【13】
お菓子のこぼれるバッグが現れた瞬間、司祭はそれを見てニヤリと笑う。彼女の無限にお菓子を出す権能事態に殺傷能力はない。脚力以外に優れた能力はなく、とてもじゃないが戦える体格ではない。どう考えても、設楽に彼を任せるのは失策だ。
「おりゃああ!」
「可愛い祭具だな!」
バッグからお菓子が溢れる中、チャックを完全に閉めてバッグを回転させ始める設楽。対等の司祭よりも足が速い設楽は最速で間合いを詰め、振り回したバッグを彼に叩き付ける。しかし、設楽は彼を傷付けるどころか体を動かすこともできなかった。
彼が設楽の頭をわし掴みする。
「失策だよ!少女に私を任せたのは!」
「んんんっ!」
宙ぶらりんになった彼女がバッグを彼にぶつけた瞬間、激しい衝撃と轟音と共に暴風が吹き荒れる。男の全身の骨にヒビを入れるレベルの一撃が入り、弾き飛ばされた男は壁を突き破って大きく飛んでいく。お菓子が入っているだけの小さなバッグがそんな衝撃を生むだなんて、対等の司祭は少しも想像していなかったのだ。
「しゃあっ!」
時は、粳部の心中攻撃の後まで遡る。設楽が覚悟を決め、粳部に自分が本体を叩くと話した時のことだ。
『な、な……駄目ですよ!あなたが戦うなんて!』
『私のバッグ……チャックを開けている時は重さが変わらないの』
『えっ?』
『でも、閉めたら重さがランダムになるんだ……』
それは粳部の力とよく似ている。不確定故に限界まで弱い時もあれば、Ω相当の概怪と戦えるレベルの圧倒的な力を手にしている時もある。同様に、チャックを閉めた瞬間にバッグの中身の『重量』が不安定になるのだ。重量が決まっていないということは、重量が最大なことも最小なこともある。
『一グラムの時もあれば三十トンの時もある。それをぶつけたら……』
こうなるわけだ。
廃工場に空いた大きな穴の中からボロボロになった対等の司祭が現れる。全身から血を吹き出し軋む骨を動かして歩く彼は限界が近かった。しかし、それでも設楽と戦うには十分過ぎる余力があった。
「とんだ隠し玉だ!随分とやるじゃないか!」
「くっ……一撃じゃ駄目か!」
「二度は受けない!そのバッグは!」
対等の司祭が走り出した瞬間、屋根を突き破った何かが彼に衝突する。弾き飛ばされた対等の司祭を更に何かが空中で蹴り飛ばし、その先でも先回りすると地面に叩き込む。流星の如き速度の怪物の正体は、紛れもなくあの谷口だった。
「がああっ!?」
「六秒遅れた、待たせたな」
「谷口さん!」
「お前は何だああ!」
限界を超えた司祭の体から赤い結晶が生え、司祭第二形態に到達する。概念防御が自分の中の概念を拒絶し切り捨てることで得た姿。窮地に追い込まれ限界を超えた結果到達したものの、その程度で谷口に敵う筈がない。γ-の対等の司祭ではΩには遠く及ばないのだ。
敵が三人になったことで司祭が分裂する。
「形態変化、二人がかりか」
その瞬間、谷口の姿が消えたかと思うと音速を超えた速度で急速に迫っていく。残像のようにブレるその姿は、まるで分身のように二人へ別れた。そして、同時に二人の司祭が胸を貫かれる。一秒も掛からずに。
「分身くらい体術でできる」
遂に対等の司祭が意識を失い、分裂した個体も消えて戦いが終わる。Ωの等級は伊達ではなく正真正銘の怪物なのだ。煙の中で立ち尽くす谷口の素顔は見えない。
「十八秒か。まだ勘が戻ってないな」
【14】
「あっ、設楽さんこんにちは。怪我はどうですか?」
「おっすー痛みは引いたよ」
日差しが降り注ぐ中、河川敷の土手に腰かけていた粳部が立ち上がる。元気そうな設楽は曇りのない笑顔を浮かべており、谷口は何も反応を示さず立ち尽くしている。優しい風が吹くこの場所は昨日や一昨日と比べて少しだけ涼し気だった。
