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8-3

【4】


設楽したらさあ、最近何かあったの?」

「んー?何でそう思うわけ」

「質問を質問で返すなよ」

「質問される覚悟なく質問すんな」

「それはそう」

 小学校の下駄箱にて、友人と話をしながら外履きを取り出す設楽。無限にお菓子を出すバッグの祭具はどこにもなく、代わりに彼女は小さいランドセルを背負っている。どこにでもある小学生の日常、ただ彼女が司祭であるということを除けばの話だが。

「何かさ、最近異様に元気じゃん。よくクラスの一軍と話すしさ」

「分かる?調子良いんだよねー最近。今なら何でもできそうな気分」

「薬でもやってんの?」

 大きな笑い声を上げながら設楽は外履きを履いた。

 司祭は文字通りなんでもできる。脚力も腕力も普通の小学生の比ではなく、木の上や電柱なんて簡単に登れ、扉の施錠は意味を持たない。どこにでも力尽くで進んで行けるようになった彼女にとって、もう邪魔な物は存在しない。その気になりさえすれば、何だってできるのだから。

「まあ元気なのは良いけどさ。放られると寂しいよ」

「子供みたいなこと言わないでよ」

「私ら小学生じゃねーの」

「そりゃそうか」

 二人で笑う。ごく普通でどこにでもある、ひたすらにのどかな時間が流れていた。彼らにとってそれは永遠に等しい時間だった。子供の体感時間は大人と比べ長い傾向にあるという研究結果もある。

 そこに複数人の女子生徒がやってきた。

「あっ、砂与ちゃん居た!」

「ねえあの手品どうなってんの?」

「どう考えてもお菓子増えてるよね!」

「そりゃ企業秘密だから!じゃあねー!」

 設楽は面倒くさがると女子生徒を躱し、昇降口を出て道を走り出す。彼女は権能を人に見せびらかし物を与えることはあれど、その詳細を多くは語らない。明らかに人智を超えた魔法の道具である自身の祭具の仕組みを、誰にも教えたくないのだ。彼女から祭具を取り上げることは誰にもできないものの、人から人に伝わり親に知られれば面倒なことになる。

 一人、帰路に就く彼女の視線の先は校門だった。

「あいつめっちゃ足早くない?」

 すれ違う生徒がそう言う。速度を極端に落としたところで、実際の設楽の速度はプロの全力疾走程度にしかならない。彼女にとってはスキップをしているつもりにもならないのだ。彼女が司祭の中では早い方だとは言え、それでもその身体能力は人からすれば理解できないものであり脅威。怪物である。

「(夏休みは何しようかな)」

 暑い日差しも苦にはならない。そんなもの、概念防御を通さないのだから。漠然とした不安もなく、希望に満ち溢れた今の彼女を止められるものはそうないだろう。

 彼女を除いて。

「うわっ!?」

 設楽が校門を通過したその時、見知らぬ誰かの手が彼女を掴む。とんでもなく強い力だが肩を壊すレベルではなく、突然の脅威に恐怖した設楽は動くこともままならない。司祭とは言え彼女も小学生なのだ。同じ司祭に匹敵する相手であれば、大人のアドバンテージが発揮されてしまう。

「つーかーまーえーた」

 だが、その声はほんの少しだけ聞き覚えがあった。彼女が声の方をゆっくりと振り向くと、そこには無理のある笑みを浮かべた粳部が居た。追いかけっこでは昨日の設楽に分があったが、別に追いかけっこで勝負する必要はない。こうして、蓮向かいの特権を使えば楽に済むのだから。

 設楽の笑みが凍り付く。

「お、お手柔らかに……」

「別に取って食ったりはしませんよ……話聞くだけで」

「お前達遊んでる場合じゃないぞ」

 道の傍に停められた車の運転席から谷口がそう言う。彼らはこれから情報の流出を防ぐ為に、設楽の家族にも説明を行わなければならない。司祭になった者が若年の場合にはそういうことも必要なのだ。

 そして、組織に加入するか保護観察を選ぶかの二択も同様に突き付けなければならない。例え子供だろうと、そこに例外はない。




【5】


 設楽の家の居間、二人の男女がテーブルを挟んで座り延々と話を続けていた。遠く離れた壁にもたれ掛かる粳部達の目は長時間の起立で死んでおり、現場の雰囲気は最悪に近かった。

「どうして私の一存で決められないんですか!?」

「それはですね……お子様自身に決めていただかないと」

「まだ子供なんですよ!」

 設楽の母親は怒りから声色が高くなっていく。テーブルに座り彼女に説明を行う一般職員は難儀しながら、どうにかして彼女を納得させようと考えを巡らせる。しかし、説得している当の本人が内心無理だと思っているのだから不可能な話だ。

