯の配慮だった。粳部が組織内で必要以上に傷付かないように、自分のことだけを考えて欲しいというのが彼の切な願いだった。しかし、こうもギョロ目による犯罪ほう助事件が続くとは思ってもいなかったのだ。まるで運命が、彼女を関わらせろと言っているかのように。

 真実を知った粳部は動揺を隠せずに居る。

「わ、私は確かに……自分の為に組織に入りました」

「……」

「でも……起きていることから目を逸らしたくはないです」

 藍川は粳部から背を向けると瓦礫の山を眺め、谷口は瓦礫に腰掛けてそっぽを向く。既に粳部の持つコーヒーは冷めており、そこから湯気が立ち昇ることはなかった。人が住めなくなった町の空は酷く寂しく、厚い灰色の雲は青空を隠している。そして、青空を見る者は今後も居ない。

 不意に、藍川が口を開く。

「それで壊れたら……本末転倒だよ」




【13】


 照明が微かに照らすだだっ広い空間。壁の見えないその場所の中心にはシンプルな椅子が置かれ、重苦しい鎧を着こんだギョロ目が深々と座る。時折、周囲からは蛇が這うような音やペタペタと歩く音が響くも、暗がりにその音の主は居ない。

「このセンサー調子悪いな……」

 あらぬ方向を向くギョロ目を指で調節し、鎧で全身を覆い隠した怪物は何事もなかったかのように虚空を見つめる。普通の人間は長い間暗闇に居ると正気を保てなくなるものだが、このギョロ目はそんなことなど気にもしていなかった。まるで暗闇よりも別のものを見ているようで。

 その時、椅子の影から輪の形をした概怪が湧き出る。

『開門』

 ギョロ目がそう言った途端に概怪が震えるように動くと、目の前の空間に亀裂が生じて穴が開きそこから一人の人間が入って来る。死人のような目をした男がギョロ目の前で立ち止まると、奴は興味なさそうにゆっくりとその方を向いた。

「やあ、カバラ達が捕まったそうだよ。例の連中にね」

「……」

「他の人攫いに邪魔されないように、特別にカバラを付けたんだけど……まさか駄目とは」

 ヨーロッパの現在の治安は最悪だ。他の司祭を保有する組織が人身売買でとんでもない利益を上げ、二匹目のドジョウを狙う者達が人間という資源を奪い合うのが現状。ギョロ目は人攫いの為に特別優秀な司祭を貸与したが、どういうわけか倒されたのである。

「まあ、君の人間牧場のおかげで死体は順調に集まってるんだがね」

「……予定通り、今月中に二十二体は納品できる」

「ご苦労様。あと少しで終わりだから頑張ってくれ」

「死体をこんなに集めて何をする気だ?肉屋が開けそうだ」

 既にギョロ目が集めている死体の数はとんでもない数になっている。一つの地区どころか小国の人口を超えるレベルの数を集め、溜め込まれた死体で大きな山ができる程であった。そんな数を集めて何をするつもりなのか、それを知る者は殆ど居ない。

「ふふっ、肉屋か。自分は魚の方が好きなんだけどね」

「まあ、私は仕事をこなすだけだけど」

「自分はね、神様になりたいんだ」

 その言葉に嘘はなく少しの誇張もない。鎧で全てを隠していてもそれだけは本当のことだ。常識を超えた現象を起こすには常識を超えた行動が必要になる。その為の犠牲として、数えきれない数の人々が犠牲になったのだ。そんなことの為だけに

「神様になって時間を手に入れる。永遠に存在し続けるんだ。たった一つの願いの為に」

「……仕事に戻る」

「ああ、よろしく頼むよ」

 概怪が開いた空間の中に男が戻っていき、ギョロ目が指を鳴らすと空間の亀裂が消えていく。再び周囲に誰も居ないギョロ目一人きりの世界になってしまい、帳のような暗がりが周囲を包む。しかし、ギョロ目にそんなことを気にする精神はなかった。

「……僕は何をしてるんだ」

 奴がそう呟いたその時、部屋の電気が復旧して全体を照らす。部屋中に積み上げられた司祭を閉じ込めたゲージが見えるようになり、残酷な世界の全てが明らかにされた。ここはギョロ目の私室ではない。捕獲した司祭の手駒を保管する為の飼育室なのだ。

 ギョロ目が天井を見上げる。

「ああ、やっと復旧した。さて、次はどの司祭を使おうかな」

 奴の目的が果たされる時は、近い。

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