「何事もなくて良かったです……すいません私弱くて」
「次はちゃんと守り切ってよー?」
「うっ……善処します……というか次なんてないですよ」
「ははは!」
あれから一日経ち、対等の司祭は逮捕され事件の隠ぺいが行われた。残る粳部の心配事は設楽が何を選択するのかだけ、それを確認すれば今回の任務は終了するわけである。ただ、もう粳部には設楽が何を決断するか想像が付いていた。
谷口の方を向く彼女。
「あ、あの……昨日はありがとうございました」
そう言われた彼は何も言わず、ただサムズアップして見せた。彼なりの返事ということだろう。
「あー気にしないでください……この人無口なので」
「そ、そうなんだ……」
「……で、どっちの道を選びますか?」
設楽はきっと蓮向かいには入らない。司祭に襲われ命の危機に晒された経験をすれば、自然とやる気はなくなるだろう。そもそも、戦闘と無縁の仕事とはいえこんな物騒な組織、小学生どころか誰もが関わりたがらない筈だと粳部は思っていた。
彼女が普通の人生を送ることに安堵する粳部。
「私は……蓮向かいに入る」
「……はあ!?」
それは完全に彼女の想定外だった。あの戦いを間近で見て司祭を恐れず組織を選んだというのは、粳部からすれば信じられない話だったのだ。まだ小学生の少女が司祭の権能を生かし組織で働くことを選ぶ。完全に理解の外の思考である。
開いた口が塞がらない彼女と感情の分からない谷口。
「な、何言ってるんすか!?ほ、本気で……?」
「私は絶対、この選択を後悔しない。しそうになってもそれを乗り越えて見せる」
「お前の安全は組織が保証する。何も気にするな」
「ちょっ……ちょっと谷口さん」
これはあまり喜べる話ではない。彼女はまだ幼く、その意思決定能力は不完全な状態にある。つまり、数年が経って大人になってからそのことを後悔する時が来るかもしれないのだ。戦闘員ではない為にまだマシではあるが、人生何が起きるか分からないものだ。先日の司祭のように。
粳部は苦虫を嚙み潰したような顔をする。
「……絶対なんて、この世にはないんですよ?」
「でも子供の頃の選択、二割は後悔してないって粳部言ってたじゃん」
「それは……で、でも……」
「そんな心配しないでよ。まだ未熟ではあるけど、全部を間違えるわけじゃないんだから」
冷静になって考えると設楽の言い分は間違っておらず、蓮向かいのシステム上の問題は何もない。ただ、粳部がどう思うのかは本人の問題だ。それで自分を責めたり組織の在り方に疑問を持ったりするのも自由である。
「……谷口さん」
「蓮向かいは常に優秀な人材を求めている。願ったり叶ったりだろう」
「本当にそれでいいんですか……」
谷口は身動き一つせず水面を見下ろし、粳部達の方を一度も見ない。人と距離を置く彼が何を考えているのかは粳部にも分からず、時折仮面を外してその表情を拝みたいという衝動に駆られてしまう。同じチームの中では滅多に出てこないラジオよりも谷口の方が謎が多いのだ。
変わらない声色で喋る谷口。
「嫌なら、子供を必要としないレベルの組織にすればいいだけだ。自信がないのか?」
「……はあ……やりますよ、大人としてそれくらい」
粳部が苦笑いを見せると少しだけ彼が彼女の方を向き、鼻笑いをすると再び水面を見る。それが実現するのは遥か遠い未来になるだろうが、いつか訪れることは確かに分かっていた。それを目指す誰かが居る限り、可能性はゼロではないのだから。
三人が川を眺める。
「さあ、やることは山積みですよ!」
仕事はまだ始まったばかりだ。