 子供が司祭になるケースは稀にあるものの、それでも蓮向かいに加入するかどうかは本人の意思に委ねられている。上層部はこの仕組みを敢えてまだ変えずにいるのだ。問題があることを分かっていながら、それを黙認している。

 そうしなければならない程、彼らの状況は悪い。

「とは言え、ご本人が自分で決めることですので……」

「そんなめちゃくちゃな……責任なんて負える歳じゃないでしょう!」

「お子さんの権能は大変役にたつものでして……」

 何とかして決定権を子供に渡そうとする一般職員。彼も内心では無理があると思っているが、それが仕事である為にどうすることもできないのが現状だ。こんな重大なことをまだ小学生の少女に背負わせるというのは、何とも言えない罪悪感を彼らの脳裏に残すことだろう。

 離れた場所で話を聞く粳部と谷口、そして設楽。

「……まあ、納得できる話じゃないですか」

「……」

「今回は戦闘しない契約だが、関わりたくない組織であることに変わりない」

 戦闘員としての採用をされた粳部と異なり、設楽の場合はその他の仕事を担当する契約となっている。無限にお菓子を出せる権能ならば様々なことにその力を利用できる上に、蓮向かいの管理下に居れば情報が洩れることもなく、悪意を持った外部からの接触も断つことができる。一見すればデメリットはない。

 しかし、蓮向かいと関わることはメリットばかりではないのだ。

「嗅ぎつけてくる野良犬はいつの時代も居る。その全てを防げはしない」

「いつかの諜報組織がそうですか……」

 以前、ある司祭になってしまった経営者をある諜報組織が拉致しようとしたことがあった。その時は事前に察知していた谷口の尽力によって阻止されたものの、司祭を利用しようとする者は後を絶たない。結局のところ、皆が人知を超えた力を欲しがっているのだ。

 そのゴタゴタに巻き込まれればたまったものではない。特に、親からすれば。

「……私、悪いことしてないんだけど」

「いえ、これは別にそういうわけではなくてですね……」

「これはしたことへの応酬じゃない。力を持った責任だ」

「……」

 彼がそう言うと設楽は俯いて黙り込んでしまい、部屋の中は母親と職員の会話だけが響く。居心地の悪い空気の中で緊張気味の粳部と、仮面で表情を隠し続ける谷口。大事になってしまったことを悔やむ少女の気持ちは、傍で見ている粳部には痛いほど伝わっていた。

 どう気を遣ったものかと思考を巡らせる彼女だったが、解決策を実行するだけの度胸がないと考えている間に設楽が部屋を出る。その背を追って粳部と谷口が扉を開けた。

「どこ行くんです?話は……」

「私が決めればいいんでしょ。お母さんは関係ないんだから」

 疲れた声で答えた彼女は振り返らずに玄関へ向かうと、靴を履いて外に出る。個人情報を把握した以上はもう逃げることも隠れることもできず、設楽の逃亡に意味はない。それでもそうしたということは逃亡が目的なのではなく、ただ場所を変えたかったということ。

 彼女を意図を察した粳部はその背を追って家の外に出た。

「また逃げる気か」

「そんなんじゃないっすよ」

 子供は意味のない抵抗をしがちな生き物だ。力がないが故に、抵抗の痕跡を残す為になけなしの力で壁に爪を立ててしまう。自分がここに居たと伝えているのだ。そして、往々にしてその意図は汲み取られない。

 誰も居ない道を歩く設楽はヒョイとブロック塀の上に跳び上がり、両腕でバランスを取りながら器用に歩いて行く。

「……設楽砂与、十一歳。青木小学校所属、クラブ活動なし、会話は多くしない」

「何でそんなとこまで知ってんの!?」

「谷口さん知ってても言わないであげてください……」

 空気を読まない彼が再確認し、驚いて姿勢を崩した設楽が姿勢を崩す。倒れそうな中、彼女はギリギリでバランスを取ると再びゆっくりと歩き出した。二人は彼女に並んで道を歩き、黄丹と蘇比の間の色に染まる陽が沈み始めた町を進む。

「一応言うと、蓮向かいは悪い所じゃないですが、勧められるような所でもないです」

「アピールするならもっと良い言葉選びなよ」

「……アピールするつもりはないですよ」

 自分のこれからを決める権利は自分にしかない。誰にも左右されずどこまでも公平に、悔いのないように選ぶ為には両方の選択肢のメリットデメリットを言わなければならないのだ。そこに粳部の考えが入り込む余地はない。公正公平の為に。

