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9-7

【10】


 藍川の血液が沸騰していく。第六形態まで到達したカバラの権能は、並の司祭であれば一撃で死に至るレベルの性能があった。仮にもΩ+の等級である藍川は自らの概念防御で多少ダメージを軽減したものの、三度も受ければ死に至ってもおかしくはない。

 正に絶体絶命、つまり選ぶ手はもう一つしかない。

「司祭……」

 その刹那、カバラが掴んでいた藍川の姿が消える。司祭の目ですらも目の前で起きたことを認識できず、突然目の前から彼が消えた現象に困惑を隠せずに居た。藍川の権能で幻覚を見せられたというわけではなく、単純に彼が補足できない速度に到達したというのが結論だった。

 視界の端で紫色の残光が煌めいたことにカバラが気が付いた時、背後から声が聞こえた。

「第六形態」

「こっ……!?」

 彼が振り向くと同時に回し蹴りが炸裂する。吹き飛ばされる直前に彼が見たのは、全身から突き出た結晶が鎧と仮面のようになった藍川の姿だったのだ。紫色の光を放つ彼の姿はあまりにもおぞましく、同じ第六形態だというのにカバラとはあまりにも格が違っていた。それは、カバラが人生で二度目に感じた『恐怖』

 彼が吹き飛ばされた先に追い付く藍川。

「てめえ!俺と同じ第六形態だと!?」

 もう一度その手で触れ沸騰させようとするカバラだったが、目の前の藍川は残像でしかなくその手は空を切るだけに終わる。そして背骨に藍川の肘打ちが直撃し、彼がのけ反った隙に一瞬で前方からも肘打ちを叩き込む。紫色の結晶が砕けていく中、薙ぎ払うような藍川の拳がカバラを弾き飛ばした。何回も跳ねる彼はどこまでも飛んでいき、マンションの廃墟に突き刺さると全てが倒壊していく。

「がはっ!?ぐっ……ほ、骨が滅茶苦茶だ……!」

 瓦礫の中で動こうとするカバラ。藍川は予備動作もなく加速すると一瞬でマンションの上空に移動し、踵落としで彼を狙い撃つ。カバラは空間転移でそれを躱したものの衝撃に巻き込まれて再び吹き飛び、瓦礫の積もっていた場所に大きなクレーターができる。およそ半径三百メートルのクレーター。

 クレーターの中心に佇む藍川。その手はカバラの頭を掴んでいる。

「第六形態で瞬殺できない相手が、同じ形態になったらどうなるか……分からなかったのか?」

「ッ!?……てめえ何で転移できないんだ!?」

「教えてやるよ」

 自分を掴む手を掴むカバラ。沸騰させる権能を行使して彼の血液を沸騰させようとするも、どういうわけか手を掴んでいても権能が発動しない。空間転移を使っても藍川は移動できず、仮面で顔を隠した紫色の怪物は頭を握る力を強めていく。

「沸騰しねえ……!?」

「第六形態の概念防御が……生半可な権能を通すもんか」

 自身に迫る死を感じたカバラは逃げ出そうと空間転移して駆け出すも、その夢は叶わない。

『開胸』

「はっ?……があっ!?」

 第六形態となり高められた搦目心中が行使され、カバラは自分の意思で自らの腹に両手を突き刺し崩れ落ちた。これが最強の司祭。上層部がカタログスペックだけを見て決めた最強とはいえ、別に弱いわけでもなく圧倒的な強者だ。当然、敵う筈もない。

 廃墟の屋上から藍川の戦いを眺める粳部達三人。

「あ、あれは何ですか……?」

「藍川の奴、第六形態まで使うか」

「荒地だからって無茶し過ぎだっつーの……」

 藍川が彼に手刀を振り下ろそうとした時、自身に向かう矢に気が付き片手で掴む。万物を貫通し進み続ける矢を簡単に掴むと折り、矢が放たれた方角を見て弓兵を観測する。粳部達も驚いてその方向を向くと、そこには片手を失ってなお弓を引く司祭が居た。

「嘘だろ……何で権能で貫通しない!?ごめん」

「逃げろマンソン!お前の権能じゃ……!」

 ラジオ達が弓の司祭を止めようと駆け出したその時、遥か遠くに居た藍川が一瞬で距離を詰め両手の手刀を振り下ろす。弓の司祭の片手と両脚が瞬きする間に切断され、一瞬で戦闘不能になった。あまりにも激し過ぎる攻撃性に動揺を隠せない粳部。ただの司祭では相手にならない。

「しゅ、瞬殺……こわ」

「嘘……こ、これが鈴先輩なんて……」

 藍川はすぐに踵を返すとカバラの方へ向かう。彼は重症だったものの立ち上がると空間転移を繰り返し、藍川から逃れようと逃走し始めた。しかし、最大十四メートルの瞬間移動を繰り返したところで藍川の脚の方が早く、追い付かれると彼の蹴りで地面を転がる。既にカバラは瀕死の重傷だった。

 概念防御の結晶で出来た鎧が砕けていく。

「ぐっ……おおっ……」

「まだまだあッ!」

 藍川が一瞬でカバラを蹴り飛ばし、先回りすると殴り飛ばしていくつもの建物を貫通させる。カバラが空中で体勢を立て直し再び現れた藍川を殴るものの、その全てが受け流され横からもう一人の藍川が飛んできた。彼は反応することもできず、脇腹にダブルスレッジハンマーを叩き込まれる。殆どの肋骨と背骨が砕けた。

「ぶ、分身か……!?」

「もっといくぞおお!」

 空間転移して藍川の手刀を避けるも、移動した先で殴り飛ばされるカバラ。彼は何とかボロボロの体で空間転移し、藍川の背に立つと彼を掴んで血液を沸騰させようとする。しかし、圧倒的な強度の概念防御を前にそんな権能は通用しなかった。