 少女は進み続け、曲がり角で塀から飛び降りる。

「で、どこに行くつもりなんです?」

「ん?まあ、別にそんな遠くでもないよ」

「また権能を悪用するのか」

「悪用って言い方はないじゃん……心優しい使い方なのに」

 少女はギアを上げると足を速め、長距離を駆け足で進むと再びブロック塀に跳び上がる。子供のスピードと進行ルートに付いていけない粳部達は、正しい道を駆け足で通って何とか追いつく。設楽がつかず離れずの間隔を保っている為、彼女らが置いて行かれることはなかった。

 暫く進んだ先、ある軒下で設楽が足を止める。

「おお、嬢ちゃんか。相変わらず暇なんだな」

「おじさんもこの前と少しも変わらないね」

 顔が包帯でグルグル巻きにされた中年男性が、敷かれたダンボールの上で寝転がり上体だけを起こしている。それは誰がどう見ても何らかの事情を抱えたホームレスで、小学生の女児が話しかけるには少し懸念のある相手だった。

 だがまあ、彼女も子供とは言え司祭である為に一国以上の戦闘能力はある。相手が司祭でない限りは何の心配も要らないだろう。

 設楽はいつの間にか持っていたバッグを逆さにし、中の菓子を男に渡す。

「あっ!いつの間にかバッグ出してる!」

「これからはお菓子持ってこれるか分からないから、多めにあげるね」

「無茶しなくていいのに。悪いないつも」

「いいよ、私はお菓子しか出せないから」

 お菓子の山を片手で搔き集める男。粳部がよく見るとみすぼらしい身なりの彼には片腕がなく、頭の包帯もあって相当の経験をしてきたことが伺える。路上で生活する程に生活を追い詰められたことは想像に難くない。

 そんな人物を見ても微笑みを崩さない設楽。

「俺はこれがなくても生きていける。嬢ちゃんは自分のことを優先しとき」

「ある意味これも自分の為だよ」

「また口が達者になったなあ」

 そこには純粋な慈悲があった。他人の為に何かを施し、その慈悲を万人へ平等に配る幼い聖人がそこには居たのだ。自分の権能を悪用する考えなどどこにもなく、子供だからと少し疑う気持ちを持っていた粳部は自らの考えを改める。設楽は力に溺れるような人間ではない。

 粳部が少し彼女に歩み寄る。

「使っちゃ駄目なんですけど……今日だけ特別ですよ」

「お姉さん分かってんじゃん。えーっと……名前は」

「粳部です。こっちは谷口さん」

「名前を覚える必要はない」

「またぶっきらぼうなこと言って……」

 そんな話をしていると、通りがかった二人の老人が設楽のことに気が付き近寄っていく。明るい表情をした彼らは彼女の知り合いのように粳部には見えていた。

「お嬢ちゃんまた来たんか。ここはうろつくもんじゃないって言ったのに」

「馬鹿お前、嬢ちゃんに怖いものなんてねえよ」

「暇な人が集まってきたねえ」

「あいつら……どうせまた来るぞ?いいんか?」

 老人達の話の内容がイマイチ理解できず、どういう意図なのかを考える粳部。何らかのトラブルに設楽が巻き込まれるリスクがある。または、そういう事態を既に経験したのか。口下手故に口を挟めず困ってしまう粳部。

 心配性の老人が眉をしかめた。

「大丈夫だよヤクザなんて!デコピンで倒せるよ」

「ま、まあ実際やってたからなあ……」

「ちょっと待ってください!?ヤクザって何ですか!?」

 小学生の口からヤクザをデコピンで倒すという言葉が出た時、大抵の人間が妄想だと思うことだろう。しかし、司祭の場合は違う。彼らは文字通り、やろうと思えばデコピンで大の大人を転倒させることができる。筋力も硬度も何もかもが規格外の存在が相手では、ヤクザなど蚊の体内に居る寄生虫のようなチッポケな存在。

「ああ、前に酔ったヤクザに絡まれてる人を助けたんだよね」

「はい!?い、いやまあできないわけじゃないでしょうけど……」

「あの時は恐ろしかったな……あいつ泣いてた」

「大の大人がちっちゃい嬢ちゃんにボコボコにされて……」

「ちっちゃい言うな」

 その圧倒的な力をキチンと制御して、殺さない程度に留められたことは評価に値することではあるが、蓮向かいの職員でない司祭が力を振るうのはそれなりに問題だ。厳重に注意すべき事案だが、粳部はまず設楽の肝の据わり具合に驚いていた。

「……色々言いたいことはあるんすけど……こわ」


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