「何故沸騰できない!?」

『トラウマ』

 藍川の権能が発動した瞬間、異常な叫び声を上げてカバラが痙攣する。それは全身から毛虫が湧き出て這い回るような苦痛。藍川の権能によって増幅され暴走した彼のトラウマ。錯乱し何も理解できなくなったカバラを藍川は何度も拳で打ち付け、手刀で袈裟斬りにし右腕を切断した。斬られた胸から血が噴き出す。

「ぐおおっ!?」

 半狂乱になって片方だけになった拳を振るうカバラだったが、藍川はそれを全て躱すと彼を蹴り飛ばす。廃墟をいくつも貫いて彼が飛んでいく中、権能の反動で頭を抱え叫び声を上げる藍川。いくら強くなろうと司祭は弱点からは逃れられない。全てを捨てない限りは。

「俺が反動を受けてる間に休憩は済んだか?いくぞおおお!」

 構えを取り急速に加速する藍川。一瞬でカバラに追い付くと彼の拳を滑り込みで回避し、拳で腹を貫くと引き抜いたと同時に蹴り飛ばした。空中を飛んでいく意識が朦朧とした彼に藍川が追い付き、頭を掴んで押し込むと壁を削っていく。小さな悲鳴は藍川の耳には届かない。

 抵抗できずにサンドバッグとなって壁に埋まるカバラに、彼が大きく振りかぶって殴りかかる。

「ま、待て……!」

「砕けろおおッ!」

 胸を貫くその一撃は、彼の背後にある全ての廃墟を消し飛ばす。衝撃で抉れた地面には何も残っておらず、圧倒的な暴力はカバラの内臓を破壊し尽くした。藍川が彼の胸から拳を引き抜くと、全身から血が溢れると共に概念防御の結晶が崩れて仮面が砕け散る。

 遠くでそれを眺めていた粳部は、最強が決して伊達ではないことを思い知らされることになった。

「これが……最強の司祭ですか」

「まあ、最もその代償も決して小さいわけではないですがね」

 意識を完全に喪失し倒れるカバラ。戦闘が完全に終了し立ち尽くす藍川の表情は仮面で隠され、彼が何を考えているのかは誰にも分からない。瓦礫で山積みの世界に、彼の理解者は居ない。




【11】


「おっ、粳部さんお疲れ様です。これ飲みます?」

「ああ……どうも」

 積み上がった瓦礫に腰掛けてコーヒーを飲むラジオ。旧イギリスの夏は少し肌寒く、日本の夏用の服装で来た粳部からすればかなり寒かった。ラジオから受け取ったコーヒーに口を付ける。砂糖の入っていないそれは彼女にはキツイ苦味だったが、粳部は貰った物に何かを言う人間ではない。

 ラジオが口を開く。

「人攫い達の回収は終わったみたいですね」

「ええ、司祭三人も拘束して護送しました。命に別条はないとか」

「あれだけボコボコにされてまだ生きてるとは……」

 藍川に徹底的に全身を壊されたというのに、辛うじて生きているというのだから恐ろしい話だ。殺さない程度には加減されているとは言え、あの藍川の荒ぶり様を見た粳部にはあまり信じられないことだろう。限界を超えた姿になった彼に、いつもの面影はなかった。

 粳部が目を伏せる。

「……司祭って、あんな姿になれるんですね」

「形態変化は理論上十三形態までありますからね。まあ、そこまで行くと戻れませんけど」

「人にですか……」

「概念防御は自分の核となる概念を守る力。余計な概念を切り捨てて研いだら、そりゃ強いですよ」

 錆びた包丁を研げば切れ味が鋭くなるのは当然の話。しかし、彼ら司祭の場合は自分の中の概念を削っていってしまう。大切な思い出や感覚、人間性。それらを失うことで得た力が絶大なのは当然だ。失った物が帰ってくることはないのだから。

 瓦礫の上に立つ谷口が二人の下に降りてくる。

「多用は厳禁だがな。使わないに越したことはない」

「谷口さん。あの時は助かりました」

「……そう言えば、あの時お前法術を使って見えたんだが」

「あっ、そう言えばなんか粳部さん法術使えるんですよ!見ただけで」

 その言葉を聞いて思わず絶句する谷口。常に仮面をしている彼の表情は誰にも分からないが、その硬直と無言の間が全てを物語っていた。かつて法術の天才と呼ばれた谷口からすれば、見ただけで法術が使えるというのは信じられないことだろう。天才とは言え努力はしたのだから。

「……マジでか?」

「キャラ違いませんあなた?」

「い、いや……全然有効打与えられなかったんで大したことないですよ」

「……法術はそもそも戦闘向きじゃないんだぞ」

 主に倒した後の拘束に時間を掛けて使用するのが現在の法術の使い方だが、それを戦闘中にポンポン使えるのは熟練くらいである。初めて法術を使う人間がその域に達しているのは、長い訓練をした身からすれば複雑な気分である。

「……いつかちゃんと教える必要がありそうだな」

「よ、よろしくお願いします……」

「全員元気そうだな。何よりだ」

 その時、元の姿に戻った藍川が三人の下にやって来る。その後ろを付いてくる特殊装備を着用した蓮向かいの職員三人。慌てている彼らをよそに、全身を包帯でグルグル巻きにした藍川は呑気な表情で歩いていた。

「困ります!まだ動いちゃ駄目ですよ!」

「何してんですか鈴先輩!」

「これで仕事は終わりだ。俺も粳部も暫く休むぞ。怪我もキツいしな」


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